海外調査報告

堀井 優
(1-Cグループ)




筆者は、1997年11−12月、1班cグループの派遣により、ヴェネツィアにおける調査を行った。はじめにおおまかな日程を記せば、11月7日に日本を出発し、11月8−10日にイスタンブルにて、同地に滞在中のグループ-リーダー、鈴木 董・東京大学東洋文化研究所教授との打ち合せを行った後、11月12日から12月17日までヴェネツィアに滞在して調査を行い、12月19日に帰国した。

今回の調査の主な目的は、cグループの研究テーマ「イスラームの法と国家」に関する史料調査であった。cグループの研究計画によれば、最初の3年間の研究活動は、イスラーム世界における国家の支配構造および社会の法的規範の構造を明らかにし、その特質を他の文化圏の場合と比較することを目的とする。今回の調査は、この計画を視野に入れ、筆者の研究対象とする地域・時代・テーマの範囲内において行われた。調査の目的として筆者が事務局に提出したテーマは、「15世紀後半・16世紀前半のオスマン朝・マムルーク朝とヴェネツィアとの関係における諸規範と現実に関する文書調査」である。

「イスラームの法と国家」を研究する上で、ヴェネツィアに現存する史料を調査することには、いくつかのメリットがある。ヴェネツィアは、東地中海交易の主たる担い手であった歴史を持つ。東地中海沿岸各地に居留民社会を築いたヴェネツィアにとって、イスラーム諸国家・諸社会の動向は、自らの存亡に関わる問題であった。ヴェネツィアの外政に関する史料のなかには、ヴェネツィア人使節・領事・居留民の活動に関する記録が大量に見られる。したがって、このような記録から、イスラーム諸国家の支配体制と、イスラーム領域内における法的規範およびその適用の実態をうかがうことが期待できる。さらには、ヴェネツィア人使節・領事・居留民の活動は本国政府の動向と密接な関わりがあったがゆえに、彼らに関する記録は、非イスラーム地域の支配構造および社会の法的規範の特質の一例をも表しているはずである。ヴェネツィアに現存する史料を調査することにより、イスラーム世界およびヨーロッパ-キリスト教世界の国家と社会の支配と法的規範の構造の比較と関連づけを行う手がかりを得ることが期待できるのである。

筆者が目下の研究対象とする地域と時代は、15世紀後半から16世紀前半にかけての東地中海世界である。当時の状況は、端的にいえば、オスマン朝やマムルーク朝をはじめとする複数の諸国家が、海上・陸上において勢力拡大を続けるオスマン朝により、ひとつの体制の下に併合されていく過程の中にあったといってよい。この時代は、明らかに、東地中海世界史における、ひとつの大きな転換期であった。しかし現在のところ、その変容の諸相は、ムスリム支配地域においても、またイスラームおよびキリスト教諸国家間の関係においても、十分に明らかにされたわけではない。むろん、当時のヴェネツィア側の第一級史料であるマリーノ・サヌートの日記はすでに公刊されているが、その内容は、文書史料の内容から検討されることが必要であろう。こういった点からも、ヴェネツィアに現存する未公刊史料が注目される。

とはいえ、ヴェネツィアに現存する膨大な史料のなかから、オスマン朝およびマムルーク朝支配諸地域全体にわたって関連する記述を選び出すことは、容易ではない。今回の調査において私は、地域的にはエジプトおよびシリアに限定することを原則とした。このような限定は、とりあえず手始めにという以上の理由がある。東地中海世界の近世への変容は、エジプト・シリアにおけるマムルーク朝支配体制の崩壊と滅亡からオスマン朝支配体制の構築へと至る過程のなかに、最もティピカルなかたちで見いだされるのではないかと期待したことが、その最大の理由である。

今回、現地において調査した機関は、次の3つである。

Archivio di Stato di Venezia(国立ヴェネツィア古文書館、以下ASV)
Civico Museo Correr(コッレール博物館)
Biblioteca Nazionale Marciana(マルチアーナ図書館)

これらのうち、現地滞在中に最も多くの時間を費やしたのが、ASVにおける文書調査であった。ASVの調査に際しては、館員で、ヴェネツィアとオスマン朝をはじめとする地中海世界のイスラーム諸国家との関係を専門とするマリーア・ピーア・ペダーニ・ファブリス氏(Dottoressa Maria Pia Pedani-Fabris)に、多大なお世話になった。同氏による調査上の助言、文書閲覧上の便宜、文書読解上の教示なしには、成果のある調査は行いえなかった。また同氏には、イタリア内外のイスラーム研究者に関する情報をも、提供していただいた。ここで特に記して、謝意を表したいと思う。

ASVにおいて最も重点的に閲覧したのは、ヴェネツィアの対外政策決定の役割を担った元老院(Senato)の決議録(deliberazioni)のうち、外交政策に関する決議を記録した"Secreti"、および東地中海方面一般の政策に関する決議を記録した"Mar"と呼ばれる文書群である。これらの文書群は、ヴェネツィアの東地中海方面に関する政策を知る上で欠かせない基本史料であるが、16世紀のエジプト・シリア方面については、いままでほとんど参照されていないものと思われる。

 "Secreti"および"Mar"ともに、まずは、同時代に作成された、必要な決議を早く検索するための索引書(Rubriche)の閲覧から開始した。

Senato
Deliberazioni
Secreti, Rubriche
reg. 3 (1483-1538)
Mar, Rubriche
regg. 1-2 (1440-1550)

