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2001年度の総括

 

 


2001年度の総括

「イスラーム関係資料の収集と研究」を課題とする第6班は、前年度にひきつづき、「史資料の収集」、「史資料の利用を有効にすすめるためのコンピュータ利用に関する研究」、「史料研究」の3つのテーマを軸に、活動を行った。

研究分担者4名、協力者数名の小所帯の研究班であったが、「史料研究」の枠内では4つの研究会組織が活動し(オスマン文書研究会、ペルシア語文書研究会、アラビア語写本史料研究会、ムガル史料研究会)、いずれも活発な研究会活動を行った。2回の史料講習会、計8回の研究会・講演会、国際会議(Dynamism in Muslim Societies)におけるセッションの主催、公開シンポジウム1回、月例の定例研究会など、活動は多岐にわたった。直接の研究成果は、平成14年中に2冊の英文論文集、1冊の解題つき史料訳注書として刊行される予定である。また、各研究会にはオーガナイザーとして活動した研究分担者・協力者のほかに、常時多数の大学院生が参加し、若手研究者の育成という意味でも、大きな成果をあげた。恒例の史料講習会(今年度は、9月にオスマン文書講習会、10月にアラビア語写本講読会を開催)は、若手研究者にとって直接史料にふれるよい機会となったといえよう。

研究会活動はいずれも前近代を対象とする歴史学の枠組みで行われ、現代研究との接点を十分にとることができなかった点が反省点として残るが、古文書を中心としたイスラーム史料研究そのものが日本においては新しい研究分野であり、研究成果がやがて現代研究者と共有され、それぞれの立場から議論が深まることによってこの課題は克服されていくものと期待される。いずれの研究会組織も、対象とするイスラーム地域の史料状況の把握につとめ、現地の研究者との連絡を密接にとりながら研究を実施した。その点を深化させることは、今後さらに実り豊かな史料研究をすすめていくための前提となろう。

史料研究と並行して行った「資料収集」では、今年度は、アラビア語・ペルシア語・トルコ語、ウズベク語、カザフ語、ロシア語等の書籍・雑誌、約7001100冊が購入された。全購入図書のデータベース化はほぼ終了し、そのカタログはインターネット上で公開されている。また、購入書籍・雑誌はすべて東洋文庫新プロ閲覧室で開架方式により閲覧可能である。5年間の活動を通じて、全体として、アラビア語(1400点)、ペルシア語(1300点)、トルコ語(2000点)、中国語(500点)、ウイグル語(430点)、中央アジアのトルコ諸語(400点)、スンディー語(50点)、マレー語(350点)、南アジア諸語(350点)をはじめ、雑誌・洋書を含む約7000点近くが収集された。その全リストは、冊子『イスラーム地域研究第6班収集イスラーム関係資料全リスト』としても出版された。

6班の収集図書、ならびに東洋文庫所蔵のイスラーム関係図書をオリジナル・スクリプトを用いてデータベース化する事業は、東洋文庫で開発された方式にもとづき、ほぼ完了した。その方式を用いて他機関の所蔵図書との統合データベースを作成する作業は今年度も続行し、平成12年度の東京大学東洋文化研究所と東京外国語大学につづき、平成13年度には東京大学文学部所蔵のアラビア語・ペルシア語図書のデータベース化を完了した。その結果、東洋文庫・東京大学東洋文化研究所・東京大学文学部・東京外国語大学所蔵のアラビア語・ペルシア語総合データベースが完成し、すでにインターネット上で公開、オンライン検索が可能となっている。

以上のイスラーム関係資料の総合目録作成を通じてコンピュータでアラビア文字を扱う技術と経験は十分に蓄積された。これをうけて、今年度は、全国の大学等図書館を結んだ国立情報学研究所の「国立大学等図書館総合目録(NACSIS-CAT)」のアラビア文字対応のための環境を整備する活動に力を注いだ。平成12年度に発足した「アラビア文字総合データベース連絡会」の下に、「アラビア文字文献入力規則ワーキンググループ」をたちあげ、NACSIS-CATのアラビア文字対応に必要な入力規則案の策定を行った。ワーキンググループでは、アラビア文字文献を所蔵する全国の主要な大学・研究機関からも意見を聴取し、書誌情報入力のアラビア文字化の問題点を協議した。その結果まとめられた入力規則案は、2001914日開催の第3回アラビア文字総合データベース連絡会に報告され承認された。入力規則案は、20023月7日開催の国立情報学研究所入力規則委員会において審議の結果、承認され、今後は、国立情報学研究所でのシステム上の対応をへて、平成14年度中にはNACSIS-CATのアラビア文字対応が開始される予定である。総括班と6班では、すでにNACSIS-CATに翻字ローマ字によって登録されているアラビア語書籍の書誌情報をアラビア文字へ変換する作業をすすめており、NACSIS-CATのアラビア文字対応後には、既入力データは一斉にアラビア文字表示に変わる予定である(既存の翻字データは、「読み」として保存される)。正確な音読を必要とし入力のみならず検索作業にも大きな負担となっていたローマ字翻字を経ずに、日本全国に所蔵されたアラビア文字文献をアラビア文字で検索できる日が平成14年度中には実施の見通しとなったことは、大きな成果といえよう。上述の4機関の総合目録も、平成14年度中には、NACSIS-CATに統合される予定である。(林佳世子)


