海外調査報告

柳橋博之
(1-Cグループ)




[期間]1997年12月10日〜12月30日
[出張先]スペイン、モロッコ
[報告の主たる内容]イスラーム法の理論と実践に関するヨゼフ・シャハト国際会 議第2回大会(II Joseph Schacht Conference on Theory and Practice in Islamic Law)の事次第

 昨1997年12月にスペイン、モロッコに出張したのでその概要を報告する。 12月10日、東京を発ち、空路(当たり前か)スペインを目指す。 翌11日、マドリッドにある高等科学研究院(Consejo Superior de Investigationes Cientificas, 略称CSIC)の文献学研究所(Instituto de Filologia)にフィエッロ(Maribel Fierro)女史を訪ねる。話題の多くは今回の私 の主目的である国際会議に関するものであったが、スペインにおける学問研究一 般その他にも話が及んだので、参考のためにかいつまんで紹介しておきたい。

(1) かつてのフランコ政権の下では、大学に対する予算は極度に切りつめられ、 スペインは学問的にも停滞していたが、1975年のフランコの死後、スペイン政府 は意図的に大学における研究の充実・拡大に努めている。とくに現在では、大学 院生を国外に留学させることには熱心で、分野にもよるのであろうが、とくに新 しい方法論を学ばせるために2年間の留学のプログラムと予算が組まれていると の由である。私が会った大学院生も、来年から2年間アメリカに留学すると言っ ていた。

(2) 同時にスペイン政府は研究プロジェクトに対する予算も増やし、今回の国際 会議も、フィエッロ女史を代表とする、イスラーム世界におけるカーディーの役 割に関する3年プロジェクトの一環としてスペインが開催国となったものであ る。ただしこの国際会議自体は、第1回が1994年ライデンで開催されたもので、 今後も定期的な開催を予定しており、今回はこのプロジェクトを行っていたスペ インが名乗りを上げたということである。(なお次回大会は、マレーシアが名乗 りを上げているとのことである。)もっともスペイン政府も資金潤沢というわけ ではないので、今回予定していた東欧の研究者招聘は断念せざるを得なかったら しい。

(3) スペインの大学研究の旧来の特色として、師資相承とか学統という考え方が あり、イスラーム研究の世界でも、マドリッド大学のA教授、その弟子のB教 授、同様にC,Dという歴代の教授は一種のファミリーを形成していて、俗にバ ニーAと称されていたとのことである。(この話、私は面白く聞かせていただい たが、具体的な名前を忘れ、A、B等で代用したので臨場感が損なわれてしまっ た。)

(4) スペインの学問は一般にそうであるが、永らく閉鎖的で、国外との交流があ まりなかったことと、主としてスペイン語で成果を発表することから、国外では スペインのイスラーム研究の成果や水準はほとんど知られていない。女史のカー ディーに関するプロジェクト、それに今回の国際会議開催も、この点を是正する ことを一つの目的としているとのことである。とはいえ、アンダルス研究の本家 本元とも言えるスペインの研究に対する、とくにアメリカ人の無関心ぶりにはい ささか目に余るものがある。

(5) スペイン人の対イスラーム観も興味のあるところであり、この点についても 尋ねてみたが、学界においても、たとえばスペイン史の研究者のイスラームある いはイスラーム研究に対する反応は概して冷ややかであるとのことであり、たと えばアンダルスの歴史や文化を自国の歴史や文化の一部と考える人間は少ないと のことである。

