2班合同ワークショップ「インドネシアにおけるイスラームと社会開発・民主主義」 報告書

日時:2000年2月26日(月)午後1時から6時
場所:上智大学
報告者:
小林寧子氏(愛知学泉大学)
「インドネシア新秩序体制下におけるイスラームと政治─概観─」
Islam and Politics under the New Order in Indonesia: An Overview

マスダル・マスウーディー氏(プサントレン社会開発協会[P3M]代表、ナフダトゥル・ウラマー中央宗教評議会副書記)
「ナフダトゥル・ウラマーとインドネシアにおける民主化」
Nahdlatul Ulama and Democratization in Indonesia

コメンテーター:見市建(神戸大学大学院)、中田考氏(山口大学)

 インドネシア最大のイスラーム団体ナフダトゥル・ウラマー(ウラマーの覚醒、以下NU)の若手改革派リーダーであり、プサントレン(イスラーム寄宿学校)における政治教育とジェンダー教育、コミュニティー・ディベロップメント活動を行ってきたNGOの代表者であるマスダル・マスウーディー氏を招き、ワークショップが行われた。
 小林氏はインドネシア新秩序下におけるイスラームの非政治化と再イスラーム化の過程について概観し、ポスト・スハルト期の状況に関しても言及した。スハルト新秩序体制下では、1960年に非合法化されたマシュミ党(Masyumi)の復活が許されず、またイスラームを五公認宗教の一つとするパンチャシラ(Pancasila)をすべての大衆団体に押しつけることでイスラームの非政治化がおこなわれた。他方でイスラームは日常生活に徐々に影響力を拡大し、再イスラーム化が起こった。排他的で非寛容な勢力と、イスラームの多元性を認め教義の文脈的解釈を行う勢力双方が台頭した。体制側は再イスラーム化を利用し、1990年にはインドネシア・ムスリム知識人協会(ICMI)を設立した。ICMIはムスリムの「アファーマティブ・アクション」を求めたが、インドネシアの多元的な統一を目指すNUのアブドゥルラフマン・ワヒドはこれに反対した。ICMIの設立以降、スハルト体制末期には宗教を政治的シンボル化する傾向が強まり、宗教的な紛争が政治に利用される事件が頻発した。アブドゥルラフマン・ワヒドは大統領になったが、彼の説く「宗教的寛容」は試練に立たされていると分析した。
 マスダル氏はNUのインドネシアの民主化への役割を、イスラームの思想的背景を示しながら説明した。国家を持つことは預言者が建設したマディーナ国家などから正当化されるが、国家権力というのはしばしば専制的になるのでウラマーは国家権力から距離を置くべきである。NUが信奉する穏健なスンニー派の政治思想は東洋的、特にインドネシア島嶼地域の社会的調和・統一・安定の思想と一致する。独立戦争におけるジハード(聖戦)の宗教的見解(fatwa)、1984年にはパンチャシラ国家をインドネシアの最終形態とすると宣言するなど、NUはインドネシアの統一と安定を推進してきた。他方で1984年にNU中央執行部議長となったアブドゥルラフマン・ワヒドは世俗的・民主的・多元的国家を目指すことを明言し、ICMIに対抗して「民主主義フォーラム」を設立するなど、民主化・市民社会勢力としてのウラマーという立場を明確にした。しかし、少なからぬNUのウラマーたちは未だ封建的、保守的であることが指摘された。マスダル氏が代表を務めるP3Mはハルカ(halqah)と呼ばれるセミナー活動を通してウラマーに民主主義と市民社会実現のための政治教育をおこなっている。P3MはNUの会員がほとんどで、ハルカではウラマーの言語、つまりイスラーム法学(fiqh)を使用しているため、広く受け入れられている。例えば民主主義はクルアーンの中のsyura(公的な協議)の概念によって説明される。依然として経済的・教育的レベルが低いインドネシアでは民主主義は「贅沢品」である。宗教・社会組織(Jam'iyah)としてのNUは民主主義についての宗教的概念形成とともに、社会的・物質的な条件の改善に役割を果たす必要がある、と結論づけた。
 2名の発表を受け、コメンテーターの見市は、プサントレン(イスラーム寄宿学校)のウラマーと、最近ではP3MをモデルとしたNGOを多く抱えるNUを単一の組織として理解することの問題点を提起し、また他のイスラーム勢力とナショナリスト勢力の中道にあるNUの政治的立場について議論した。中田氏はアラブ世界を中心としたイスラーム思想研究の立場から、インドネシアにおけるイスラームの伝統主義と近代主義の二分法による理解に疑問を呈した。インドネシアのイスラーム勢力は、NUが代表する四法学派によるイスラーム法学の「伝統」に従う伝統主義と、ムハマディヤが代表する法解釈に「近代的」な理性を導入しイジュティハードを認める近代主義に二分される。しかし、クルアーンとハディースの直接的な適用とイジュティハードを認める人々はアラブ世界ではサラフ主義と呼ばれており、インドネシアの近代主義はサラフ主義に近く、反対にアラブの文脈における近代主義はインドネシアにおける世俗主義である、と指摘した。インドネシア政治やイスラーム勢力におけるNUの立場について、またP3Mを含めたNUの草の根レベルにおける具体的な社会・経済活動について、その背景にあるイスラーム法学の規範的役割についてなど、マスダル氏との活発な質疑応答が行われた。

(見市 建:神戸大学大学院)