研究会活動


○オスマン文書研究会

今年度のオスマン文書研究会は、国際シンポジウムでのセッション運営と外国からの招聘研究者による「オスマン語文書講習会」に加えて、2回の研究会と1回の講演会を実施した。

2回の研究会では、いずれもオスマン文書を使った研究報告が行われた。高堀氏(4月)、マリノ氏(6月)ともに、文書や記録を丹念に読み込んで、オスマン海軍や州の制度、あるいは名望家の資産運営の実態の解明をめざす詳細な報告をおこなった。さらに9月のオスマン語文書講習会(アクユルドゥズ氏)と10月の講演会(リトル氏)は、いずれも文書そのものをテーマとしたものであった。アクユルドゥズ氏のオスマン文書講習会では、19世紀のオスマン文書の文書が多数講読され、さらに文書から文書作成のプロセスを読み解く技術も解説され、最新の研究成果に触れるよい機会となった。リトル氏の講演会では、マムルーク朝時代のエルサレムのイスラーム法廷文書の性格づけ、読解に焦点があてられた。

200110月に木更津かずさアークで行われた国際シンポジウム「The Dynamism of Muslim Societies: Toward New Horizons in Islamic Area Studies」においては、第6班は「Contracts, Validity, Documentation: Historical Research of the Sharia Courts(契約、効力、文書化:イスラーム法廷の歴史的研究)」と題したセッションを組織した。このセッションは6班の各研究会の共通テーマであった「イスラーム法廷制度・法廷文書とイスラーム社会研究」を基本コンセプトとしたものであり、近年特に注目を集めているイスラーム法廷史料を用いた社会・経済・文化史研究を、法廷や文書の機能から検証し、さらに今後の研究にイスラーム法廷史料を用いる際の問題を検討するという、二つの目的から企画された。セッションでは、今までのようなオスマン朝のイスラーム法廷中心の研究態度を刷新するために、時代や地域に広がりを持った構成がとられ、比較の観点が重視された。

大別して、三つにテーマが扱われた。第一に、婚姻と離婚を、法廷の役割と文書から明らかにしたもの(マムルーク朝の離婚と女性を扱ったリトル報告とオスマン朝の婚姻を扱った大河原報告)、次いで、法廷の場における資産譲渡の実態を明らかにしたもの(マリノ報告)、最後に、国家と法廷の関係を時代やテーマを限定して考察したもの(16世紀のオスマン朝の中央政府におけるイスラーム法廷の役割を扱った松尾報告とワクフ訴訟とイスラーム法廷、国家権力の関係を扱った近藤報告)である。時間の制約もあって各地域、各時代のイスラーム法廷制度・史料の比較にまで踏み込むことはできなかったが、今後はこれを意識した研究会を組織していくことを課題としたい。

平成11年度からの3年にわたるオスマン文書研究会は、文書そのものの研究方法と文書を用いた研究方法の二つの目的を追求してきたものであった。前者については、数回にわたる文書講読会や文書・記録に焦点を絞った研究会の実施によって、一定の成果をあげることができた。後者については、文書・記録を用いた分析例を示した研究会の開催によって、やはり一定の成果をあげることができたといえよう。研究会への参加者数が多数にのぼったことからもわかるように、オスマン文書研究への関心はかなり高いものがある。オスマン文書研究会に参加した若手研究者が今後、オスマン文書研究に積極的に関わっていくことを期待したい。(大河原知樹) 

 

