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第2回オスマン文書研究会

大河原知樹「シャリーア法廷文書研究の展望」

配布資料

1999年6月19日
東京大学文学部アネックス会議室

     

第2回オスマン文書研究会では「シャリーア法廷文書研究の展望」というタイトルで大河原知樹氏による報告が行われた。報告の要旨は以下の通りである。当日配布されたレジュメについてはpdfファイルを参照いただきたい。

大河原氏は、まずオスマン朝時代にシャリーア法廷で作成された記録の整理状況を各国別にまとめたあと、自らが2年間にわたりカタログ作成の作業に携わったシリアのダマスクスにある歴史文書館の史料収蔵状況を詳細に紹介した。そのうえで従来は極めて不十分にしか整理されていなかった当文書館の台帳を、出所原則にもとづき、台帳の更新記録や記述の形式的特徴によってどの裁判所に帰属したものかひとつひとつ解明していくという、カタログ作成にあたって氏が具体的に行なった作業の方法を解説した。その結果、当文書館に収蔵されている台帳にはきわめて多くの錯簡があること、ダマスクスとアレッポとでは記録の形式にかなり違いがあること、ダマスクスにあった小法廷が時代的に変遷していることなどが明らかとされた。最後にこれらの史料が文書館に収蔵されるまでの経緯を推定し、今後の文書館での史料収集、保存に関する提言を行なった。

なお報告のあとでは活発な議論が交わされた。たとえばマムルーク朝からオスマン朝へ法廷記録簿の継承が行われたか否かという議論がなされた。マムルーク朝においても法廷の発行する証書の控えが記録されていた可能性はあるが、それがどのようなものであったかについては、いまのところ明らかにすることはできないようである。またアラビア語による法廷の証書の控えとオスマン語による勅令の控えが別々の台帳に記録されるシリア地域の例とは対照的に、16世紀のアインターブでは、オスマン語で同じ台帳に法廷が発行した証書の控えと中央から受け取った勅令の控えが記録されるものの、互いに天地を逆にして各々が表紙から中心に向かって記されるという興味深い指摘もあった。

今回の報告は、オスマン朝の文書館学に関して高い水準を誇る内容であり、発足してまだ日の浅い当研究会でこのような報告がなされたことには感動を禁じえない。報告全般を通じて大河原氏が随所で語った数々の創見は、実際に文書館でカタログ化の作業にあたった氏ならではの独創的なものであり、非常に興味深いものであった。とくに氏による「文書の中のフィクション」という指摘は、強く記憶に残るものであった。イスラム法廷記録簿に残された証書の控えからは、あらゆる訴訟が一日のうちに結審したかのように思われるが、ジャリーダと呼ばれる一連の台帳から、実際は一年以上も訴訟が長引くこともあったことが実証される。実際の訴訟プロセスを、法廷記録簿の記録そのままであったとうのみにすることはたいへん危険であり、このことを研究者は肝に銘じなければならないであろう。それにしても出所原則にもとづく整理の重要性を周囲に粘り強く理解させつつ、2000点以上もの台帳の全てにひとつひとつ目を通した氏の気の遠くなるような努力には深い敬意の念を覚えずにはいられない。しかし惜しむらくは、今後出版が予定されている文書館のカタログに、氏の創見が十分に盛り込まれないであろうということである。チームワークによる作業の限界であるとはいえ、氏には今後、今回の整理で確立した台帳の出所確定の方法論をまとめるとともに、その過程で明らかとなった成果を逐次発表していかれることを希望したい。

(文責 高松洋一)