(6) この会見の場では、エスコリアル修道院の話も伺ってみた。アンダルスに興 味のある方には周知のことと思うが、この修道院はアンダルス関係の写本の宝庫 である。インターネットによる検索では利用方法ははっきりしなかったし、フィ エッロ女史もその点には触れなかったが、どうやら行けばどうにかなるような場 所らしい。ただ開館時間は10−14時で、月曜日は休館とのことである。 12月12日、マドリッド郊外のエスコリアル修道院に電車で1時間強、さらに徒歩 で30分弱をかけて到着。どこが図書室なのか分からないので、切符売場の人の指 差す方向に歩いていき、さらにそこにいた職員らしき人に尋ねて(スペイン人は ほとんど外国語を解しないので、場所を聞く位の語彙は準備しておきたい)何と かたどり着く。ブロッケルマンのコピー(全冊ではない)を示し、印を付けた幾 つかの写本の題名を指差して、これが見たいと係の人に伝えると、パードレがや ってきて、ラテン語で書かれたカタログを見せてくれた。著者と題名はアラビア 語でも表記しているので、面白そうな写本のマイクロフィルムの作成を依頼し た。さすがにマーリク派関係の写本には面白そうなものが多かった。

 12月16日火曜日より、グラナダにて、本題の国際会議が開催された。なお近々グ ラナダを訪れる人のために、長距離バスの操車場は、これまでの操車場の東南に 移転しており、最寄りの地下鉄はメンデス・アルバロ(Mendez Albarro)となっ ている。もう一つ参考までに、グラナダへの列車は、高く、遅い。 会議のテーマは「イスラーム法におけるカーディーの役割:理論と実践」(The Role of Qadis in Islamic Law: Theory and Practice)である。会議は5日間に わたって行われ、報告者は42人を数えた。ここでは報告者と演題はすべて掲げる が、内容については私が興味を持ったものを紹介するにとどめ、最後に全体とし て気付いた点を指摘する。

12月16日

第1セッション: Profile of a Qadi,I
1.1. Wael B. Hallaq, "Qadi's communicating: legal change and the law of Documentary Evidence"
1.2. J. Brokopp, "A Mirror for Qadis. The Lives of Abdalla b. Abd al-Hakam and Sahnun b. Said"
1.3. A. Carmona, "Man yastahiqq al-qada: The ideal profile of the qadi candidate"
Gleave, "The Role of the Qadi and the system of qada in classical Shiite jurisprudence"

第2セッション:Judicial authority and extra-judicial activity
2.1. R. El Hour, "The Andalusi qadi in the Almoravid period: political and judicial authority"
2.2. B. Jokisch, "Socio-political factors of qada in 8th/14th century Syria"
2.3. I. Calero Secall, "Rulers and qadis: their relationship during the Nasrid kingdom"
2.4. Y. Dutton, "Judicial practice and the origins of Madinan amal: qada in the Muwatta of Malik

12月17日
第3セッション:Profile of a Qadi,II
3.1. B. Johansen, "Creation of legal norms through dispensation of justice: A modern European and classical Muslim debate"
3.2. U. Rebstock, "A qadi's error"
3.3. M. D. Bakar, "A note on Muslim judges and the professional certificate"
3.4. N. Moosa, "Women's Eligibility for the Qadiship"

第4セッション:Qadi and Waqf
4.1. E. Kermali, "Seyhul-Islam and kadi joining forces for the benefit of the gavur"
4.2. R. Van Leeuwen, "The qadi al-Shams and the administration of waqfs in Ottoman Damascus (18th c.)
4.3. A. Singer, "Part of the Job: qadis and waqf management"
4.4. M. Winter, "Administrative and legal procedures in early Ottoman Damascus"

第5セッション:Modern Period, I
5.1. R. Peters, "Qadis and councils: the judicial organization of 19th century Egypt"
5.2. A. Laysh, "The qadi's role in the Islamization sedentary tribal society in Libya: denial of paternity"
5.3. Y. Reiter, "Discord as a legal basis for divorce among Israeli Muslims"
5.4. A. E. Mayer, "Lessons of the Zaheruddin case: why adjudication of constitutional and Islamic issues should not be combined"
5.5. M. B. Hooker, "Qadi jurisdiction in contemporary Malaysia and Singapore"

12月18日
第6セッション:Qadi and mufti
6.1. D. S. Powers, "Qadis and muftis in the Maliki west: ca. 1250-1500"
6.2. M. Muranyi, "Das Kitab ahkam Ibn Ziyad. Uber die Idenzifierung eines Fragmentes in Qairawan"
6.3. D. Serrano, "Legal theory and practice in an Andalusi and Maghribi source of the 6th/12th century"
6.4. H. Lahmer, "Characteristic of the nawazil law in Morocco and its role in the development of Islamic law"
6.5. A. Zomeno, "The Style of Fas courts '14th-15th centuries). Marriage in practice"

