1班b研究会 8月10日(木) 16時〜18時
アジア経済研究所

伝統への挑戦者
現代エジプトにおけるイスラーム主義運動

ディア・ラシュワーン氏(アハラーム戦略研究所研究員、カイロ)

報告:横田貴之
(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

質疑応答
(発表内容)
 現在、イスラーム主義運動に関しては、大きく分けて2つの仮説がある。一つは、特に西洋諸国で支配的な仮説で、イスラーム主義運動の全てが反近代を主張し、伝統・慣習を墨守する復古的な性質を持つとするものである。そしてもう一つは、イスラーム主義運動が血縁・地縁などの伝統的な関係に基づいた社会・慣習を乗り越えることを目指しているとする仮説である。

 イスラーム主義運動は、ムスリム同胞団に代表される社会的・政治的イスラーム運動、およびジハード団やイスラーム集団に代表される宗教的イスラーム運動の2つのカテゴリーに大きく分けることができる。しかし、これら2つのカテゴリーにかかわらず、概してイスラーム主義運動は伝統・慣習を乗り越えることを目指していると私(発表者)は主張したい。

 エジプトにおいては、血縁・地縁が社会における重要な基盤・紐帯として大きな力を持っている。例えば、上エジプトにおいては、結婚は各人の属する家族が大前提として存在しており、必ず家族間の関係性に基づいて行われる。また、イスラーム主義運動以前の政治運動や政党においても、血縁・地縁が組織づくりやリーダーシップに大きく関わっている。

 一方、イスラーム主義運動は血縁・地縁などの閉鎖的な関係性ではなく、より開放的な関係性に基づこうとしている。つまり、ムスリムとしての同胞意識である。ムスリムとしての同胞意識を重視する姿勢は、イスラーム主義運動の活動においても多く観察できる。例えば、運動への参加者のリクルートにおいては、全ての家族・地域の出身者に対してその門戸は開かれている。また、指導者としての資質においても、いかにイスラーム的であり、運動に貢献しているかということが、血縁・地縁よりも重要視されている。ムスリム同胞団の内部選挙においても、この傾向は認められる。イスラーム主義運動の紐帯の源は、伝統的な血縁・地縁ではなく、宗教的連帯感であり、そして社会的・政治的イスラーム運動ではそれに加えて政治的連帯感なのである。

 また、ムスリム同胞団は1984年および87年の国民議会選挙に参加しているが、その選挙活動においても特筆すべきものがある。同胞団が採用した選挙戦術は、2つの大きな柱からなる。一つは、立候補者がイスラーム主義者であることの主張、そしてもう一つは、政策プログラムの提示である。つまり、有権者に対して、投票する立候補者がイスラーム主義者か否かという選択肢を提示し、そして次に、政策プログラムに基づく選択肢を提示したのである。ここにおいては、血縁・地縁関係を背景とした従来の戦術がとられておらず、むしろ伝統的諸関係を乗り越えようとする同胞団の意図がうかがえよう。

 このように、イスラーム主義運動においては、伝統墨守の姿勢よりも、それを超越・破壊しようとする試みが目立つ。既に述べた例の他にも、女性の地位向上に関する取り組みが挙げられよう。イスラーム主義運動は伝統墨守的に女性を束縛するどころか、実際に多くの著名な女性活動家を輩出している。
 西洋諸国において支配的な「イスラーム=伝統墨守」の仮説に反して、現実のイスラーム主義運動は、むしろ進取の精神に満ちた伝統への挑戦者であるといえる。

(質疑応答)
「エリートの周流」(circulation of elites)に関して、イスラーム主義運動以前の伝統的なパターンとイスラーム主義運動の目指すパターンとの間における相違点とは何か。また、軍を社会的上昇の手段として台頭し、伝統的な「エリートの周流」に挑戦した自由将校団との相違点は何か。

