聖者信仰・スーフィズム・タリーカをめぐる研究合宿 報告書

日時:2000年11月3日(金)〜11月4日(水))

会場:財団法人 日本クリスチャンアカデミー関西セミナーハウス


内容:  

1:読書会  

テクスト: Elizabeth Sirriyeh, Sufis and anti-Sufis: The defence, rethinking and rejection of Sufism in the modern world, Richmond, Surrey: Curzon, 1999.  

 第4章 The Sufism and anti-Sufism of the Salafis 前半:飯塚正人 pp.86-102 後半:今松泰 pp.102-108
 第5章 Strengthening the soul of the nation 前半:大坪怜子 pp.112-124  後半:東長靖 pp.124-137
 第6章 Contemporary Sufism and anti-Sufism 中田考 pp.140-167
 終章 Many Ways Towards the One 大坪怜子 pp.173-175 

2:研究発表  

石原美奈子(南山大学)
ムスリム聖者と精霊の関係について−エチオピア西部オロモ社会の事例−

外川昌彦(広島大学)
バングラデシュにおける聖者信仰−その体系的記述をめぐって−

3:調査報告

今松泰(神戸大学)・森山央朗(東京大学)・赤堀雅幸(上智大学)
「東方イスラーム世界の民衆宗教に関する調査・研究ートルコおよびパキスタン」


報告


総括

 第4回となる研究班2グループCの研究合宿では、読書会6本、研究発表2本に2000年夏に研究班2の活動の一環としてグループCの分担者、協力者が行った海外調査の成果が発表された。読書会では9月29日開催の読書会において前半部をめぐって議論を行ったテクストについて、後半各章の読み込みを通して、近現代におけるスーフィズムの動向の全体像把握をめぐって議論を行った。他方、サブサハラ・アフリカと南アジアをフィールドとする二人の人類学者の研究発表からは、多くの参加者にとって必ずしも親しみがあるといえない地域での信仰実践についての具体的で詳細な事例を紹介されるとともに、聖者という存在に対する理論的なアプローチについてもいくつか提言がなされ、議論を巻き起こした。調査報告はいまだ未整理の部分も多かったが、楽しくも熱のこもった調査であったことが聴衆にも伝わったことと思う。
[報告者:赤堀雅幸(上智大学)]


読書会について

 本書は近代の「スーフィーと反スーフィー」の全ての事例をカバーしようとの意欲的な作品であり、この問題を通観するには便利な教科書に仕立てられている。
 一方で、殆どが二次資料に依拠しているために、扱われる事例が必ずしも「スーフィーと反スーフィー」のテーマに添うものとはなっていなかった。しかしこの問題は多彩な時代、地域をカバーする参加者のそれぞれのフィールドでの知見を持ち寄ることによって概ね克服できたように感じた。唯一の例外は東南アジアであり、本書が扱っていなかったのみならず、参加者にも東南アジアのイスラームの専門家がおらず、世界的に見ての今日の東南アジアのイスラーム研究の層の相対的な薄さを通観させられた。
 また本書は理論化の関心は薄く、そもそもスーフィズムとは何か、反スーフィズムとは何を意味するかについて、明確な問題式も定義も欠いていたが、本研究会での総合討論でもこの問題についての結論は将来に持ち越された。
[報告者:中田考(山口大学)]


