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海外出張報告

by 中西久枝

中西久枝(光陵女子短期大学)
目的:現代イラン政治思想に関する調査(1-a「現代イスラム思想」の研究活動の一 環として)
渡航先:イラン・イスラム共和国
期間:1998年8月3日ー8月16日

報告:今回の海外出張は、大別してふたつの目的があった。ひとつは、現代のイラン における思想潮流の調査、もうひとつは、それをふまえた上で、イランの現代思想家 の代表的な著作のなかから、今後日本で翻訳を通して紹介していく本を選定すること であった。いずれも、新プロで筆者が協力者として所属している、1-A「現代イスラ ム思想」の研究活動の一環としてである。

 まず、現代イランにおける思想潮流についてであるが、昨年発足したハ-タミー新政 権のイランでは、出版、報道の自由がかなり進んでいる感がある。新聞の種類はおよ そ20、キオスクのような町角のスタンドで売られている雑誌の数は、約50ほどで あった。イランの歴史のなかで、こうした出版の自由が進んだ時期は、立憲革命期、 モサデク政権期、1979年の革命直後の3つの時期が一般にはあげられる。革命後 のイランで言えば、革命直後の一時期を除けば、現政権下のイランが、言論と出版の 自由化が最も進んでいると言ってよいだろう。ハ-タミー師は、昨年の大統領選挙以来 、イランにおける市民社会の建設をメディアを通じてさかんに強調しており、法の統 治、女性の社会参加などのスローガンと並んで、出版、報道の自由化を重要な政策目 標にしてきた経緯もある。こうした流れのなかで、イスラム指導省の主催による「市 民社会」論の国際セミナーが今年1月に、ついで6月には「共和制」に関するセミナ ーも開かれ、12月中旬には、「文明間の対話」という国際セミナーが開催される予 定になっている。西側諸国との関係改善をめざして、国際的なイランのイメージアッ プを試みているハ-タミー外交が、そのままこうした面に反映されているようである。

 今回の調査では、ハ-タミー政権下の現代政治思想の主要な潮流と見られる市民社会 論に関する資料収集を行った。このテーマに関する本をはじめ、過去2年間の新聞や 雑誌に掲載された記事や論文、すでに開催された2つの国際セミナーのプロシーディ ングなどを収集した。また、この分野でさかんに執筆活動をしている知識人や上記の セミナーを担当した外務省、イスラム指導省の方々にインタビューをする機会にも恵 まれた。具体的には、イラン国際問題研究所の湾岸研究のディレクター、外務省教育 ・文化担当の次官、イスラム指導省の文化担当次官、イスラム関係機関(サーズマー ネ=エルテバーテ=イスラーミー)のイスラム思想研究センターの研究員、イラン戦 略研究所の研究員などである。

 収集した資料の分析はこれからの作業であるが、全体的な印象としては、「イラン における市民社会の創設」という概念は、かなり包括的なものであるという点である 。つまり、現代イランの知識人は、現代イランが抱える政治、経済、文化、外交のさ まざまな課題を議論していくうえでのツールとして。この概念を利用しているように 思われる。具体的には、ヴェラヤーテ=ファギーフ制、法治国家のありかた、少数派 の権利、人権、女性の社会進出、イスラムと民主主義、イスラムとリベラリズムなど 、「市民社会」の枠組みで議論されているテーマは多岐多彩である。また、保守派、 リベラル派のウラマーから左翼系の知識人に至るまで、さまざまな背景をもつ知識人 たちが、この概念の名のもとで議論を展開している点が興味深い。筆者がインタビュ ーした人達のなかには、「イランが市民社会を構築するためには、西洋の文化価値の なかからイランが学べることは取り入れていくべきである」と主張する者もいた。革 命直後の反西欧的な思想潮流を鑑みると、こうした主張を堂々と言ったり、書いたり できる状況は、革命後19年の年月を経た現代イランが、着実に変化していることを 示しているように思われる。前述の共和制に関する国際セミナーの趣旨も、「イラン ・イスラム共和国」の国家としてのありかたを、「イスラム国家」(フクーマテ=イ スラミー)としてより、「共和制国家」(フクーマテ=ジョムフーリー)としての側 面をより強調する点にあったことが、プロシーディングからも伺えた。この点は、イ ラン革命の意義を、「イスラム」革命としてでなく、大衆の政治参加を基盤にした民 主的な制度としての「共和制」の樹立に見い出すという、「イスラム」色がより薄ら いでいる現代のイランの政治文化を反映しているように思われる。

 今回の調査では、前述のように、イランの現代思想家の代表的な著作のなかから、 今後翻訳などを通じ紹介していくため本の抽出作業も行った。作業としては、本屋め ぐりと上述の研究所めぐりが主であった。そのあいだにさまざまな人々との出会いが あった。今回の調査の最大の成果は、アヤトッラー=ジャアファリー師との出会いで はないかと思う。アヤトッラー=ジャアファリー師とは、直接会見する機会を得、1 時間間半にわたって、西洋とイスラムの比較文明論をはじめとして、人権、人間の尊 厳などについて、師の考えの一端を聞く機会にも恵まれた。筆者は、アヤトッラー= ジャアファリー師の著作「イスラムと西洋の見解から視た人間世界の権利」の本を、 今後抄訳としてがけていくことにした。師からは、翻訳の許可もいただくことができ た。この著書は、1991年に書かれたが、現代イランでの「イスラムにおける人権」 思想を、西欧の人権思想との比較で論じた画期的な力作であると筆者は考えている。 こうした思想研究は、21世紀のイスラム社会のありかたを探るための指標を提示し ているのみならず、イスラム世界と西洋社会の共存のありかたをも模索する際にも、 重要なメルクマークになると思われる。

 調査期間は、テヘランに到着後数日して、アフガニスタンのターリバンがイラン人外交官などを人質に捕る事件、次いでケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件 がおこるなど、イランを取り巻く国際環境が変化した時期と重なった。こうした事件 の報道や市民の声を聞けたことは興味深かった。全体としては、調査は実りの多いものになり、収集した資料の分析に今後着手していきたい。

(文責:中西久枝)


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