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 海外派遣・トルコ共和国総理府オスマン古文書館調査報告
<オスマン帝国の資産台帳に関する文書調査>

(1998年9月2日〜10月4日)

高松 洋一(東京外国語大学非常勤講師)

 

「オスマン帝国の資産台帳Temettuat Defteriに関する国際共同研究」の活動の一環として、イスタンブルのトルコ共和国総理府オスマン古文書館において約一ヶ月間の調査をおこなった。今回の目的は、資産台帳そのものの調査ではなく、資産台帳の作成に関する史料の調査であった。

  1. 資産台帳研究上の問題点
  2. 資産台帳の作成に関する史料収集
  3. 資産台帳の作成に関する文書の紹介
  4. 活動計画
  5. 最新の研究動向


1.資産台帳研究上の問題点

資産台帳そのものが、19世紀中葉のオスマン朝における個人レベルでの資産状況に関し、詳細な情報を与えるという点において、特異な史料価値をもつことは最近よく知られるようになった。また資産台帳の作成が、税制改革の過程で導入された「資産税」課税を目的としておこなわれたことも明白である。
しかしながら資産台帳の作成は、各地について実施年度は異なっても、今日知られている限りでは、一度しか行われなかったために、きわめて詳細ではあるものの、単年度のみのデータが残されているだけである。したがって資産台帳にのみによっては、通時的分析をおこなうことは不可能であり、史料として資産台帳を利用していくうえで、なんらかの他の史料とのつきあわせが必須と考えられるが、これに匹敵する詳細な情報は現代になってようやく入手できるほどのもので、資産台帳から得られる情報を歴史的に評価するのは相当に困難な作業であると思われる。

修士論文に各地の資産台帳をとりあげることは、最近のトルコ共和国において一種流行になった感がある。当地の修論は、史料校訂とオスマン語のラテン文字転写のトレーニングを学生に積ませることを主目的として指導教官がテーマを与えるという、長いレポートのようなものであることが多いが、将来的にはこうした修論により数多くのデータが蓄積されることで、同時代的に各地の資産状況が通観されるようになる可能性がないわけではない。しかし、イスタンブルの総理府オスマン古文書館において、財務省収税局資産台帳として今日分類、カタログ化されているものだけでも17,747点に上るということを考えると(別の形で分類、カタログ化されてしまったもの、未整理のため閲覧が不可能なものを加えると現存する資産台帳の実数はこれ以上になる)、これらの成果を利用しつつ、一定の綜合・分析をおこなうには、まだ相当の時間が必要ではないかと考えられる。

こうした事情もあって、資産台帳をもとにした本格的な研究の数は、実はそれほど多くはない。その一方で、資産台帳そのものから得られるデータにのみ目が奪われがちなためであろうか、このような大規模かつ詳細な資産調査の実施がいついかなる経緯で誰により決定されたのか、調査の実務はいかに行われたのか、調査の過程でどのような問題が発生したのか、調査の結果作成された台帳はいかなるかたちで利用されたのかというような、基本的な事実もまたほとんど手つかずのままである。

 

2.資産台帳の作成に関する史料収集

このような事態は従来の資産台帳に関する研究がおおむね資産台帳そのものの分析に終始する傾向があったことに由来すると考えられる。イスタンブル大学のキュテュクオール教授による論考Mubahat S. Kutukoglu,Osmanli Sosyal ve Iktisadi Tarihi Kaynaklarindan Temettu Defterleri, Belleten, vol.59, no.225(1995), pp395-412. を唯一の例外として、資産台帳の作成に関連する文書史料の研究は、未開拓だったのである。目下オスマン古文書学を研究の中心領域とし、資産台帳および社会経済史には全くの門外漢であった報告者が、「オスマン帝国の資産台帳 Temettuat Defteri に関する国際共同研究」に対しなんらかの有益な貢献が可能とすれば、関連の文書史料の発掘をおいてほかにないと思われた。それゆえ今回の調査は、資産台帳の作成に関する史料を収集することに目的を限定することとなった。