1回オスマン文書研究会

開催日:2001.4.28(土)
場所:東京大学文学部アネックス大会議室
報告者:高堀英樹(中央大学大学院博士課程)
題目:16世紀オスマン古文書の研究---海洋州成立を中心に
概要:
二つの報告からなる。報告の前半はイスタンブルの総理府オスマン古文書館とトプカプ宮殿博物館古文書館所蔵の文書・記録のうち、16世紀を研究する上で、重要な勅令抄録(ミュヒンメ・デフテルレリ)、財務省移管台帳(マーリーイェデン・ミュデッヴェル・デフテルレル)についての解説がくわえられ、調査の際の注意点などが指摘された。報告の後半は、16世紀にオスマン海軍が、提督ハイレッディン・パシャのもとに増強され、その下でエーゲ海の島々と北アフリカの領土を加えた広大な州「海洋州(ジェザーイル・ベイレルベイリー)」が成立したという通説を批判的に検証し、歴代の海軍提督の就任期間やキャリアパターンを検討した。16世紀の史料の少なさという限界の中で、丹念に史料を読み込んで通説に挑戦しようとする意欲的なものであった。

第2回オスマン文書研究会 (「イスラーム法廷制度・法廷文書とイスラーム社会」研究シリーズ@)

開催日:630日(土)
場所:東京大学文学部アネックス大会議室
発表者:ブリジット・マリノBrigitte Marino(日本学術振興会招聘研究員)
題目: Purchasing properties in eighteenth-century Damascus: The case of Sulayman Pasha al-'Azm18世紀のダマスカスにおける資産の購入:スライマーン・パシャ・アルアズムの場合)
概要:
18世紀初頭にシリアの名望家(アーヤーン)として勃興したアズム家のうち、2人目にダマスカス州総督に就任したスライマーン・パシャ・アズム(在任1734-38, 41-43)の財産運営を、膨大なイスラーム法廷記録にもとづいて明らかにした。スライマーンは1735年と37年、38年の3度にわたってワクフを設定している。ひとつは子孫のためで、残る2つは自身のたてたマドラサのためである。それに関連する売買や賃貸の証書100点の記録から、市内に存在する市場や公衆浴場、隊商宿や郊外に広がる物件がワクフに設定されていることが確認された。もっとも注目されるのは、物件の購入方法である。同じ物件が日をおかずに何人もの人間の間で権利の移転を繰り返している例が多数確認された。これが何を意味するのかは残念ながら十分には判明しなかったが、今後イスラーム法廷記録を研究する際に注目すべき事例であることは確実である。今後はイスタンブルの遺産文書などもちいて、同家の資産の全貌が解明されることが期待される。

オスマン文書講習会

講師:Prof. Ali AKYILDIZ (Marmara University, Istanbul)
解説・通訳:高松洋一(東洋文庫奨励研究員)
開催日:2001年9月25日〜28
場所:東京大学文学部アネックス
概要:
2001925日から28日の4日間、19世紀のオスマン朝史を専門とされるアリ・アクユルドゥズ教授を講師に迎えオスマン語文書講習会が行われた。参加者に時代背景やオスマン文書に関する予備知識をもってもらえるよう、あらかじめアクユルドゥズ教授の代表論文3点とその日本語要旨が配付された。

それらを踏まえたうえで、まず第1日目は講習会の導入としてオスマン朝における改革運動(1718-1876)の枠組が解説され、タンズィマートよりもそれに先立つマフムート2世の改革こそが重要であることが説明された。ついであらかじめコピーを配付しておいた36点の文書の実例についての説明に移った。講習会では個々の文字の読解や語釈よりも、文書の各様式の構成要件や機能、行政機構における作成の過程に説明の力点が置かれた。最初にオスマン朝の君主自らが筆をとったハットゥ・ヒュマーユーン、ついで君主の意思を宮廷秘書官が記したイラーデ、大宰相以下の高官による命令であるブユルルドゥ、審議会の上申であるマズバタというように、順を追って体系的な説明がなされ、一見似たような形状の文書の様式をいかに同定するかという実践的な知識も開陳された。また随所で、今日19世紀のオスマン語文書をおそらく最も数多く手にした研究者だと思われるアクユルドゥズ教授ならではの、他では絶対聞くことのできない創見を聞くことができ、初学者のみならず、すでにオスマン文書を相当扱ったことのある参加者にとっても非常に有益な講習となったと思われる。

4日間連続というきつい日程にもかかわらず最後まで参加者の数が減ることもなく、アクユルドゥズ教授も参加者の熱心な態度に少なからず感銘を受けたようであった。トルコ共和国においてもオスマン朝の文書を体系的に説明できる数少ない研究者のひとりであるアクユルドゥズ教授の講義を日本で聴講できるという貴重な機会に恵まれた参加者たちが、今後独力でオスマン語文書に取り組んでいくきっかけとなれば幸いである。