これらから、上述の方針に沿って、重要と思われるものをリストアップした後、決議の記録簿の閲覧へと進んだ。実際に決議内容を読み進むうち、索引書からリストアップしたもののみでは不十分なことがわかったので、結局、閲覧請求した記録簿は、全て目を通すことにした。限られた時間のなかでは、15世紀後半から16世紀前半にかけての全ての記録簿を閲覧することは、不可能である。オスマン朝がマムルーク朝領を征服した1517年前後のものを最も優先した結果、次の20冊の記録簿を閲覧できた。

Secreti
regg. 38-40 (1500-1506)
regg. 43-52 (1510-1527)
Mar
regg. 15-21 (1500-1529)

"Secreti"のregg. 41-42が欠けているのは、索引書から有用な項目が見いだされなかったため、後回しにしているうち時間がなくなったからである。しかし、先述のとおり、実際に記録簿を見る必要があるので、今後に課題を残してしまった。また、索引書によれば、15世紀後半にあたる部分は、上述のテーマから見て重要な決議が数多くなされており、それらの閲覧も今後の課題となった。

上述の記録簿を読み進んで重要な決議を選び出していくうちに、マムルーク朝とヴェネツィアとの間に存在した規範が破綻していく様子、また、オスマン朝支配時代にはいって、従来の規範がそのままのかたちで、あるいは変容して再び機能しはじめた様子が看取できた。選び出した決議の記録は、マイクロフィルムへの複写を申請した。現在は、まだマイクロフィルムの到着を待っている段階であり、その到着後、本格的な分析にとりかかりたいと考えている。

元老院の決議録の他にも、いくつか複写の申請をした文書がある。なかでも、アレキサンドリアおよびダマスクスのヴェネツィア人居留民社会における、"cottimo"と呼ばれる基金の運営に関する決議をまとめた次の史料は、注目に値する。

Cinque savi alla mercanzia
b. 944 (Capitolare del cottimo d'Alessandria, 1321-1587)
b. 944 bis (do.)
b. 946 (Capitolare del cottimo d'Alessandria, II, 1596-1688)
b. 947 (Capitolare del cottimo di Damasco, 1490-1565)

"cottimo"は、現地の居留民社会とスルターン政権との間において必要とされる支出を賄う機能を果たした。これらの史料を上述の元老院の決議録と併用することにより、エジプト・シリアにおけるヴェネツィア人居留民社会の実態は、より明確なものとなろう。

以上の他に、次の文書の複写の申請もしくは筆写をした。

Maggior Consiglio
Deliberazioni
reg. 25 (1503-1521)(部分、筆写)
Commemoriali
regg. 14-20 (1447-1528)(部分)
Collegio
Relazioni
b. 31
Egitto
Alessandria
Cairo
b. 62(Alessandriaの部分)
(これらは全て16世紀中葉以降の史料)
Segretario alle voci
regg. 5-6(AlessandriaおよびDamascoの領事のリストの部分)

以上がASVにおける調査の概要である。マルチアーナ図書館およびコッレール博物館については、当初の私の目論見では、どのような写本が所蔵されているか調査するつもりであった。しかし、ASVにおける調査にほとんどの時間を費やしてしまったので、十分に行いえなかった。わずかに、末期のマムルーク朝に派遣された使節もしくは領事の報告を記録した、次の2つの写本を閲覧したのみである。

Giovanni Danese, "Viaggio de Benedetto Sanuto Ambasciatore de Veneziani al Soldano al Cairo nel 1502," Biblioteca Marciana, cod. ital., cl. XI, no. LXVI, pp. 377-383.
"Informazioni al Senato e lettere al console di Alessandria, di Damasco di Siria e come anche al Gran Maestro di Rodi sopra diversi affari, 1508-1510," Museo Correr, Dandolo P. D., C975/51.

これらのうち、前者を複写することができた。コッレール博物館において蔵写本カードを繰ってみたところ、16世紀中葉以降のエジプトに関する報告を記した多くの写本があることがわかった。これらは、近世のオスマン・ヴェネツィア関係史やエジプト史を研究する上で貴重なものであるはずだが、従来ほとんど利用されていないものと思われる。いずれ、これらの写本群の本格的な調査も必要となろう。

さいごに、ヴェネツィア大学、古代・近東学科、近東部門(Universita di Venezia, Dipartimento di scienze dell'antichita e del Vicino Oriente, Sezione del Vicino Oriente)の研究室を訪問したことを付け加えておこう。私は、イスラーム思想史が専門のフランチェスカ・ルッケッタ教授(Professoressa Francesca Lucchetta)の計らいにより、この研究室を見学させてもらうことができた。同部門の主流はアラブ研究であり、現地語の蔵書もアラビア語のものが多かった。同部門の機関誌として『アラブ研究ノートQuaderni di studi arabi』(現在、前述のペダーニ氏の監修で、ヴェネツィアと近東地域との関係史に関する特集号の編集作業中)がある。あいにくほとんどの教授はマドリードに出払っていて、イタリアにおける研究の状況について十分に話し合うことはできなかった。とりあえず「イスラーム地域研究」の英文ニューズレターを研究室に置いて、回覧してもらうよう依頼した。いずれ何らかのかたちで、日本の研究者との相互交流が行われることを願っている。(了)






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