とはいえ、元来18世紀から19世紀のタンズィマート以前の史料を研究対象とする報告者にとって、今回の調査を遂行することが可能かという危倶があった。タンズィマート以降、文書を生産する主体であるところのオスマン朝の官僚組織が激変するために、それ以前の時代を専門とする報告者には、どこから手をつけるべきか五里霧中の状態であった。しかしながら、これまでの経験から、オスマン朝の相当の領域において、これほど大規模な資産調査が行われた以上は、キュテュクオール氏の利用した数点の文書以外にも、資産台帳作成の決定過程あるいは、作成の実務状況の報告などに関する文書・記録が残されている可能性はきわめて高いと思われた。またタンズィマート期の政府機構改革を反映して、文書の様式や文書館における整理・分類は異なるとはいえ、文書の接受や、発行文書の記録といった、文書処理の実際を貫く原則は、それまでの時代とそれほど相違ないのではないかという予想もあった。 そのため文書館における作業は、資産台帳が作成されたヒジュラ暦1256年と1261年を中心としてカタログを隅から隅まで目を通すことから始まった。結果的には、資産調査の実際に関しては、さまざまな性質の史料を70点以上発見することができた。幸いこれらは全て既存の研究では利用されていないものばかりである。これらの詳細な分析は目下進行中であるが、新たに発見された史料の概要をここにいくつか紹介することとしたい。ただし各々の史料について、文書の整理番号を記すことは敢えてしていない。

 

3.資産台帳の作成に関する文書の紹介

1. 資産台帳作成マニュアルの草稿。全国的に資産台帳が同一の規格で作成されたことは、中央政府の意向が徹底したことの現れであると考えられ、資産台帳作成で問題となる諸点について一問一答形式でマニュアルが存在していたことは、すでにキュテュクオールによっても紹介されている。今回の調査において発見することができた草稿には加筆の跡が多数あり、資産調査で実際に生じた問題に応じて訂正されていったものと考えられる。なお現在イスタンブル大学に留学中の秋葉淳氏(東京大学大学院博士課程)に、イスタンブル大学図書館「貴重書および博物館図書館」においても資産台帳作成マニュアルが所蔵されていることをご教示いただいた。今回はイスタンブル大学に研究許可申請をしていなかったため、実物を目にする機会はなかったが、秋葉氏のノートからすると、これも同一のテクストであることは間違いないようであり、この同一のマニュアルが中央から各地に配布された可能性を示すものである。秋葉氏からはほかにもタンズィマート期の税制改革に関する印刷された諸規定の存在を教えられたが、文書館所蔵の手書きの史料だけでなく、印刷された通達類の調査の必要を感じた。

2. 試みに作成した資産台帳の一部を例として中央政府に送付し、添削のうえ返却を求める上申文書。中央の要求に正確に応えようとする地元の意思が見て取れるほか、上記のようなマニュアルが作成されたことと併せて、資産台帳作成の現場においてかなりのとまどいと混乱があったことを示唆している。

3. 実際の資産調査実施にあたって生じた問題点の問い合わせに関する上申文書。それらによれば、山地で半野生化した馬をどのように登録すべきか、長期にわたって本籍を離れて活動する商人の資産は本籍と現住地のいずれで登録すべきか、などという実施上の生々しい問題点が明らかとなる。上記のマニュアルが作成された背景として、これらの上申が存在したことも指摘可能である。