まず重要なのは、イスラーム主義運動が伝統的な「エリートの周流」パターンに挑戦しようとしている点である。報告においても述べたように、血縁・地縁による伝統的社会の破壊を目指しているのだ。イスラーム主義運動はこの伝統的なサイクルを止め、そして特に宗教的理念に基づいた新しい別のサイクルを生み出そうとしている。こうした考えが、伝統的なサイクルの恩恵を受けている人々にとって、危険であることは言うまでもない。また、自由将校団との大きな違いは、イスラーム主義者たちが「神のための死」の覚悟を以って活動しており、自由将校団のように権力志向的ではないという点であろう。


Q.
イスラーム運動において、家族という血縁関係が、支持者動員の際に影響を及ぼすことはあるのか。また、血縁関係がイスラーム運動の実際の活動へ直接に関係する事例はあるのか。

A.そのような事例は存在する。たとえば、強固な血縁・地縁関係がみられる上エジプトにおいては、家族や地域によって偏りが見られる。イスラーム主義者が多く輩出される家族・地域と、そうでない家族・地域という偏向が観察される。この原因の一つとしては、イスラーム主義者への政府の弾圧が考えられる。たとえば、イスラーム主義者の出身家族は政府から冷遇され、また犠牲となったイスラーム主義者への血縁的紐帯感が政府への反感を募らせることになるのである。いずれにせよ実際には、特に上エジプトのような伝統的な地方においては、血縁関係は軽視できない要因の一つである。


Q.
エジプトにおいては、ムスリム同胞団などのイスラーム主義運動によって、貧者救済や無料医療奉仕などの社会活動が行われているが、やはり伝統的な紐帯を乗り越えようとする意図があるのか。

A.そのとおりである。社会活動を通じて、血縁・地縁という閉鎖的な関係を乗り越え、更に広いムスリムとしての同胞意識を根付かせようとしている。また、もう一つ重要なのが、政府への挑戦という側面である。社会保障の分野での政府の無力さを浮き彫りにし、政府のレジティマシーを弱体化させようとする意図もある。


Q.
一般のエジプト人はエジプトという国家を重視し、また個人の出自などのパーソナリティーを重視しているのに対し、イスラーム主義運動はそうではない。よってイスラーム主義運動は必ず失敗するという意見があるが、これについてどう考えるのか。

A.エジプトにおける2つのレジティマシー観について説明したい。まず一つは、歴史的レジティマシーである。エジプトでは、約3000年の歴史を通じて国家権力が存在しており、この歴史の重みから国家権力のレジティマシーが認められてきた。そして、現在の政府も含め、これまでのあらゆる国家権力・政府はこのレジティマシーを有している。そしてもう一つは、イスラーム主義者によって主張される宗教的レジティマシーである。いかにイスラーム的であるかがレジティマシーの条件なのである。そして、これら2つのレジティマシーをいかに調和させるかが、イスラーム主義運動、特に社会的・政治的イスラーム運動にとって重要なのである。例えば、ムスリム同胞団は両者の調和に成功しており、広範な支持を得ている。一方、宗教的イスラーム運動は、両者の調和に成功しているとは言い難い。


Q.
最近のムスリム同胞団の刊行物を読むと、その進歩的な内容に驚かされる。こうした進歩的な考えに対し、誰が責任を負っているのか。

A.現在の同胞団は、思想の面において非常な危機にある。というのも、最近は思想に関する指導者が不在なのである。同胞団は元来、バンナーが同胞団思想の源であった。彼の死後も多くのイデオローグが存在したが、最近は主要な思想家は元同胞団メンバーであって、組織内の思想形成が弱い。また、最近の進歩的な方針作成に関しては、法律家やエコノミストなどが参加している。


Q.
1919年革命に関して、イスラーム主義者たちの見解はいかなるものか。例えば、ムスリム同胞団ではどうか。また、同胞団内部では、見解は統一されているのか、それとも複数の見解が存在するのか。

A.ムスリム同胞団の歴史に関する見解は、多様である。もちろん1919年革命についてもである。例えば、1952年革命に関しても多くの見解があるが、その一部は革命の肯定的側面を述べており、またサダト暗殺事件に関してさえも見解が統一されておらず、多くの見解が見受けられる。一枚岩的な見解が存在するというわけではない。

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