研究発表について

石原美奈子(南山大学)
ムスリム聖者と精霊の関係について−エチオピア西部オロモ社会の事例−」

 エチオピアでは現在人口の3分の1がムスリムであり、イスラーム化は進行中である。本報告はイスラーム化に寄与している霊媒師と精霊に注目したものである。
 エチオピア西部のサヨ・オロモ社会は1920年代半ばに西アフリカから来たアルファキー・アフマド・ウマルによってキリスト教からイスラームへの改宗が進んだ。アフマドはこの地方の村を転々と移動しながら宗教指導と祈祷を行い、治療師=聖者として崇敬の対象となった(1953年没)。彼自身に精霊が憑依することはなかったが、彼はシャイフ・イドリースという精霊の助けを受け「奇跡」を起こした。彼がエチオピアにやってきたのはエチオピアに住む人々にイスラームの広めるためであり、同伴した精霊はエチオピアに棲む精霊たちにイスラームを普及させるためにやってきたと言われている。
 精霊に憑依された者(多くは女性)は、その精霊の正体を明らかにした後で霊媒師としての活動を始める。活動が行われる場ではチャット(弱い覚醒作用をもたらす植物)やコーヒー豆などが象徴的な役割を果たす。霊媒師は祈祷をすることでバラカを得、クライアントに助言や治療を施すだけでなく、霊媒師自身の厳格な宗教実践を通してこの地方の民衆に宗教実践を教示している。
 アフマドと精霊の間に見られた関係が、アフマドの死後、精霊に対する民衆の信頼感を裏付け、霊媒師の活動に正統性を与えている。チャットや香などの象徴的な媒体によって、民衆は不可視の次元の精霊・聖者・究極的には神と交流しているという実感を得ることができる。こうした実感を定期的に得ることで、強力な宗教指導者を失った現在、イスラーム信仰実践の維持が可能となっている。
 スライドを見るほかにカセットテープで録音された精霊の「声」を聞くなど、臨場感に富んだ報告であり、活発な討論が行われた。
[報告者:大坪玲子(上智大学)]

外川昌彦(広島大学)
バングラデシュにおける聖者信仰−その体系的記述をめぐって−」

 この報告において、外川氏は、バングラデシュのイスラーム聖者信仰の現状を紹介し、ついで、それを体系的に述べるための理論モデルを提示することを試みた。その概要は、以下の通りである。まず、導入として、ベンガルの聖者廟やそこで行われる儀礼に関するイメージを映像によって提供した。続いて、現地調査に基づき、つぎの諸点に関する分析を行った。すなわち、ダッカのシャハ・アリ廟のオロシュ(ウルス)に開かれるアスタナの主催者たちに関する分析、マイズバンダル教団、オハダニヤット・トリカに関する分析、バウル(吟遊詩人)の聖者であるラロン・シャハの廟をめぐる係争に関する分析である。そして、これらの事例分析をふまえ、「ベンガルの民俗宗教の理解のためのモデル」を提示した。その理論モデルは、ヒンドゥー性とイスラーム性を両端とする線を底辺とし、習合性・民俗性を頂点とする逆三角形の中に個々の事象を配置することで、バングラデシュにおける宗教的アイデンティティー、ムスリム社会、聖者信仰を記述するものと理解される。この逆三角形の中では、底辺から頂点へと向かうにしたがって、言語活動から身体活動へと移行し、同時にヒンドゥーとイスラームの距離が狭くなっていく。すなわち、民俗的側面、および習合的側面が強調されるようになる。
報告後の討論は、この理論モデルをめぐる問題を中心として行われた。そこで、最も大きな問題として指摘されたことは、この理論モデルが持つ矛盾である。具体的には、修行の階梯を上げ神に近づいたスーフィー・聖者ほどヒンドゥーとの距離が近い位置に配置されてしまうことである。これは、ザーヒルなイスラームをイスラーム性の角に配置し、バーティンな側面を頂点に配置していることに起因する。こうした解釈は、現地における聖者信仰・スーフィズムの実態から見れば、あるいは妥当といえるのかもしれない。しかし、スーフィー理論やムスリムの心性的側面からすれば大きな疑問の残るところである。とはいえ、スーフィズム・聖者信仰における理論的側面と実態的側面の乖離、あるいは矛盾は、研究上の大きな課題であり、この研究会でもしばしば問題とされてきた。したがって、現地調査を基に提示されたこのモデルは、そうした問題を明確化し、その解明に向かう糸口として大きな意義を有するといえる。
この報告において外川氏が提示した理論モデルは、上記の問題を抱えるものの、今後のさらなる現地調査、および他のイスラーム諸地域との比較などを通して、バングラデシュのみならず、広くイスラーム諸地域における聖者信仰の習合的側面を分析する上で、有効な枠組みとなるものと期待される。
[報告者:森山央明(東京大学大学院)]