4. 資産調査にあたって、抵抗した街区、遊牧民集団があったこと、あるいは資産の秘匿に関する報告。当然予想されることではあるが、新税の導入を警戒して、資産調査に非協力的な集団があったことが実証された。また脱税目的での資産の秘匿が見られたことは、資産台帳を史料として利用する際に、データの信憑性に一定の留保を迫る必要があることを示している。このほか資産調査そのものへの抵抗ではないが、資産税の不払いに関する報告や、住民の困窮により資産税の減免を求める上申も発見された。他方、資産税の導入により税の軽減が実現したとして、タンズィマートの改革に感謝する旨の、カーディー、街区や村落の有力者とギリシア、アルメニア、ユダヤの各コミュニティーの代表者による連判状も多数発見された。但しこれらは、チャナッカレ、ラプセキなど、マルマラ地域に関するものにかたよっており、果して住民の自発的意思によって作成されかどうかは不明である。

5. 資産台帳の提出の報告。 これにはタンズィマートの地方行政改革で設立された地方会議単位によるものと、県単位によるものとがある。県単位の報告では、各カザーから徴収される見込みの資産税の総額を示す覚書が添付されていることが多い。これによって地方会議が資産調査の主体になったものの、税収の捕捉は県単位で行われたと推測される。また資産台帳そのものには日付がないが、これらの報告により、台帳作成の日付を推定することが可能であろう。

6. 資産調査の実施の報告。 これは数は少ないが、例えばエディルネでは街区を二等分し、それぞれをムスリムの書記とギリシア正教徒の書記が二人で調査をおこなったことが明らかとなった。調査の担当者に関しては、1256年の調査において不適格な書記の罷免を求める上申もいくつかある。

7. 資産台帳の作成を命じる勅令の要録。 現存する資産台帳のカタログからだけでは、資産調査が国土のどの範囲で実施されたのかを正確に知ることができない。この勅令の受取人を分析することで、実施範囲をある程度明らかにすることが可能である。またその文言からは、資産調査が、タンズィマートの諸改革の一つの柱として公正な課税をおこなうための調査であると明確に位置づけられていたことがうかがわれる。またこうした勅令を受け取り、住民の前で読み上げたことに関する報告も多数確認された。今回勅令の要録を記した台帳は十分調査する時間がなかったため、今後同種の史料がさらに発見される可能性が大きい。

以上が今回の調査で発掘された史料のあらましである。ちなみに今回の調査では、文書館の人員不足のためかコピーの仕上がりが例年に比して異常に遅く、調査期間内にコピーを受け取ることができるか非常に不安であったが、幸い文書館員諸氏の好意と努力により、閲覧しえた関係史料は全て電子複写を入手することができた。

他方、今回の調査においては、タンズィマート期の政策決定過程に関する最良の史料群が現在整理中のため閲覧を許されず、資産台帳作成にいたる政策決定に関しては、とりたてて成果をあげることができなかった。またほかにも、調査期間の一ヶ月間に他の閲覧者が利用中であったために、目にすることのできなかった台帳がいくつかあり、今後の課題として残された。
未解決の課題は残ったものの、これほど多くの史料がこれまで利用されてこなかったことは、大きな驚きであった。また資産台帳のデータにのみとらわれず、関連する史料の博捜することが今後も必要であることを痛感した。資産台帳のデータを利用する際に史料批判を正しくおこなう上でも、これらの史料の参照は必須のものと思われる。

また資産台帳が資産税の課税という目的で作成されたという事実を、研究者は絶えず念頭において利用すべきではないかという感を深くした。また資産台帳の作成という歴史的事実をタンズィマートの一連の改革の流れの中でとらえることの必要性を痛感した。


4.活動計画

さらに出張期間中の9月10日には、「オスマン帝国の資産台帳Temettuat Defteriに関する国際共同研究」の日本側メンバーである林、江川の両氏と報告者、トルコのカウンターパートであるイスタンブル大学歴史学科助教授のマヒル・アイドゥンDoc.Dr.Mahir Aydin氏の計4名による第一回の会合がイスタンブル市内のエレンキョイで行われた。当日林氏による基調報告が行われ、今後の計画案が出席者に配布された。その後、各出席者による若干の修正を経て原案はほぼ承認された。ちなみに会談はすべてトルコ語によりおこなわれた。

