第17回中央アジア研究セミナー

 日時:2002年2月23日(土) 13:30-17:00
 場所:東京大学山上会館2階 中会議室(201・202号室)
 
発表者:
ゲンナージー=イワノフ Gennadii IVANOV
(フェルガナ州立地域研究博物館)
イスカンダルベク=アズィモフ Iskandarbek AZIMOV
(カザフスタン第一建築アカデミー)


報告者 坂井弘紀(北大スラブ研究センター)



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イスカンダルベク=アズィモフ

ゲンナージ=イワノフ


 当セミナーは、フェルガナ・プロジェクトの一環として、1班・3班ならびに国立民族学博物館・地域研究企画交流センターの連携研究「西アジアの民族形成と宗教」の合同開催として行われた。会場となった会議室は満杯となり、椅子が足りないほど盛況なセミナーとなった。

 まず、建築学者イスカンダルベク=アズィモフ氏による報告が行われた。アズィモフ氏は、ウズベキスタン出身で、タシュケントの芸術学研究所に長年勤務し、昨年からカザフスタンで仕事を行う、ウズベキスタン建築史の専門家である。氏は豊富で貴重な写真や図版をもちいながら、フェルガナ地方の建造物の特徴について、歴史的な視点を交えて論じた。「カシュガルチャ(カシュガル式)(冬期に扉で閉ざして部屋としてテラスを利用する)」というコーカンドに見られる建築様式などフェルガナ固有の特徴が解説された。また、ホラズム地方では壁が15cmほどであるのにたいして、フェルガナ地方では地震が多いためそれが1mもあるといった興味深い例も示された。この地方の歴史に関連しては、迷信深いコーカンドのハンたちがハン位に就く度にそれぞれ宮殿を新しく建てたこと、その際古い宮殿を破壊したため、現在では最後のコーカンド=ハンの宮殿しか残っていないことなどが説明された。また、フェルガナ地方の建造物があまり遺っていないこと理由について、磐石な材質ではないために自然倒壊が多いこと、1908年の大地震をはじめとしてこの地方に地震が頻発すること、洪水やソ連時代の打ち壊しなどが挙げられた。報告のあと質疑応答が行われ、東トルキスタンの建築との関係やモスクの形状や建造物の構造についての解説がなされた。

 続いて、考古学研究者ゲンナージ=イワノフ氏による報告が行われた。イワノフ氏は、フェルガナ地方における考古学研究の第一人者で、フェルガナ地方の歴史と文化についても精通している。報告ではまず、フェルガナ考古学の実状について、ゾグド地方やバクトリア地方のそれらとくらべると十分には進んでいない点を指摘した。同時に「史記」の時代以前のフェルガナ地方について文献史料ではわからないことが多いが、それには考古学研究の成果が有効であると述べた。そしてフェルガナ地方東部に栄えたチュスト文化について、その遺跡から北バクトリアの同様の社会的ヒエラルキーの存在が確認できること、この文化が小さなオアシス文化の連合体であると考えられることが説明された。またエラタン文化は農耕文化であるというのが定説とされてきたが、イワノフ氏はこれにたいして異義を唱えた。さらに、紀元前6世紀ころからサカの支配下にあったフェルガナ地方では、農耕文化を持ちながら、サカの要素も合わせ持つ農耕と遊牧が混合した文化が栄えたと説明された。質疑応答では、フェルガナ地方は山がちでありながらも、周辺から様々な遊牧勢力が流れ込んできたこと、南カザフスタンに栄えたアンドロノフ文化とフェルガナ地方西部のカイラククム文化とが類似していることなどが解説された。

 報告の終了後、場所をイスラーム地域研究事務局に移し、同1班の進める「フェルガナ=プロジェクト」の成果についての説明が行われた。また引き続いて行われた懇親会においても様々な議論が行われ、セミナーは成功裏に終わった。現在大きな注目を浴びるフェルガナ地方であるが、現行の「フェルガナ=プロジェクト」に加えて、わが国ではほとんど触れられることのないフェルガナ地方の建築学・考古学に関するセミナーが行われたことは、この地域に関する研究の発展に有益であったと思われる。

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