  ●オスマン文書研究会主催Donald P. Little氏講演会

開催日:20011011日(木)
会場:京都女子大学
報告者:Donald P. Little (MacGill University)
題目: The Haram al-Sharif documents of Jerusalem(エルサレムのハラム・シャリーフ文書)
概要:
エルサレムのハラム・シャリーフ文書の発見の経緯と重要性についての講演会。
1970年代半ば、エルサレムのハラム・シャリーフのイスラーム博物館で偶然発見された900点余のイスラーム法廷文書を、講演者がどのように調査し、分類したかが、スライドをもちいて報告された。くしゃくしゃに丸まっていた紙が丹念にしわ伸ばしされ、計測、写真撮影されていった様子が説明されたほか、実際の文書が数例、読解の際に注意すべき点が非常にくわしく解説された。スライドには、紙やインクの色合いやかすれ具合が克明にみえて、理解がしやすかったほか、残る時間を最大限使って、中世のイスラーム法廷文書の第一人者の研究成果が、文書の種類や文字の読解などの点から余す所なく示された。オスマン朝以前のアラブの文書コレクションはまとまったものでは(ゲニザ文書など)4つしかなく、これらの文書史料を丹念に読み込んでいくことが今後の研究の鍵となることが改めて確認された講演であった。


○ペルシア語文書研究会

今年度3回の研究会(526日、7月 15日、1月26日)を行った。そのうち、第2回は10月開催の国際シンポジウムの準備をかねて、近藤信彰、大河原知樹が報告を行った。イランとシリアのシャリーア法廷の比較という従来なかった試みであり、国際会議の法廷に関するセッションの成功につながった。第1回では磯貝健一が中央アジアのマドラサのカリキュラム文書を紹介し、伝統的なマドラサ教育のシステムが明らかとなった。第3回は渡部良子による書記術手引書およびインシャー文学に関する報告であった。文書と密接な関わりをもつペルシア語世界に広く見られる形式の文献に関するもので、活発な意見の交換が行われた。

ペルシア語文書研究会は3年間の活動を通じて、数多くの研究会を開催し、国際ワークショップや写本・文書講読セミナーを行った。それにより、この分野の研究者の結集が果たされ、国際的にもこのテーマに注目を集めることができたのではないかと思う。各研究者の方向はさまざまであるが、今後も内外の研究者との連携を深め、世界の海外をリードするような研究が日本から次々生まれるよう、何らかの形で活動を継続したい。(近藤信彰)

 

1回ペルシア語文書研究会

開催日:2001526()
場所:東京大学文学部アネックス小会議室
報告者:磯貝健一(京都橘女子大学)
題目:前近代中央アジアのマドラサのカリキュラムについて
概要:
 ウズベキスタンとロシアの関係諸機関に収められている古文書を用いて前近代中央アジアにおける知的活動を明らかにする報告であった。以前から磯貝氏が取り組まれている書籍のワクフ文書の他、サンクトペテルスブルグの東洋学研究所所蔵の「ムダッリスの担当授業一覧」および「学生の心得」が取り上げられた。

19世紀ブハラのものと思われる「ムダッリスの担当授業一覧」に見える授業で用いられたテキストが一つ一つ同定され、15世紀以降、ほとんど内容に変化が見られないことが明らかとなった。また、各マドラサで一人の教授がどのような割合で授業を担当したかも示された。一方、「学生の心得」では一人の学生がどのような順序で学問を学習していったかが、明らかになった。両文書ととも、従来紹介されていない珍しい文書であり、校訂テキストや文書の配置も示され、非常に興味深いものとなった。
 質疑では、小松久男氏よりフィトラトの自伝のマドラサ関係の部分が紹介され、文書の内容と驚くべき合致を見せ、その真正さが証明された。また、「担当授業一覧」の単位である"dars"を磯貝氏は「コマ」と解釈されていたが、「コマ」概念そのものが西欧近代的なものでないかという指摘が出た。より情報の多いオスマン朝との比較を含めて、活発な議論が行われた。

第2回ペルシア語文書研究会 (「イスラーム法廷制度・法廷文書とイスラーム社会」研究シリーズA)

開催日:2001715()
会場:東京大学文学部アネックス中会議室
報告(1) 近藤信彰(東京都立大学)
「二重のワクフ」訴訟−−ガージャール朝期シャリーア法廷研究序説
報告(2) 大河原知樹(日本学術振興会特別研究員)
オスマン朝における婚姻契約と文書作成
概要:

第1報告では、テヘラン郊外の村に設定されていたワクフ財の所有権をめぐる争いの中で出された9通のホクムの分析を手がかりに、ガージャール朝期のシャリーア法廷の「訴訟」機能とその実態について検討がなされた。

