海外出張報告

by 森本公誠


出張者名:森本公誠(東大寺教学執事)

期間・場所:1998年10月23日−10月29日・フランス、イギリス

概要:

11月24日フランス国立図書館に行き、東洋写本部にてイスラーム法廷関連 『法官提要』の新所蔵写本の検索に努めたが、既刊本の原写本しか見出すことは できなかった。また今後の資料収集の補佐を目的として日本語の堪能なドミニク・ パルメ氏と接触・面談した。11月25日はフランスからイギリスへの移動に大部分 の時間を費やした。26日はロンドンからケンブリッジに移動し、ケンブリッジ大学 にてロンドン大学シムズ・ウィリアムズ教授ならびにケンブリッジ大学ジェフリー ・カーン博士と面談、近年北アフガニスタンならびにウズベキスタンで発見された 多数の初期イスラーム時代アラビア語文書(法律・行政)およびバクトリア語法律 文書についての情報を収集、両者によると、目下アラビア語文書については解読中、 バクトリア文書については解読はほぼ終了したが、出版については未定とのことで あった。11月27日はロンドン郊外にあるハリーリ・コレクションの倉庫へと赴き、 副学芸員ナセル嬢の世話で、新発見のアラビア語・バクトリア語文書のうち、 20数点を閲覧、中には巻かれたままのものもあった。翌28日ロンドンを出立し、29日帰国した。

出張報告:

「北アフガニスタン新発見のイスラム初期アラビア語文書について」

 近年、アフガニスタンでバクトリア語による文書が多数発見され、学界の話題となっ ている。 バクトリア語とは北アフガニスタンを中心とするバクトリア地方の古代言語で、イラ ン語に 属するが、ギリシア文字で書かれている。紀元前4世紀にアレクサンダー大王がバク トリア を征服したあと、長いあいだギリシア語が文化・行政言語として使用されていたが、 北方から やって来てこの地方を征服し支配者となったクシャーン朝は、やがてギリシア文字を 用いて 土着言語を表現するバクトリア語を公用語とするようになった。クシャーン朝のカニ シカ王 はその推進者で、バクトリア語を貨幣の銘文の言語とした。これ以降一千年近く、 バクトリア語は西暦3世紀前半、クシャーン朝がササン朝に滅ぼされたあともアフガ ニスタン ・北インド・中央アジアの一部で使用され続けた。 ただこれまで、バクトリア語の文献といえば、クシャーン朝の貨幣のほかはわずかに 碑文が存 在しているだけであったが、1991年以降バクトリア語で書かれた文書が続々と発 見され、 現在のところその総数は百点に達しているといわれ、その大半はロンドンのナセル= デヴィド =ハリーリ博士Dr.NasserD. Khaliliのコレクションに帰し、ごくわずかは平山郁夫画 伯ほかの 所蔵となっている。これらバクトリア語文書の解読はロンドン大学のニコラス=シム ズ= ウイリアムズ教授 Nicholas Sims-Williamsによって進められている。

 同教授によれば、これら多数の文書は幾人もの人手を経ているので発見地は明らか にされて いないが、おそらくは北アフガニスタンのサミンガーン Saminganであろうという。 内容的にいえば、文書の多くは手紙であるが、次に多いのは法律文書で、契約文書や 売買、 保証、受領、贈与などの記録からなるという。なかには一妻多夫制を示す結婚契約文 書や 奴隷解放文書が含まれている。これらの法律文書は紀年をもっていて、西暦の342年 から 781年に当たる。ここで興味深いのは年代の下限はすでにイスラム時代に入っていることであり、しかもバクトリア語と平行して、初期イスラム時代のアラビア語文書も発見 されて いるということである。初期イスラム時代に属するアラビア語文書がエジプト以外、しかも 中央アジアに近い北アフガニスタンで発見されたことは、初期イスラム時代の歴史や 法制史の 研究にとって画期的なことといえる。 シムズ=ウイリアムズ教授が東京その他で行った講演では、少数のアラビア語文書が 発見され ているという事実にしか触れられていなかったが、昨年11月、筆者はより詳しい情 報を得る ためにケンブリッジ大学でシムズ=ウイリアムズ教授と、蒐集家のデヴィド=ハリーリ 氏から 委託されてアラビア語文書の解読に当たることになっているケンブリッジ大学のジェ フりー= カーン博士 Dr. Geoffrey Khanと面談した。カーン博士によれば、アラビア語文書の 点数は 約25点で、その大半は租税の受領文書であるが、ほかにいくつかの契約文書も含まれ ている とのことで、それらのアラビア語文書の解読はまだかなり先になるようであった。 筆者は二人の研究者と面談した翌日、ロンドン郊外にあるデヴィド=ハリーリ博士の コレクションの倉庫へ赴き、学芸員のナフラ=ナサル嬢 Nahla Nassarの世話で新発見 の アラビア語・バクトリア語文書のうち20数点を閲覧、簡単なスナップを行った。 文書の大半は羊皮紙に書かれていて、なかには巻かれたままのものもあり、ナサル嬢 によれば 確かな所蔵点数は不明とのことであった。一見したところ、これらの文書のうちには、たとえば奴隷解放文書とおぼしきものが あり、同類のバクトリア語文書やエジプト出土の文書との比較など、文書全体の解読が進めば、初期イスラム時代の行政史や法制史の研究のうえで様々な問題が明らかになると思われ、カーン博士による校訂出版が待たれるところである。



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