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第1回オスマン文書研究会

高松洋一「オスマン文書研究上の諸問題(総論)」

1999年5月29日
東京大学文学部アネックス会議室

     

今年度から6班に創設された「オスマン文書研究会」の第一回研究会が開催された。ホームページ上でも紹介されているように、本研究会の狙いとして以下の2点が挙げられる。

1)本研究会は、「オスマン文書研究会」であって、「オスマン語」文書研究会ではないこと。つまり、たとえ何語で書かれていても(例えばアラビア語の文書であれ) 、オスマン朝の公権力によって作成された文書であれば、「オスマン」文書として積 極的に取り上げていきたいと考えている。

2)本研究会は、何らかのかたちで古文書学にかかわるテーマを扱うこと。すなわち 、文書史料の内容の分析などはあくまで副次的に扱うこととし、文書の様式、形態、伝来などについての情報交換の場となることを狙いとしている。

以上の趣旨のもとに、第一回研究会では「オスマン文書研究上の諸問題(総論)」と題して、本研究会の責任者である高松洋一氏が発表をおこなった。発表の構成は次のとおりである。

1.文書研究とは
 1)文書と記録
 2)古文書学と文書館学
2.オスマン文書研究の歴史と現状
3.オスマン文書研究上の諸問題
 1)古文書学的問題
  a.様式論上の問題
  b.形態論上の問題
  c.機能論上の問題
  d.伝来論上の問題
 2)文書館学上の問題
4.まとめ

 

まず1の「文書研究とは」で、オスマン朝研究者が先進的な日本における史料学、史料管理学に学ぶべきところが多いことが述べられたうえで、1の1)「文書と記録」においては、日本の古文書学の定義に依拠して、「文書」と「記録」の違いが確認された。すなわち「文書」とは「特定の対象に伝達する意志をもってする所の意志表示の所産」であり「記録」とは「記述者の心覚えのため、情報の蓄積のために作成するもの」と定義されている。このような「文書」と「記録」との区別は、一般にオスマン朝研究において自覚されていないものの、トルコ共和国の文書館においては「紙葉」と「冊子」という形態的差異として事実上区別されていることが指摘された。

次に1の2)「古文書学と文書館学」では、現存している文書・記録が何であるかを究明し、それらの永続的な保存と閲覧利用のあり方を課題とする「文書館学」に対して、現存するか否かに関わりなく「文書・記録」の存在の「全様相を復元的に解明」するのが「古文書学」であると説明された。その上でオスマン朝の文書・記録のうちで現存するものは、本来作成されたもののごく一部に過ぎないことを自覚すべきことが述べられた。さらに「古文書学」の方法論として「機能論」、「様式論」、「形態論」、「伝来論」にわけて具体的な説明がなされた。

2の「オスマン文書研究の歴史と現状」では、これまでのオスマン文書研究においては、上記の「古文書学」のなかの「様式論」と、「古書体学paleografya」とに研究が集中してきたことが指摘された。一方オスマン朝の近代的な「文書館学」は、1846年の文書館(Hazine-i Evrak)設立後も発展せず、「古文書学」についてと同様にハンガリー人の研究者フェケテがトルコへ移植したことが明かにされた。

3の「オスマン文書研究上の諸問題」においては、文書・記録の実例を示しつつ個別具体的 な問題点が解説された。1)の「古文書学的問題」のうちa.様式論上の問題では、高松氏は、文書の様式と名称が「多対多対応」であり、例えば「ilam」という名称が複数の様式をさすのに用いられる一方で、勅令については、さまざまな呼称があることを解説した。加えて、時代によっても名称のさす意味が変化している(例えば、mektub、tahriratなど)場合もあり、文書の様式と名称の関係には注意を要することが理解された。

b.の「形態論上の問題」では、料紙の大きさや折り目の数が、書札礼の厚薄と関係しているのではないかという指摘がなされた。また署名、印章などが構成要件として必須であるか否かという問題が、文書の様式ごとに整理され、このような様式による形態の差異がなぜ生じるのか考えるべきであるという課題が提示された。

c.「機能論上の問題」では、各様式の固有の機能の確定が緊急の課題であることを指摘したうえで、例えば勅令が大宰相府、財務長官府、カーディー法廷 でそれぞれ記録される場合の異なる記録法の問題など「共時的体系の解明」と、大宰相と君主とのやりとりが直接的から間接的に変化した問題など「通時的変遷の解明」の必要性が明かにされた。そしてこのような問題は、オスマン朝の官僚機構、あるいは文書行政制度との密接にかかわっていることが指摘された。

d.「伝来論上の問題」では、ある史料がなぜ伝存するのか、あるいはしないのか、また伝存するとすればいつから現在の形で伝世するようになり、なぜ現在の所蔵機関に伝存するのかといった問題について注意を払うべきことが述べられた。

さらに3の2)の「文書館学上の問題」で、1930年代までのトルコの総理府オスマン文書館の文書・記録の整理方法には統一基準がなく、1930年代以降も出所原則に拠っているとはいえ、正しく貫かれているとはいえず、時代による部局の変遷を考慮すべきだったことが指摘された。

以上のことを踏まえ、4の「まとめ」で高松氏は、文書館による分類をうのみにせず、「全史料がまったく分類されないものとして未分節の状態で把握し、内的秩序を発見したうえで分節化をやり直して構造を解明する必要がある」と結論づけた。

本発表において、オスマン文書を古文書学・文書館学的観点から体系的に把握する必要性が明らかにされたことは意義深い。ただやみくもに個々の文書を解読するのではなく、その文書の作成過程や文書自体がもつ性格を把握すべきであるという指摘など本発表の内容は、オスマン文書を読む場合の「指南書」となったといえよう。足かけ7年にわたりトルコの文書館に通いつめて、「史料学」という観点から多種多様な文書に目を通してきた高松氏の努力に敬意を表したい。同時に、北海道から京都まで出席者が20名をこえ、オスマン文書研究の関心の高さを痛感した。

(報告・文責 江川ひかり)