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中国出張報告

中国西北部のイ スラーム関連資料調査・収集
(1997年8月)

梅村 坦(中央大学)


新プロ第6班の仕事の一環として、8月に30日間、中国西北部(新疆・甘粛・寧夏、といってもそれぞれ限られた地域のみですが)をめぐってきました。とりあえず概要を報告いたします。

  1. 行動日程とその簡単な内容
  2. イスラーム関連古籍資料関係に限定した見聞情報(*1〜*8)
  3. 一般書籍購入に関するコメント
  4. その他の若干の情報とコメント

今回入手・購入した文献・書籍・資料はすべて東洋文庫に収蔵され、整理が済み次第、順次公開を急ぎたいと思います。(システムの制約上、この報告中のウイグル文字転写は正確ではありません。)

新免康、菅原純、澤井充生の各氏の協力に感謝します。


1.行動日程とその簡単な内容

8月1日(金) 北京

現地協力者とスケジュール調整・西北地区情報の収集

8月2日(土) 北京

関連研究者訪問による情報収集
書店4箇所で書籍購入(中央民族大学出版社・海淀区中国書店三聯書店・考古書店ほか)

8月3日(日) 北京

書店で書籍購入(牛街のイスラム用品店)
中国社会科学院民族研究所の資料情報収集

8月4日(月) 北京

中国社会科学院民族研究所訪問:書庫内見学(新規の目録作成と整理がまず優先されるべきで、そのために日本からの協力可能と提言。確答なし。)*1
回族関係書籍文献情報収集<p>

8月5日(火) ウルムチ

新疆人民出版社・新疆社会科学院図書館ほかの現地協力者とスケジュール調整

8月6日(水) ウルムチ

書店で書籍購入(南門新華書店・新疆人民出版社・新疆ウルムチ市伊斯蘭教協会ムスリム経書用品定点専営店)
現地協力者から1950〜60年代の古籍資料収集関係の情報収集

8月7日(木) ウルムチ

自治区民族宗教事務委員会古籍弁公室の実質的主任と面会(古籍弁公室の概要を聞き取り)*2
書店で書籍購入(延安路新華書店)
社会科学院閲覧室(雑誌・新聞)・漢文書庫(旧書ほか)・中文書庫(地誌・地名録・文史資料などわりあいよくそろっている)・宗教研究所資料室(資料の新しい目録あり)・民文書庫は担当者不在で閉鎖中 *3

8月8日(金) ウルムチ

新疆人民出版社訪問・若干の書籍を購入
古籍弁公室訪問 *2
新疆西域図書公司で書籍購入手続き

8月9日(土) ウルムチ

情報整理・協力者と情報交換

8月10日(日) ウルムチ

古籍弁公室と情報交換 *2

8月11日(月) トルファン

市内モスク:西大寺・東大寺参観
頭道河子拱北参観

8月12日(火) ウルムチ

民間の個人蔵書などの情報収集*4
蘭州 現地協力者とスケジュール調整

8月13日(水)蘭州

蘭州大学図書館訪問
甘粛省図書館訪問 *5
故李国香氏旧蔵書情報収集*6

8月14日(木)広河

アラビア語学校訪問
南街清真寺(イフワーニー)参観
花寺(老教)清真寺2座参観

8月15日(金)臨夏

現地協力者と打ち合わせ
城角寺清真寺(老教)参観
明徳清真寺(老教)*7
書店(解放路の海峡飯店下のイスラーム用品店)で書籍購入
「大拱北」(カーディリーヤ本拠)参観
鎖麻清真寺(ジャフリーヤ)参観
新王寺・老王寺・北寺・大祁寺・西寺ほかのモスク参観

8月16日(土)臨潭

西大寺(西道堂)訪問

8月18日(月)蘭州

東川拱北訪問
舎西徳・塞力麦拱北訪問
水上清真寺(イフワーニー)・和平台寺・蘭州坊寺・南関寺参観
書店(イスラーム用品店)で書籍購入

8月19日(火)蘭州

情報交換・整理
銀川
現地協力者とスケジュール打ち合わせ

8月20日(水)銀川

寧夏社会科学院回族伊斯蘭教研究所で所員11名と懇 談・情報交換*8
書籍選択購入
南関清真大寺・新華大寺・中大寺参観

8月21日(木)銀川

寧夏人民出版社訪問、5名と情報交換
書籍購入
西塔(承天寺)=寧夏博物館・北塔(海宝塔寺)参観

8月22日(金)銀川

西夏王陵3号墓・三関口の明、成化年間の長城跡参 観
西関清真大寺訪問
書店で書籍購入(南関清真大寺前のイスラーム用品店)

