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オスマン帝国資産台帳に関するラウンドテーブル報告

1999年7月9日
東京大学文学部アネックス会議室

要旨
清水保尚:オスマン帝国資産台帳に関するラウンドテーブルに参加して

     

要旨

去る7月9日(金)4時〜7時、東京大学文学部アネックス2階小会議室にて、「オスマン帝国資産台帳に関するラウンドテーブル」が開催された。

まず、6班代表者の林佳世子氏から「オスマン帝国資産台帳研究」の趣旨とこれまでの活動内容とについて説明がなされた。「オスマン帝国資産台帳研究」は、19世紀中葉のオスマン帝国社会経済史研究において近年注目を集めている「資産台帳(テメッテュアート・デフテルレリ)」に関する総合的研究で、IASプロジェクト初年度の「パイロット研究」として発足した。「資産台帳」とは、それらのうちの多くは1845年に、若干は1840年に実施された住民の資産、収入、税額に関する調査の記録である(詳細はMubahat S.Kutukoglu, Osmanli Sosyal ve Iktisadi Tarihi Kaynaklarindan Temettu Defterleri, Belleten, Vol. 59, No. 225, 1995,pp.395-412(+6)を参照されたい) 。従来の研究では、ある地域の都市や農村部の「資産台帳」を分析し、対象地域の社会経済構造を明らかにする、という個別的な視点は存在したが、「資産台帳」の大局的なオスマン史における位置づけや、他地域との比較の試みはほとんどなされてこなかった。このような研究動向を踏まえて、「オスマン帝国資産台帳研究会」では、「資産台帳」調査をタンズィマート改革の政策のひとつとしてとらえなおすと同時に、複数の地域に関する「資産台帳」を比較研究することを目指している。すなわち、本研究会の狙いは、19世紀前半から中葉のオスマン帝国における改革がどのようになされ、実際に地方においてはどのように調査が実施され、実施に際してどのような問題が存在していたのかといった中央における改革の過程と地方社会の変容の過程とを解明すること、さらには複数の地域における社会的経済的諸状況を明らかにすることにある。

以上の趣旨説明のあとに、次の3報告が行なわれた。

(1)高松洋一:オスマン帝国の資産調査

(2)江川ひかり:資産台帳にみるバルケスィルの地方社会

(3)マーヒル・アイドゥン:ブルガリア・タタルパザルジュウの資産台帳について

まず(1)では、タンズィマート改革における資産調査の意味づけと、具体的な調査の実態、集計結果の報告の方法などが解説された。資産調査が新規に導入された資産税の税額確定を目的とした調査であったこと、調査に際してタンズィマート改革により各地方に成立した地方議会が大きな役割を果たしたこと、あらかじめ中央から印刷された台帳の見本が各地に送られ、それにもとづき現地で台帳が作成されたこと、調査を通じて生じた現場の疑問や混乱の実態などが、具体的な史料に基づいて明かにされた。

次に、(2)および(3)では「資産台帳(テメッテュアート・デフテルレリ)」の分析に基づく事例研究が報告された。(2)は、西北アナトリアのバルケスィル郡を対象として調査がおこなわれた1840年の「資産台帳」を基礎史料として、バルケスィル地方社会の変容の過程を分析した報告である。その結果、第一にバルケスィル郡中心都市は人口増加に伴い市域が拡大する途上にあったこと、第二にイェニチェリ廃止後に創設された新軍団の軍服用の毛織物(アバ)生産地として指定された結果、バルケスィル社会が国家主導の産業振興策に組み込まれつつあったこと、第三に、毛織物(アバ)産業をめぐり利権を争っていた二大家系はいずれもバルケスィルの都市と農村とに財産を築いていた旧アーヤーン家系であったことが明かにされた。(詳細は江川ひ かり「タンズィマート改革と地方社会−1840年のバルケスィル郡『資産台帳』にみる土地「所有」 状況を中心に」『東洋学報』第79巻第2号, 1997, pp.01-029および江川ひかり「19世紀中葉バルケスィルの 都市社会と商工業−アバ産業を中心に−」『お茶の水史学』42号, 1998, pp.1-42.を参照されたい) 

(3)ではバルカン地域のタタルパザルジュウ(現ブルガリアのパザルジク)を対象として調査がおこなわれた1845年の「資産台帳」を分析した報告である。まずはじめにタタルパザルジュウの特徴は、「米作りと水牛」であることが指摘された。タタルパザルジュウは、エディルネとフィリベ(現プロヴディフ)とを結ぶ幹線道路上にあるいわゆる宿場町であり、そのことを特徴づける「部屋貸し業」が広範に存在した。同時に都市で商工業を営む人々が近郊に小地片の農地を保有しており、とくに米作りには、力の強い水牛が用いられていたことが明かにされた。