これにより、とりあえずは一年半後をめどに以下のような章立てによる出版計画が確認された。

1. 文書史料としての「資産台帳」
2. オスマン朝の改革運動と資産調査
3. 資産台帳に基づくオスマン朝社会像
  1) アナトリア地域(バルケスィル)
  2) バルカン地域(タタルパザルあるいはフィリベ)

出版は英語でおこなわれ、1.を林、2.を高松、3.の1)を江川、3.2)をアイドゥンが担当執筆する予定である。  またできればアイドゥン氏を来年度日本に招聘することについても話合いがもたれた。

さて報告者はアイドゥン氏とは初対面であったが、資産台帳の利用上の史料的限界を十分承知しているうえに、トルコ共和国の研究者に往往にして見られるアナトリア中心主義からも全く自由な発想の持ち主であった。これは、氏がトルコの研究者にしては珍しく、バルカン地域を主たる研究対象としてきたことや、これまでタンズィマート初期の史料を自分なりに検討してきたためであろうと思われる。いずれにせよ共同研究をおこなう上でいだいていた不安は取り除かれた。もし氏の招聘が実現すれば、文書史料講読のセミナーなどを通じて、後発の日本のオスマン朝史研究にも益するところ大であると思われる。

 

5.最新の研究動向

また今回の調査期間中、カイセリの資産台帳が校訂されて、カイセリ商工会議所によって出版されたという情報をイスタンブル大学歴史学科のイルハン・シャーヒン教授Prof.Dr.Ilhan Sahinからご教授いただいた。しかし非売品ということで、入手をあきらめかけたが、イスタンブルのラーシム・ユクセルRasim Yuksel氏のご好意により、一冊寄贈を受けることができた。特筆すべきは、公刊されたこの資産台帳は、従来知られていなかったヒジュラ1250年の調査に関するものであることである。すなわちタンズィマート開始のヒジュラ1255年より前に早くも資産台帳が作成されたことを示すものである。

また調査期間中の9月21日から25日にかけて、オーストリアのウィーンにおいて、国際トルコ学会議(International Congress of Turkish Studies, CIEPO)が開催され、これに発表者として参加した林氏より、トルコからの参加者には資産台帳に関する発表がいくつか見られたこと、またブルガリアからの参加者にも資産台帳に関する発表があったという情報を得た。なかでもイスタンブル大学のメフメト・イプシルリ教授Prof. Dr.Mehmet Ipsirliは、おそらく上記の公刊されたのと同一のカイセリの資産台帳によって発表をおこなった模様である。ちなみに自身カイセリの出身である氏の利用した資産台帳の実物は、未整理のため一般には閲覧が不可能とのことである。林氏はこれらの研究者と早速コンタクトをとった模様である。

さらに帰国後、やはりこの国際トルコ学会議に参加されたA.A研の黒木氏のご好意で、会議の発表要旨を見る機会を得た。ブルガリアからの参加者は、サマコフSamakovについて資産台帳の分析をおこなったソフィアのスヴェトラ・ヤネヴァSvetla Ianeva氏であった。また従来研究史の完全な欠落部分であったタンズィマート初期の税制改革に関し、アンカラのハジェッテペ大学メフメト・セイトダンオール氏Prof.Dr.Mehmet Seyitdanogluが発表をおこなったことも知った。改革の柱として、住民の資産調査がおこなわれたことを指摘する氏の主張は、資産台帳の作成を一連のタンズィマートの諸改革の流れでとらえるべきだと考える報告者にとって非常に興味のもたれるものであったが、いかんせん発表の要旨からは氏の諸説の一部分しかうかがえなかった。いずれにせよ、資産台帳に世界のオスマン朝史研究者の耳目が集まりつつあることを確認した次第である。

最後にこの場を借りて、今回の調査に際しお世話になった方々に感謝の意を示して締めくくりとしたい。