12月19日
第7セッション:Qadi and Procedure, I
7.1. M. Khalid Masud, "Procedural law between traditionalists, jurists and judges: the problem of witness as evidence"
7.2. J.-P. Vanstaevel, "Savoir voir et le faire savoir voir: des relations entre qadis et experts en construction, d'apres un auteur tunisois du VIIeme/XIVeme siecle"
7.3. Z. Ghazzal, "Discursive formations and the gap between theory and practice in Ottoman sharia law"

第8セッション:Qadi and Procedure, II
8.1. J. Wakin, "The qadi's archives: the public aspect of notarial literature"
8.2. Ch. Muller, "Judging with God's law on earth: judicial powers of the qadi al-jamaa of Cordoba in the 5th/11th century"
8.3. M. Schatzmiller, "The legal system and the implementation on women's property rights in Muslim Spain"
8.4. L. al-Zwaini, "Judges with many caps: a description on legal and judicial plurality in present-day San'a"
8.5. Z. Jaffar, "The role of the qadi vis-a-vis other enforcement agencies in the Islamic commercial practice"

第9セッション:Qadis and the Frontier
9.1. H. Yanagihashi, "Qadi's jurisdiction and the applicability of Islamic law"
9.2. M. Arcas Campoy, "Cadies and alcaides of the Nasri eastern border"
9.3. J.-P. Molenat, "Les alcaldes et alcaldes mayores de moros de Castille au XVe siecle"
9.4. M. Greene, "Commercial risk in the Ottoman Eastern Mediterranean: the role of the kadi"

12月20日
第10セッション:Modern Period, II
10.1. J. Goldberg, "The foundation of commercial law in 19th century Egypt"
10.2. R. Shaham, "An Egyptian judge in a period of change: Qadi Ahmad Muhammad Shakir (1892-1958)
10.3. L. Skiainen, "The Islamic Shari'a as a source of legislation and its interpretation by constitutional control bodies of the Arab States"
10.4. N. Bernard-Maugiron, "La Haute cour constitutionnelle egyptienne et la sharia islamique"

 まず最初に、これら個々の報告の中で興味深く感じられたものを挙げておきた い。

 1.2. ブロコップ氏の報告は、伝記の読み方に焦点を当てたものである。法学者 の伝記には、敬虔とか学識があるとかの紋切り型の形容が多く現れる。こうした 記述は定型的であまり内容がないとして読み飛ばしがちであるが、本報告は、カ ーディーや一般に法学者のあらまほしき姿の投影としてこうした形容を解釈する という立場から、法学者の社会的な地位や機能を推定しようという試みである。

 1.3. カルモーナ氏の報告は、カーディーたる資格に関するマーリク派学説の展 開を概観しものである。その変遷の意義に関する氏の説明はかならずしも明快で はなかったが、今後の研究課題としては面白いと感じた。

  2.2. ヨキッシュ氏の報告は、多数ある8/14世紀シリアのカーディーの伝記か ら丹念にデータを抽出して、在任年齢や在任の期間や任命・解任・再任のパター ンを通じて、カーディーのあり方、あるいは統治者とカーディーの関係に光を当 てようとするものである。この報告に対するフロアーからのコメントとして、カ ーディー就任を忌避するという傾向が法学者に普遍的なものであったのか、そう だとすればそれはなぜなのかという疑問が、何十年も未解決のままであるという 指摘がなされた。やはり重要な問題であろう。

  2.3. ダットン氏の報告自体にはあまり賛同できなかったが、面白かったのは、 『ムワッター』に関するムーラーニー氏のコメントである。曰く、現存する限 り、マーリクの4人の弟子がこれを後世に伝えている。その中で、現在最も多用 されているのは、ヤヒヤー・ブン・ヤヒヤー・アッライシーの伝(riwaya)にな るものである。この校訂はフアード・アブドルバーキーの手になるが、これには 使用した写本が明示されておらず、自分はこれをリワーヤト・フアード・アブド ルバーキーと呼んでいる。