まず、これまでの研究の問題点が指摘され、その後、王族女性とグルジア出身ゴラーム間の争いを焦点に、各文書の内容が具体的に紹介された。その中で、個々の用語に関する問題から、関わった法学者の紹介、および彼らの国境を越えた裁判への関与等が指摘され、マルジャエ・タグリードの確立という時代背景と結びつけて、国家とは別のヒエラルキーの形成途上と結論付けた。これまでほとんど扱われてこなかった難解なシャリーア法廷文書が鮮やかな切り口で語られ、その豊かな歴史史料としての価値が改めて証明されたこと、単なる個別的な事例研究にとどまらず、イランにおけるウラマーをめぐる諸問題にまで言及されたことは特に注目される。

質疑においては、イランを専門とする研究者のみならず、オスマン朝や中央アジアを専攻する参加者をまじえて、文書の事実関係の確認から法的強制力の問題に及ぶまで活発な議論が交わされた。シャリーア法廷に強制的な執行力が欠けていたにも拘らず、なおそれが存在し、機能していた事実については、「法」概念や「公」に関するイラン、およびイスラーム世界における捉え方とその変容という観点から、本報告によって貴重なステップが踏み出されたと考えられるが、一方、その機能の不完全さゆえの「曖昧さ」とどう向き合っていくかが今後の研究におけるひとつの焦点になると考えられる。

第2報告は、発表者である大河原氏がこれまで研究を続けてきたオスマン朝時代のシリアを対象として、イスラーム世界の婚姻制度の実態およびそれが現在のシリア社会に与えた影響をあきらかにしようとしたものである。

発表は大きく二つに分かれていた。前半においては、イスラーム世界における婚姻制度の概観に始まり、オスマン朝以前およびオスマン朝下のシリアにおける婚姻契約制度について考察が加えられた。それによると、マムルーク朝を征服したセリム1世の時代には、早くも婚姻契約制度の変化が見られるという。すなわち、マムルーク朝期には、シャリーア法廷と公証人役場がそれぞれ独立していたが、オスマン朝は公証人役場を廃止し、シャリーア法廷内にその機能を持ち込んだ。このことによって、カーディーに婚姻を届け出て、登録を受けるとともに手数料を支払うという、それまでに存在しなかったシステムがこの時期にシリアに導入されたと考えられる。スレイマン1世期のシェイヒュルイスラームであったエッブスウードのファトワーを分析したImberも、この事実を裏付けるファトワーの存在を提示している。ところが、実際に法廷台帳を調査してみても、そこには婚姻記録は、ほとんど存在しないため、Imber説に対しても大きな疑問が残された。タンズィマート期には、婚姻許可台帳 izinname defterleri が成立し、また1881年には戸籍台帳法が制定された。さらに多くの関連法規が準備され、最終的に19171231日に家族法が制定されるに至って、オスマン朝における婚姻制度は一応の確立を見たということができる。また、16世紀のカーヌーンナーメ以降、20世紀初頭に至るまでのシリアにおける婚姻に関する法令の記載内容の発展もあわせて確認された。

発表の後半では、1902年から1927年までの婚姻許可台帳を用いて、平時と戦時(第一次世界大戦)の婚姻傾向の違いについて考察した。さらに、季節ごとの婚姻件数を分析することによって、現在は夏に多く冬に少ないとされている婚姻が、今世紀初頭においては3〜5月に特に多いことがあきらかになった。また、第一次世界大戦勃発を境に、婚姻件数が激減していることも確認された。続いて、ダマスクスを中心とした婚姻関係の地域的つながりについて言及された。婚姻における地縁関係については、郊外の地域に対するダマスクスの求心力の強さが認められる一方で、農村地域においてはその地域内での婚姻が多いこと、隣村との交流が活発でないことがあきらかとなった。結婚年齢については、ダマスクスはイスタンブルと同水準であった。また婚姻件数と同様に、結婚年齢についても第一次世界大戦によってそれまで安定していた数値が一気に流動化したことが述べられた。最後に婚資額についてもやはり、大戦期に急激な上昇が見られた。

まとめとして、大河原氏は、いまだ起源も制度的沿革も不明瞭な婚姻許可状の実態および婚姻税との関連性の更なる解明の必要性を強調した。加えて、後半で検討した配偶者の選択、結婚年齢、婚資額については多変量解析を用いた分析が必要であるとして発表を締め括った。