8月23日(土)永寧

永寧県楊和郷の納家戸清真寺参観
呉忠 四旗梁子拱北参観
銀川 情報協力

8月24日(日)銀川

寧夏大学回族文学研究所訪問、12名と懇談、情報交換
書籍の寄贈をうける

8月25日(月)銀川

寧夏社会科学院回族伊斯蘭教研究所で再び情報交換 *8

8月26日(火)北京

書店で書籍購入(瑠璃厰中国書店など)

8月27日(水)北京

現地協力者と情報の総合整理

8月28日(木)北京

社会科学院民族研究所蔵書の件など情報提供依頼

8月29日(金)北京

資料複写(『西道堂史料輯』1987)など情報整理
書店で書籍購入(民族文化書店)
馬甸清真寺参観

8月30日(土)帰国

 

2.イスラーム関連古籍資料関係に限定した見聞情報

 *1:中国社会科学院民族研究所(北京)

新疆で1950年代に収集され、おそらく1960年代初期に北京に移管された約300冊といわれるチャガタイ語・ペルシア語・アラビア語の写本・印刷本などほとん どは旧製本のまま、ほこりをかぶって書棚に積み上げてある。漢字で書名を鉛筆書き メモしてあるものもある。情報によれば、個人宅に保管されているものもありうると いう。目録はないとのこと。しかし実際には、

1. 新疆少数民族社会歴史調査組編印の『新疆書目[第1部]』Xinjang Kitapliri Katalogiyisi I. qisim(ウイグル文・合計216件収載・1962年タ イプ印刷)

2. 多分移管後にあらためてつくられた中国科学院民族研究所編の『有関研究新疆的 古書目録』Xinjangning Tatqiq Qilirtiq ait Kona Kitaplar Katalogi(ウイグル文 ・1965年タイプ印刷)

の少なくとも2種の目録が存在する。新疆でみかけたが、ともに未入手。

 *2:自治区民族宗教事務委員会古籍弁公室(ウルムチ)

【沿革】

1984年設立(天山区の幹部招待所内)
1986年勝利路・延安路交差点あたりに移設
1988年政府印刷局に移動
1989年紅山近く、友好南路22号の文聯聯合大楼の14階に移動、現在にいたる

【現状】

スタッフは9民族12名(ウイグル・ウズベク・カザフ・クルグズ・シボ・モンゴル ・タタル・タジク・回)。6班(ウイグル・ウズベク、カザフ・タタル、モンゴル・ ダフール、クルグズ、シボ・満洲、回)にわかれ、必ずしも古籍の文字・言語とは関 係なく、作業上は相互に移管しあいながらも、統合した書庫(非公開ゆえ未見)の古 籍を整理、編号している。現在の蔵書は合計して約3800点で、写本、印刷本のほかに チャガタイ文書約300点、印鑑類も収集している。

【整理作業】

大学・研究所・博物館などの専門家、大モッラーやアホンその他古籍の文字・言語に 通じている人物(新疆全域)の協力をえながら、1.基礎的な全情報カード、2.専門家 の校閲、解説、3.MS-DOS機で各国語対応のソフトを登載したコンピュータにアラビア 文字その他で入力、場合によってはスキャナー入力、4.検索用の最小限情報のカード 作成、という順序で整理をしている。

【目録作成作業】

1986年ころまでに収集した1500点余りの古籍の目録、クルバン=ワリ編『維吾爾・烏 孜別克・塔塔爾古籍名録』1988第1版・1989年第1次印刷、喀什維吾爾文出版社が付 していた編号はすべて変更し(XKQ=一時期のローマ字転写による、Xinjang Kadi mki, Qaghatai をやめ、同様の転写法だが、XG=Xinjang Guji(古籍)+A(Arab) 、P(Persia)、Q(Qaghatai)、K(Kirghiz)、M(Mongol)、H(Hui=漢字)などとす る)、1988年以降に新収の約2300点とともに、1998年8月刊行を目標とする。ただし 、資金調達の問題が残っている。資料公開の見通しは立っていない。