  確かに近時イスラーム法の揺籃期の研究が深化を見せるにつれ、写本の問題が重 要になっている。私もかつて、ハナフィー派の法学者サラフスィーによる『マブ スート』の中で、校訂本には"'aqd"とあるが、これは元は"'aqr"だったはずだと して、それにしたがって解釈をしたことがあった。私の知る限り『マブスート』 のテキストを写本に遡って確認した旨を記した研究者はいないが、これからはそ のような作業も必要になるのかもしれない。

  3.2. レブストック氏の報告は、カーディーの誤謬をどのように処理するかに着 目したもので、個々の説明にはとくに目新しいものはなかったが、ただ法学者が ある制度を一つのシステムとして構築していく際の思考過程にも着目すべきであ るという視点に斬新さを感じ、模倣してみたいと考えた。

  4.1. ケルメリ女史の報告は、オスマン帝国の中央政府と、ダマスクスの在地の 政治勢力の中で、カーディーがどのように振舞っていたかに着目したものであ る。

 5. 2.ライシュ氏の報告は、現代のリビアの、規範的なイスラームをいまだ受け 入れていない定住部族において、いかなる条件の許でカーディーが実効的にイス ラーム法を適用することができるのかを述べたものである。カーディーも社会的 現実に合せて法を柔軟に適用しなければ、影響力を行使することができないとい う、結論としては常識的な線であるが、これは裏返せば、前近代のイスラーム法 の体系もこのような前提で解釈しなければならないということを再認識させる上 では面白いと感じた。

  5.3.ライター氏の報告は、古典イスラーム法において、離婚の原因となりうると された「不和」(nushuz)が、伝統的なカーディー法廷ではほとんど離婚の成立を 導くことがなかったのに対して、イスラエルの立法政策の影響下、現代イスラエ ルにおけるムスリムの身分法廷ではカーディーが、「不和」に欧米法におけるそ の意義を適用することによって、離婚の成立を容易に認めるようになっていると いう指摘である。法解釈学としてはオーソドックスな手法であるが、イスラーム 法の研究者はこのような手法にあまり熟達していないことが多いので、このよう な堅実な(この言葉はかならずしも賛辞とは取られないのが普通であるが)研究 は私の好みである。

  5.4. マイヤー女史の報告は、パキスタン最高裁判所によってイスラームのある 宗派に対して下された、イスラームを自称することを禁ずる旨の判例を詳細に論 じたものであり、結論として、その解釈の方法においてはパキスタンの法廷は、 むしろ英米法の系譜に属する。しかしイスラーム世界の裁判所は、事案がイスラ ームに関する限り、伝統的なイスラームの教義に通じた裁判官(カーディーはそ の代表となるであろう)による裁判を行うべきであるという指摘をしている。し かし今回は女史は、いささかユーモアとカリカチュアが過ぎたようである。私 は、女史の論調から、要するにパキスタンの裁判官は、裁判の前から心証を固め ていて、判決理由は何でもよいと考えていたと見るべきであり、パキスタンの裁 判官が英米法の判決を引用しているのは単にためにする議論であったという印象 を受けた。

  6.1. パワーズ氏の報告は、西暦13−15世紀のアンダルスやマグレブにおける裁 判の実例を幾つか挙げたものである。最初の判決が出た後に、ファトワーによっ てそれが取消を受けるなど、カーディー裁判の現実の過程が紹介されており、手 法としては氏自身の従来の研究の継続であるが、西方マーリク派にはまだ写本の ままの著作が多く残っていることからしても、まだまだ実り豊かな手法ではあ る。8.2.も同様の系統の報告である。