今回の発表は、これまでかならずしもあきらかにされてこなかった、イスラーム世界の婚姻制度について、シリアに対象を限定しつつも、その解明を試みた画期的なものであったように思われる。ただ、少し残念であったのは、前半部分において16世紀のスレイマン1世紀以降、タンズィマート期にいたる時期の状況がほとんど言及されなかったことである。この問題は、検討するカーヌーンナーメの年代の幅をさらに広く取ることによって、ある程度解決されるように思われる。

●第3回ペルシア文書研究会

開催日:126(土)
場所:立命館大学国際平和ミュージアム内衣笠セミナーハウス

報告者:渡部良子(東京大学大学院)
題目:ペルシア語書簡における位階の作法−イラン・イスラーム世界における文書作成の理念をめぐる1考察
概要:

報告者が専門とする13-14世紀のペルシア語圏では、現存する古文書が極めて少なく、文書行政や文書作成技術、書記の知識について明らかにしようとする時、書記術手引書、インシャー文学をどのように活用してゆくかが問題となる。本報告では、ペルシア語書記術手引書の中で、文書作成の作法が多くの場合、文書授受者間の位階の差に基づいて論じられている点に注目し、文書作成における位階の作法が具体的にどのような細目を持つのか、ペルシア語文書作成の理念の一側面として、位階の差の遵守がどのようなものとして書記たちに理解されていたのかを、書記術手引書の記述に即し明らかにした。

具体的な方法としては、まず、14世紀の複数の書記術手引書に見られる、位階の作法を巡る記述を検討した。そして、受取人の敬称・称号(ラカブ)、差出人の自称、美文による冒頭祈願句を含む文書の書面構成や、冒頭余白・行間・署名位置などが文書授受者間の位階の上下関係により決定されていることを指摘し、異なる位階間で要求される作法を遵守することで、命令書・上奏書の書式、授受者の力関係を微妙に反映する公式書簡の書き方が決まるのではないか、という仮説を提示してみた。さらに、書記術手引書における称号の一覧から、位階の区別が君主・文武の高官・ウラマー等の伝統的分類概念に基づいていることを確認した。最後に、このような位階の作法が実際にどのように用いられてきたのかという事例として、14世紀イルハーン朝の政治権力者ラシードゥッディーンの書簡集を取り上げ、ラシードの権力が各書簡にどのように反映しているのか、位階の作法から明らかにすることを試みた。

年度末という時期が悪く、参加者は限られていたが、活発な討論が行われた。特に、古文書研究の立場から、書記術手引書の記述だけから文書の区別を論じるのは困難ではないかという意見や、古文書学における文書分類は各文書特有の書面の構成・文章のパターンの違いに基づいており、必ずしも位階の差により分けられるわけではないという指摘があった。事例研究に関しては、位階の作法が儀礼的・形式的なものだとすれば、ラシード書簡に見られる位階の作法は必ずしもラシードの実際の政治権力を反映しているとは言えないのではないか、また、ラシードの書簡における差出人の位階は必ずしも彼自身の位階を意味するわけではなく、他の人物(君主など)を代弁している可能性があるのではないかという意見もあった。

いずれにせよ、新しい視点から、初めて本格的に書記術手引書やインシャー文学を分析し、当時の社会の実相に切り込もうとする意欲的な報告であり、古文書学的知見を踏まえることで、より一層の発展が期待できよう。



○アラビア語写本研究会

アラビア語写本を研究に利用することは我が国でも珍しくなくなったが、写本そのものを研究対象とするアラビア語写本学という分野は未発達である。このような日本の研究状況を踏まえ、本研究会は、アラビア語史料を扱うに際して考えるべきさまざまな問題点を、写本の利用を念頭に置いて検討するという課題を設定した。この課題について具体的に考えていくため、特定のアラビア語文献史料に関する共同研究を活動の中心に据え、最終的にはその訳注を出版するという目標を立てた。これは、写本学という大きな分野を意識しつつも、研究活動が散漫になることを避けたいと考えたためである。

研究対象とした文献は、11世紀にイラクの文人ヒラール・サービー(Hilal al-Sabi')が著した『カリフ宮廷の儀礼 (Rusum dar al-khilafa)』という作品である。本書は、著者が活躍した時代である11世紀前半を中心に、バグダードにあったアッバース朝カリフの宮廷における慣行やそこで執り行われた儀式などを記録したものである。同時代のイラクでは類書が現存せず、本書は当時のカリフ宮廷の様子を知るうえで第1級の史料であると言える。また同書には具体的な史実も数多く含まれており、10-11世紀のイスラーム史を考察するためにも重要な史料である。このように重要な著作であるが、いまだ日本語への翻訳はなされておらず、同書の日本語訳が我が国におけるイスラーム史研究の発展に寄与することは疑いない。同書の写本としてはアズハル図書館に所蔵されている1点(番号911)が知られており、原本の閲覧は難しいものの写真の入手は可能であるという見通しがあった。