本研究会は、イスタンブル大学助教授マーヒル・アイドゥン氏を迎えて、これまで実質的討議は全てトルコ語で行われて来たことを踏まえ、内容および時間的制約もあって、冒頭の林佳世子氏による趣旨説明を除いては、報告、質疑とも最後までトルコ語でおこなわれた。このことで参加者が限定されたことは否めないが、我が国においてもトルコ語によりこのような学問的な議論の場が設けられるたことは、意味のあることであった思われる。

なお、オスマン文書研究会のオスマン帝国資産台帳分科会では、「近代化」に向かうアナトリア・バルカン社会の断面をいっそう明らかにすることをめざし、今回のラウンドテーブルの各成果に加えて、(2)および(3)で用いられた台帳整理の一定の指標にのっとり、さらに2、3地点に関する事例研究を加え、さらにタンズィマート改革における「資産台帳」の意義を述べた総説とを合わせて、最終的には英文叢書の一冊としてまとめる計画をすすめている。 (文責 江川ひかり・高松洋一)

 

 清水保尚:オスマン帝国資産台帳に関するラウンドテーブルに参加して

ラウンドテーブルにおける各報告者の報告内容については江川・高松両氏による紹介があるため、本報告ではその会に参加して文責者自身が感じた印象を記すことにしたい。文責者は資産台帳が作成された時期に関する研究事情に暗いため、あくまでも門外漢による印象の域をでないであろうことを予め断っておく。

各報告と研究状況の概要説明から、資産台帳に記された詳細な情報を利用して、社会経済史の観点から各地域を研究しようというのが同史料を利用した研究の傾向であるようである。しかし、そもそもこの資産調査がなぜおこなわれ、なぜ2回しか実施されなかったのかという点について、必ずしも解決済みではないことが、会議参加者の質問に報告者達から明確な回答がおこなわれなかったことから明らかになった。これは、資産台帳シリーズが整理、分類され、研究者の利用に供されてまだ10年ほどしか経過していないという事情も影響しているのかと考えられる。総数17747点以上もある台帳を相互に比較する試みは、今後の研究の進展がまたれるところであり、それに伴って調査の実施理由も明らかにされるかもしれない。ただ資産台帳から得られた情報を歴史の文脈の中に位置づけるにあたり、その調査の実施理由と状況を知ることは情報が持つ意味を相対化するためにも重要なことであり、上記の問題はこの台帳を利用する研究者達が解き明かさなければならない課題であろう。

この史料を利用した研究が明らかにできる点については、アイドゥン氏、江川氏が提供したデーターにたいする参加者のコメントが示唆的であったように感じられた。アイドゥン氏が提示したタタールパザルジュウのデータから、同カザーで保有される、平均的な耕作地面積が小規模であること、市部に多くハーンが所在していることなどから、そこに暮らす人々が必ずしも農業に立脚して暮らしているわけではなく、交通上の要地にあるという地の利を活かして商業に従事していた可能性が指摘されたのである。その地のデータは、江川氏が提供した、バルケスィルの耕作地面積のデータとも対照を示しており、わずか2例からでも各地域の生業の条件の違いが認められた。管見に因れば、従来の研究では土地制度や国家が唱える小土地経営の形式的な存在の有無ばかりが問題とされ、地域社会に暮らす人々がいかに暮らしを立て、土地保有の状況にせよそれが人々の間のいかなる共同関係に起因したものなのかを必ずしも明らかにしてこなかったように思われる。その意味では、課税目的のため作成されたにせよ、各個人の資産情報を提供する資産台帳は、人々がいかに暮らしを立てていたかを具体的に明らかにできる可能性をもつ史料と考えられる。上記の点と関連して、江川氏によるバルケスィルのアバ織物産業に関する研究も同史料を利用した研究の方向性を示唆しているように思われる。

以上簡単な感想であったが、資産台帳の研究は端緒についたばかりであり、今後資産台帳全体にわたる比較研究がおこなわれていくであろう。そのような研究の中から、オスマン政府が唱える「改革」の中身を問い直し、「近代化」の意味を相対化するような研究が現れることを期待したい。最後になったが、貴重な報告をおこなわれた3報告者に感謝の意を表したい。

(文責 清水)