  7.2. ファンシュターフェル氏の報告は、建築物に生じた、あるいは建築物が及 ぼした損害をめぐる訴訟において、建築や造作の専門家の鑑定が、判決の形成に どのように寄与するのかという問題を扱ったものである。通常カーディー法廷は 法定証拠主義を取っており、判決の基礎となる事実の確定において、法定の要件 を満たす証人の証言を真実のものとして採用しなければならないとされている が、事実の中には、経験則上の事実や、専門家でなければ判断ができない事実も あり、これらをどのように扱うのかという問題が実は残っている。自慢ではない が、私もこの点には気付いてはいたが、今日まで手をつかねていた。氏の着眼は カーディー裁判の性格を知る上で重要である。本報告は氏の博士論文を基になさ れたものであり、中身を読んでみたいと思った。

  8.1. ウェイキン女史の報告は、3/9世紀のハナフィー派の法学者タハーウィ ーの"Kitab al-shurut"の未公刊の部分の紹介である。内容は、カーディーが、 事実をどのように確定し、また判決文をどのように書くべきかという手引きであ るが、この中で、同じ事案が別の学派に属するカーディーの法廷に提訴されると いう事態をも念頭に置いて審理を行い、判決を下す際の手順をも同書が説明して いるという指摘をしたように聞こえた部分に興味を感じた。しかし後でペーパー を見たところ、この指摘はそこにはなかった。確認を取るべきであった。

  8.2. ミュラー氏の博士論文は、近時刊行されたばかりの博士論文に基づくもの で、アンダルスのマーリク派の法学者イブン・サフル(486/1093年没)の判例集に 収録された50ほどの判例の分析である。カーディー法廷での審理においては厳格 な法定証拠主義が採られていることから、手続き上その機能には限界があること はつとに指摘されているところであるが、本報告では、カーディー法廷と、それ 以外の、行政官による裁判が、相補的に働いていることが指摘された。もっとも イスラーム世界における司法において、カーディー法廷にのみ着目するのでは不 十分であるというのは従来から指摘されていた点ではある。なお、フロアーよ り、アマル('amal、初耳という読者は、EIかMilliot, Introduction a l'etude du droit musulmanを参照されたい)の定義についての質問があり、氏は、マーリ ク派においてそれまでは、少なくとも多数説にもなっていなかった学説が、ある 土地の社会慣行に合致することから、裁判の上では正統な紛争解決の基準として 認知されるに至ったものという定義を与えており、そのような認知を欠く慣習 ('urf)とは区別されるという返答をしていた。アマルの定義や性質に関しては何 十年も前から議論があるが、私は氏のような定義によってマーリク派の著作に現 れるその用法を矛盾なく説明することができるとは考える。しかし、そもそもマ ーリク派の法学者がこの概念にそれほどの重要性を認めていたかどうか自体は疑 問であるが、これは後日の議論の種として残しておきたい。

  8.3. シャッツミラー女史の報告は、アンダルスの判例を幾つか取上げ、カーデ ィーが学説の解釈によって、妻の不利になるような判決を導いた例を示し、カー ディーの解釈が、社会慣習や当事者の心理に影響を受けることを指摘している。 これは当然と言えば当然の結論ではあるが、判決やファトワーの社会学的な史料 的価値を再認識させられたように感じた。また女史が、女性には一般に、闘争に よって利益を勝ち得ることよりも、紛争を回避し、妥協によって低いがある程度 の利益を確保することを選好しようとする心理的傾向があるとして、この前提の 上に判決に至るまでの一連のプロセスを解釈しようとしている点も、手法という 観点から学ぶべきかもしれない、少なくとも検討の余地ありと感じた。

  8.4. ズワイニー女史の報告は、現代イエメンの法体系が、イスラーム法、成文 法、部族法の三つの異質な系から構成されていることを指摘した上で、その三つ がどのように関係しているのかを述べたものである。女史は三日前にイエメンか ら戻ったことのことで、ペーパーもなく、イエメン滞在中のテレビ中継の様子を 交えながら立て板に水の調子で説明していたが、非常にヴィヴィッドな話で、お そらく話をまとめて抽象化するとどこかで聞いたような話になるのであろうが、 非常に興味深く聞くことができた。会議に出ることの一つのメリットであろう。