【出版・収集・保存】

すでに影印本をふくめ、古籍叢書として数十点を出版しているが、発行部数も少なく 、また今後の出版資金が乏しい。かつてのKutadgu Bilig なども200部以上が売れ 残っている。新疆に関係し(ラシードの『集史』やカーシュガリーの『トルコ語辞典 』、『金光明最勝王経』などが入るという)世界に散っている文献を集めて影印出版 したいという大計画をもっている。また古籍目録はウイグル語で最初に出し、漢訳、 英訳も出したい、さらに、国外蔵の新疆関連古籍の目録も作成したい、と夢は大きい 。

今後の収集については、新疆各地にある古籍弁公室を動員しながら、公安・海関・科 研処・大学・博物館などに約8000点あると想定される古籍、そして1万点以上がある と想定する民間所蔵古籍を、視野にいれていきたいという。

マイクロフィルムによる保存が最もよいとは思うが、設備がまったくない。また、国 際的連絡の経験も皆無であり、今後の計画の実現性については見当がつかない。

*3:新疆社会科学院宗教研究所(ウルムチ)

*1で触れたように、1950年代に新疆で収集された古籍については、一括して北京に 移管されてしまったようであるが、文化大革命以前そして以後にあらたに新疆各地か ら収集された(王守礼が中心)古籍の一部がこの研究所に所蔵されている。その数十 点の目録は、Xinjang Ijtimai Panlar Akademyisi Din Tatqiqat Institutidiki Kit aplarning Katalogi, 1988 としてタイプ印刷されている。これは入手できた。

*4:

新疆には、文化大革命中でも破壊や焼失を免れたイスラーム関係古籍 が民間に所蔵されているであろうことは、*2の自治区古籍弁公室でも想定している とおりである。

この種の古籍は、モスクの関係者のところに多いことが予想される。しかし、公の機 関に知られたくないという民間の意識、宗教書籍としての現実利用という事情もある だろうから、その実態についてはまったく不明というべきであろう。今後、個別の機 会がありうるかもしれないが、その保存や研究のための利用、公開などについては、 新疆の誰がかかわるにしても時間がかかり、また非常に繊細で微妙な手続きが必要と なろう。

このほか、1950年代には個人や博物館が収集した資料があり、その一部は今も博物館 に所蔵の可能性もあるが、公開されないのが大原則であり、今回もその門戸は堅く閉 じられたままであった。一部は1960年代に国外(ソ連)に持ち出されたり、文化大革 命時期に失われたりした可能性もある。

Yusupbek Muhasuw による Uyghur Klassik Adibiyati Tolyazmilirining Katalogi, 1957 は74点の資料を著録したカタログで、今回入手した。

*5:甘粛省図書館(蘭州)

試みに西北地方文献の中の新疆地区の蔵書カードをめくってみると、この図書館は新 疆関連文献もかなり多く収蔵していることがわかる。1950年代から1960年代にかけて 発行された油印版の『新疆維吾爾自治区資料索引』や、1970年代からの『新疆地方文 献書目』・『新疆地方文献索引』・『新疆歴史資料』、また『新疆大学図書館蔵古籍 書目』(1983)・『新疆宗教研究資料』(1979〜)などの書目や基本文献がいくつかそろ っているようだし、なかには清朝の奏稿類も二、三、目についた。そのなかの(清) 布彦泰等『新疆墾荒奏稿』は原本と抄本複製(1987年)があり、また『伊犁将軍馬廣奏 稿』(満文まじり1958年鈔本)などもあるが、それらの収蔵経緯や複製作成過程など 、当該資料に記述はない上、いま図書館内に詳しい人はいなくなっている。しかし、 新疆ではさまざまの理由で容易には見られない内部資料などを閲覧できる可能性をも っており、甘粛はもちろんのこと、新疆地域の研究のためにも、一度は腰をおちつけ て全体を見るべきであろう。

*6:故李国香氏旧蔵書(蘭州、西北民族学院図書館蔵)

西北民族学院の教授であった李国香氏は、ウイグル文、チャガタイ文、ペルシア文に も独学で通じていった文学研究者であった。農民を父にもち、北京、上海、昆明での 勉学をへて蘭州大学、そして50年代初期に創設の西北民族学院で長く教鞭をとった。 1990年12月に逝去の翌年、数百冊のウイグル文・チャガタイ文等の蔵書が西北民族学 院図書館に寄贈された。新疆、甘粛の民間に流れていたものを自ら収集していったも のという。それらの少なくとも一部は、氏の遺稿『維吾爾文学史』(蘭州大学出版社 、1992年)にみられるものだと推定される。寄贈された図書の全容は今回は見られな かったが、目録が作成されているともいう。いずれ調査の機会をつくるべきであろう 。なお、今後、その蔵書目録を入手できる可能性がある。