この文献研究を進めるための定例研究会を本研究会の活動の軸とし、研究に必要な資料や情報を収集するために海外派遣事業をおこなった。さらに定例研究会だけでは扱いきれない問題を検討するために、外国人研究者招聘事業とシンポジウムを計画した。すなわち、写本学の専門家を海外から招き、写本を扱う際の問題点と方法論について理解を深める一方、シンポジウムを開催して、研究対象である『カリフ宮廷の儀礼』の内容に関連した議論をおこなうことにしたのである。言い換えれば、文献史料を研究するに際して、その内容および媒体である写本という2つの観点から検討することを意図したのである。現実に存在する文献史料は双方の要素から成り立っており、いずれの要素を疎かにしても、その文献を十全に理解することはできないからである。

定例研究会では、輪読会形式で『カリフ宮廷の儀礼』の研究を進めていった。すなわち、同書の活字本(ed. M. `Awwad.  Baghdad, 1964)のテキストを写本で確認しながら、担当者が準備した訳注を参加者全員で検討していった。また、テキストを読み解く上で問題となる重要な用語や固有名詞などに関しても議論した。そして、これらの検討結果を踏まえて訳注の改訂版を作成し、順次ウェブサイト上で公開していった。定例研究会は3年間で合計45回おこない、全文の検討と日本語訳注の作成をひとまず完了した。なお、毎回の定例研究会の参加者は5名前後であった。

『カリフ宮廷の儀礼』の写本はアズハル図書館に所蔵されているが、同図書館は利用が難しいので、カイロのアラビア語写本研究所に蔵されているマイクロフィルム(番号Tarikh234)の複製を1点入手して利用した。フィルムの取り寄せに際しては、日本学術振興会カイロ研究連絡センター長(当時)の大稔哲也氏にご協力いただいた。

その後、20018月に谷口をカイロへ派遣し、アラビア語写本研究所とエジプト国立図書館において『カリフ宮廷の儀礼』というタイトルを持つ写本フィルムをすべて確認した。その結果、それらはすべて同一の写本から撮影されたフィルムであり、また我々が利用しているフィルムが最良のものであることが判明した。また、関連文献の写本フィルムと刊本を収集した。

このほか、多様な写本史料に触れ写本利用の問題点について知見を広げるために、アラビア語写本研究の専門家を海外から招聘し、講演会と史料講読会を開催した。まず20007月に元エジプト国立図書館館長アイマン・フアード・サイイド(Ayman Fu'ad Sayyid)氏を招聘し、京都で史料講読会を3回おこない、福岡と東京で講演会を開催した。写本の物質としての側面と、余白や扉に見える書き込みから得られる情報について、主としてエジプトの事例によって考察された。

200110-11月には、ハレ大学教授シュテファン・レーダー(Stefan Leder)氏を招き、東京で講演会を開催し、京都では講演会と3回の史料講読会を実施した。主たるテーマは、イスラーム諸学の知識伝達の際に作成される免状(イジャーザ)および聴講記録(サマー)であった。これらの記録を読み解く方法と、その分析から明らかになる事柄について、主に12-14世紀にダマスクスで作成された写本を題材にして論じられた。

2度の外国人研究者招聘事業を通じて、写本の本文以外から多様かつ貴重な情報が得られることを再認識し、それらの情報への接近方法について理解を深めることができた。

研究会の成果の報告の一環として、2001129日に、九州大学において九州史学会と共催で「イスラーム世界の書記と書記術」と題するシンポジウムを開催した。『カリフ宮廷の儀礼』の著者ヒラール・サービーは書記として活躍した人物で、同書には書記術の手引書という要素も見られる。テーマの設定に際してはこれらの点に注目し、他の時代・地域の書記および書記術と比較しつつ同書の研究を深めるという点を意識した。もとよりテーマは同書の内容の一部のみに関わるものではあったが、研究発表と討論からは、定例研究会では得られなかった情報や着眼点を得ることができた。

以上の活動を3年間展開し、『カリフ宮廷の儀礼』の研究については一通りの作業を終えたが、成果の公表はウェブサイト上のみとなっている。そこで、訳注全体を再検討したうえで、京都女子大学から助成金を得て本年(2002)末までに日本語訳注を出版する予定である。上記の研究成果を盛り込んだ『カリフ宮廷の儀礼』訳注の出版をもって、本研究会が最初に掲げた研究目標はおおよそ達成されることになる。