なお、本発表については、発表者である外川昌彦氏による発表要旨も併記する。

 本報告では、バングラデシュにおける「トリカ(タリーカ)」の多様な展開を手掛かりとして、ベンガルにおける聖者信仰の様々な資料が検討された。ベンガルのイスラーム化の問題は、特に近年のR.Eatonによる歴史的研究が注目される。これは、政治的、経済的、宗教的な3つのフロンティア概念を軸にすることで、従来の枠組みを超える包括的なイスラーム化のモデルを提示するものであった。本報告は、今日のバングラデシュで観察される多様な聖者信仰の在り方を通して、このEatonモデルを捉え直そうとするものであった。
 報告では、特に次の3つの資料が検討された。すなわち、(1)シャハ・アリ廟のイスラーム宗教者におけるトリカ観念。(2)チッタゴンのマイズバンダル教団における聖者の正統性。(3)オハダニヤット・トリカの修行体系である。以下では、報告の内容に沿って、具体的に報告する。
 (1)は、首都ダッカを代表する聖者廟であるシャハ・アリ廟における、193人のイスラーム宗教者に対する悉皆調査の分析である。具体的には、民間宗教者の地域的分布、タリーカ系統の分析、宗教的実践の形態の3点が検討された。これらの分析から、特に、「チャール・トリカ(4つのタリーカ)」と呼ばれる考え方が指摘された。これは、様々なトリカの優れた部分を集めることで、独自の教義や修法を確立し、究極的には独立したトリカを形成して行こうとする志向性を持つ概念であった。
 (2)では、ベンガルの代表的な民衆スーフィー教団である、マイズバンダル教団が取り上げられた。特に、教団に認知される聖者性の根拠を、サッジャダナシン(教団の後継者)、アウラード(聖者の一族)、コリファ(聖者の後継者)の3つのカテグリーに分類し提示した。ここでは、伝統的なスーフィー教団の系統を引きつつ、一方でベンガルの多様な文化的要素を取り入れながら教団組織が確立される過程が、その聖者性の継承システムの分析を通して検討された。
 (3)は、バウルなどのベンガルの出家修行者によって構成されるオハダニヤット・トリカと呼ばれる集団が取り上げられた。特に、身体を象徴的な宇宙と見なし、それを中心に実践される固有の修行体系が検討された。とりわけ、「本当のメッカは人間の身体の中にある」というテーゼに含まれる、南アジア的な宗教観とイスラーム性との間の、緊張感のある宗教的世界の構成が検討された。
 以上の分析を踏まえ、これらの事例を体系的に位置付けるために、「ベンガルの民俗宗教の理解のためのモデル」が提示された。これは、ベンガルの聖者信仰の修行体系で強調される意識の4つのレベルを縦軸に取り、ヒンドゥー性とイスラーム性を連続したスペクトラムとして横軸にすることで、多様な事例をその座標の上に位置付けて行こうとするものであった。会場からは、特にこのモデルの妥当性について、熱心な討議が行われた。とりわけ、イスラーム性の強調が意識の深層に降りるに従い薄れて行き、ヒンドゥー性に近づいて行く点には、多くの問題が在ることが指摘された。
 最後に報告では、このような意識の階層性はひとりのムスリムの中にも見られるものであり、そのような観点が、ベンガルのイスラーム文化を、より広がりと奥行きあるものとして理解する視点をもたらすこと。特にこのことは、Eatonのイスラーム化のモデルを再検討する上でも、示唆的であることが指摘された。
[発表者:外川昌彦(広島大学)]


調査報告について

2000年8月28日から9月18日にかけて、赤堀雅幸(上智大学)、今松泰(神戸大学大学院)、森山央朗(東京大学大学院)が、「東方イスラーム世界の民衆宗教に関する調査・研究ートルコおよびパキスタン」のタイトルの下に行った共同調査の成果について、その概要をスライドとビデオを交えて報告した。調査の詳細については、出張報告を参照されたい。
[報告者:赤堀雅幸(上智大学)]