  10.3. スィキアイネン氏は、ロシア・アカデミーの研究員で、現代アラブ諸国 の法体制を専門としているが、今回の報告の後半は、チェチェーニアのシャリー ア裁判所の最新報告であった。ソ連邦崩壊後、チェチェーニアは、シャリーア裁 判所を設けたが、人手が足りず、わずか一ヶ月の研修を経ただけで同裁判所の裁 判官が任命されること、同国の刑法典がほとんどスーダン刑法典の直訳であっ て、ただ一箇所異なるのは、殺人や傷害罪において被害者またはその相続人が請 求することのできるディヤの内容が、スーダン刑法典では金銭(ポンド)または ラクダとされているのに対して、チェチェーニア刑法典では金銭(ポンド)また は牛とされている点のみである等の興味深い報告を聞くことができた。なお氏 は、チェチェーニア当局に、このポンドとは、スーダン・ポンドなのか、それと もスターリング・ポンドなのかを尋ねたが、明確な回答を得られなかったとのこ とである。

 つぎに、全体として、この会議でまず気付いた点は、第1に、欧米からの参加者 が圧倒的に多いということである。イスラーム諸国からの参加者は、現在欧米に 留学ないし欧米で研究している者を除くと、4人に過ぎない。渡航費用の問題、 会議が主として英語で行われることなどの理由によるのであろうが、やや物足り ない気がした。次回もしマレーシア当たりで本会議が開催されるとすれば、会議 の内容や傾向はやや異なったものになるかもしれない。

 第2に、この会議が、スペインで行われ、スペイン人の報告が多いということも 手伝って、マグレブ、アンダルスを対象地域とする報告が多かったという点であ る。とくにここ10年ほど、マーリク派の重要な著作の校訂本の刊行が相次いで いること、またまだ未公刊の写本も多く残っていることから、しばらくはこの地 域の研究の生産性は高いであろう。

  第3に、今回の会議のテーマであるカーディー裁判の分析において、当事者間の 利害調節や、政治的背景を重視する報告が多数を占めたことである。資料から読 み取れることを研究の素材とする立場から言えばそうならざるを得ないのではあ るが、それだけでもあるまいと思う。この会議にその名が冠せられたシャハトは つとにイスラーム法に見られる全体的な傾向にも都度都度言及しているが、近時 の研究はこの点をやや看過しているように感じられる。たとえばカーディーの信 仰心といった遍在する(あるいは信仰心のないカーディーもいたかもしれない) 要素に着目し、それを客観的に分析する手法を模索してもいいように思う。  第4に、テーマの設定の問題もあるが、実定法規に関心を持つ研究者が少ないと いう点である。私はこの点でも現在のイスラーム法研究の水準はけっして高くは ないと感じているので、今後我が道を行く他はないという感想を持った。


 12月22日にモロッコに向かった私は、もっぱらラバトに滞在し、al-Khizana al-'ammaにて写本を調べた。結果、Ibn Sahl, Al-Ahkamと、Muhammad b. Abidin, Nashr al-'urf fi bina' ba'd al-ahkamの2点のマイクロフィルムを入 手することができた。興味のある向きは連絡されたい。またal-Khizana al-Hasaniyya、かつてのal-Khizana al-Malakiyyaも見学し、Al-Burzuli, Al-Ahkamのマイクロフィルムの作成・送付方も依頼した。


 本を買ったとかどこそこを見学したという話は省略するが、最後にカサブランカ からマドリッドに向かう機上、ジブラルタル海峡と、ヨーロッパ・アフリカ両大 陸を一望したことを付け加えておきたい。私の貧弱な表現力をもってこれを形容 することは断念するが、ただカサブランカから飛行機でスペインに向かわれる方 には、是非飛行機の右側に座席を取ることをお勧めする。そうでなければ、たん に大西洋が果てしなく広がるばかりであり、またグラナダを見下ろすシェラ・ネ バダの高峰も見られないからである。この体験も含めて、成果の多い調査旅行で あった。最後になったが関係各位への感謝を申し上げたい。






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