*7:明徳清真寺(臨夏)

祁明徳(1898〜1987)は、カシュガルのアパク=ホージャの教えを受けた祁信一から数えて第10代のアホンであり、カディーム(老教)のモスクを つづけてきた。生前の学問と教えは多くの人の尊敬をあつめていたという。その証の ひとつが膨大な経典類の蔵書である。今回入手したこの清真寺発行の『聾阿□(アホ ン)』という書物によると、「正統派主要経典」だけでも144種類がある。

*8:寧夏社会科学院回族伊斯蘭教研究所(銀川)

研究所が収蔵しているイスラーム関係古籍というものは、はっきり した情報は、諸般の事情から必ずしも明らかにされなかった。少なくとも『回族和中 国伊斯蘭教古籍資料匯編』(第1輯は刊行済み、第2輯以降は資金面の問題でいつに なるか不明)の資料は北京の民族宮所蔵のものを中心としている。独自の収蔵書とし て特色があるコレクションは、1909年から1949年までの『月華』などの定期刊行物で あるが、これも一部を製本再刊しただけで事業は一時停滞している。

 

3.一般書籍の購入について

東洋文庫では、新疆に関する非漢語書籍を、とくにテュルク系諸語を中心として収集 してきた。今回も、ここがイスラーム圏であるという原則的「前提」のもとで、直接 のイスラーム関係図書にかぎらず、広い範囲の出版物を購入するようにつとめた。そ れは主として町の書店においてである。これは新疆にかぎらないことだが、出版社で はとかく入手しにくい。毎年大量の書籍が出版社の名のもとで出版されているが、出 版社自身の年度計画によるものではなく、持ち込みや自費出版のものも少なくない。 それらは原則として出版社に在庫という形では残されない。したがって、こまめに書 店を歩くのがもっともよいことになる。

今回、北京以外では書店がその場で郵送を代行してくれた試しはなく、したがって自 ら郵便局へ行く。ただし、寧夏人民出版社などは事務的に郵便局へ持って行って代行 してくれた。少なくともウルムチ(国際郵電局)と銀川(郵電大楼)では包装係りが 常駐していて、たまたま不在でも局員が包装も代行してくれる。もちろん包装用品代 などは請求される。かつてウルムチで税関のチェックと包装の手間とで半日以上の時 間を覚悟していたころが懐かしいほど、便利になった。臨夏の郵便局(本局)では、 国外発送の経験はほとんどない様子で、包装箱も在庫がなく、かなり手間どった。蘭 州くらいの大都会になると、小さな郵便局でもかなりしっかりしている。税関(海関 )による検査は郵便局員に移管された模様である。

このほかに、モスク(清真寺)近くには、新疆・甘粛・寧夏を問わず、ほとんどかな らずイスラーム用品店があり、書店を兼ねていることにあらためて注意した。それら の店では、だいたいアラビア語を中心とするイスラーム経典類をそろえて売っている 。それらのほとんどはもちろんISBNもなく、どこで発行されたのか、いつどこで 複写されたのかわからない。版権など無関係に、モスクで発行したり、モスクやマン ラー(宗学生)らのあいだで流通しているものも多い。いわゆる内部資料などではな くて、素性のしれない書籍も少なくないのである。郵便局もこれらの書籍は国外郵送 できない規則になっている。

今回、あちこちで、公開出版のものなら購入できる、という一種の制限のことばを随 分と聞かされた。外国への資料の流出には、たとえ古籍や貴重書でなくても、神経質 になっている雰囲気を感じたものである。

 

4.その他(イスラーム一般および回族について)

いま、モスクにはアホンの下に学生がいるのが通常の姿である。いうまでもなくアホ ンはコーランを教えるアラビア語は必ず解する。
このほかにアラビア語学校が附属しているモスクもあるが、今回、甘粛の広河で、独 立したアラビア語学校を訪問した(8月14日の項参照)。回族のイスラームを知る ためのひとつの手がかりとして紹介しておきたい。(モスクなどの参観記録はいずれ 機会をあらためて報告したいと思う。)

広河は、蘭州から南へバスで約2時間。ここから臨夏まではさらに約1時間を要す。 徹底した回族の町で、住民の97%を回族が占める。広河県全体には500座以上の モスクがあり、県レベルでいうと全国一の多さとのこと。この町のモスクは老教(花 寺派など)4座と、新教2座(南街清真寺と趙家清真寺)。

ここより大きな都会、臨夏(かつての河州)には1980年に全国初の私立アラビア 語学校ができて、現在80〜90人の男子学生と100人ほどの女子学生がいるとい う。これにたいして、この広河の学校は1993年に私設。全国からの回族男子学生 約60人が寄宿生活をおくり、教師は馬維忠校長をはじめ8人。話しをしたもう一人 の教師(いずれも30才台)、張維真はイスラマバードの国際イスラーム大学に5年 間留学し、そのほかにも4人がサウジアラビアやシリアに留学経験をもつ高いレベル を保っているという。

教派とは無関係に、アラビア語、宗教学、タフシール、ハディースなどを教えている 。アラビア語テキストは北京大学版をつかい、その他のテキストはエジプトやサウジ アラビア政府などからの寄贈がある。

入学の資格は、高校レベルの漢語習得程度。一般の学校を卒業後、社会人を経験して から入学する例が多く、20才くらいの者が多い。普通クラスに初級・中級・上級と あり、合計で3年間。学生の希望によって留学したり、上の師範コースに進んだりす る。師範コースは3年間以上のアラビア語学習経験が必要で、これを卒業すると一部 はモスクのアホンとなり、また一部はアラビア語教師として全国へ散っていく。

この学校は、立派な3階建ての新しい建物で、敷地の一部はマッシュルームなどの栽 培農園になっている。学生の農業従事の時間は少ないものの、学習は午前中だけとい う話であった。スポーツや娯楽の時間も多いのだと強調された。その意図はどこにあ るのかわからない。街道沿いの広河の小さな町並みから幾分か渓谷沿いの農村地区に はいった、閑静なたたずまいの中にあった。

こうして、アラビア語学校というものも、各地のモスク日常活動とならんで、少なく とも西北地域に根付いている印象を深めた。イスラームは民衆の中に生き続けている 。1980年ころからの中国の宗教活動解禁の後、聞き及ぶ幾度かの「危機」をのり こえつつ、またたとえば教派のいくつかがトウ小平の肖像を掲げたり、政府の民族団 結や宗教信仰の自由を保証する政策を支持する文面を出したりしながら、現実的な宗 教活動を継続しているのである。

一般に、ジュマーの礼拝を含め、どの地域のどのモスクでも、礼拝に来る人に中高年 層が多いという現実をどのように見るべきなのか。世代継続は文化大革命を機に途絶 えている側面もある。しかし、イスラームは決して消えようとはしていない。その証 のひとつが、こうしたアラビア語学校における若年層の宗務者の育成であろう。それ に加えて次のような現象をみてもイスラームの復興、継続は着実である。

どこのモスクでもアホンが若返りつつあるという現実(モスクの居民委員、管理委員 、会計、出納係などには従来からモスクと関連を持つ老人が多いが)、いずれの教派 (門宦)にしてもモスク内にほとんど必ず宗教学生が寄宿して学習していること、た とえハッジを果たすのが中高年の生活成功者に偏っていたとしても、一方で若年層の 留学の機会が増えているらしいこと、そして、モスクや学校が信徒の私財によって( 政府の補助による場合もあるけれども)壮麗な修復がおこなわれていること等。

こうした諸側面をみるとき、そして中国がたとえ建て前としてであれ多民族国家を標 榜する以上、それを根拠として回族が「民族」としてアイデンティティの拠り所とす るのは、極言すればイスラームしかないということにあらためて思い至る。言語と文 字を漢族と異にする、たとえばウイグル族などの「民族」とくらべれば、イスラーム への帰属のしかたに相違が出るのは、おのずから明らかであろう。

ただし、スーフィズムの要素や、中国文化の海のなかで育まれてきた中国イスラーム における回族の伝統的な思考方法ならびに生活倫理などは、大きな研究テーマとして 存続し、今後その重要性は増すにちがいない。また、仄聞するところでは、つい2、 3年前から海外留学の機会が認められなくなるマンラーのケースも出てきているとい い、そうした中国社会、政治、国際環境とのかかわりも慎重にフォローしていく必要 があるように思われる。

以上は、「資料調査、収集」という目的をもった今回の旅の中で得た印象です。

 


<追記>

より詳しいことについてのお尋ねは、梅村宛に お寄せください。折り返しというわけにはいきませんが、なるべく早く、可能なかぎ りの範囲で情報は提供いたします。