研究活動全体を振り返ってみると、個別の作品研究に重点を置いたために、アラビア語写本史料の研究という大きなテーマについては、十分な深みと広がりを持った成果が得られたとは言えないかもしれない。しかしながら、アラビア語写本学という分野が確立していない日本の現状を考えると、まず問題の所在を明らかにし研究の方法論を修得していくことが、当面の課題であると言えるだろう。その点で、本研究会が外国人研究者を招聘して実施した講演会と史料講読会は高い意義を有するものである。

本研究会のように頻繁に定例研究会を開催しなくてはならない方法を採る場合は、参加者が特定の地域に偏りがちである。その問題を解決するためにも、参加者が1ヶ所に集まらずに研究会が開催できるようなインターネットの有効利用が切望される。我々もその点を意識してインターネットの研究利用に取り組んだ。なかでも『カリフ宮廷の儀礼』の日本語訳注をウェブサイト上で公表する作業には力を入れ、その結果、研究成果を迅速に公表するという点では一定の効果があった。しかしながら、我々が期待していた閲覧者からの反応はあまりなく、インターネットの双方向性を活かすためには、まだ工夫の余地があるように思われた。(谷口淳一)

*アラビア語写本史料研究会ホームページ 
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~yyajima/SGAMS/

●月例研究会

●アラビア語写本研究会主催Stefan Leder氏講演会(第1回)

開催日:20011024
場所:東洋文庫
題目:Spoken Word and Written Text: Modes of Transmission of Knowledge in Pre-modern Islamic Culture.
概要:

本報告は、氏の専門であるイジャーザ研究をより広い文脈で捉え直すことを目的としていた。イスラームは啓典の宗教であり、クルアーンを見てもその当初から、語られた言葉を書かれたテキストとして記録するということが根幹にあった。そして、ハディースもまた、語られた言葉をテキストとして記録する行為に他ならなかった。預言者の言行は幾人もの伝達者を経て口承で伝達され、やがてテキスト化された。テキスト化されたハディースもさらに口承で伝達され、それがさらにテキスト化された。口述試験の場合、その場には自分たちのためにノートを取る学者と職業的な写本作製者が参加していた。一般の講義の場合も、特にイスラーム初期の場合しばしば書物がそれからできることがあった。その場合、書物は著者に書かれるものではなく、弟子によって編纂されるものであった。

シャイフの前でテキストを読み上げること(qira'atan `alayhi)は知識の正確な伝達のために最も勧められた方法であった。これは、「オーディションの証明書」ともいうべきもので、あり高度に様式化され、通常、聴講会を主催するシャイフの名前、テキストを読み上げる人物の名前、他の参加者の名前、証明書を書いた人物の名前、聴講会の行われた場所と日付などが記された。現存する写本に含まれた大量の証明書を分析することにより、当時の知識の伝達の諸相が明らかとなる。たとえば、シャイフは聴講会にテキストや自分の集めたハディースを持ってくることができ、読み上げを聞いた後に、その正確さを確証した。聴講会は、シャイフと読み上げ者の2人で行うこともできたが、しばしば多くの一般の人々が参加した。

報告後の討論では、マドラサ教育との関係や、レーダー氏の取り上げた事例の普遍性について、議論がなされた。とりわけ、報告で示された知識の伝達のあり方が、マドラサ教育と根本的に相容れないものであり、マドラサの制度が確立していくにつれ、消滅していくという氏の主張は興味深かった。

●アラビア語写本研究会主催Stefan Leder氏講演会(第2回)

開催日:20011027
場所:京都大学文学部羽田記念館
題目:The Social significance of the institution of riwaya.
概要:

まず、前近代においてイスラーム諸学の成果を伝承する際に重視されたリワーヤと呼ばれる形式について、その起源とされるアラビア語詩の口承の伝統から説きおこされた。クルアーンとハディースにおいてもテキストは口述形式をとり、記録のために書かれることはあっても、基本的にテキストは口承によって伝えられていくものとされた。比較的早い時期にテキストが確定されたクルアーンに対して、厳密な意味ではテキストが確定されなかったハディースでは、そのテキストの真正さを保証するために、伝承に際して一定の手続きを踏まえることが重視された。その伝承方式がリワーヤである。続いて、リワーヤの手続きを示す史料である聴講記録(sama`)を提示しながら、その仕組みが説明された。そして最後に、12-14世紀ダマスクスにおける聴講記録の分析から、リワーヤが実践された場の一つである聴講会は、マドラサよりもモスクや私邸、庭園で催される傾向が強いことや、有力ウラマー家系の結束を固めるような場としても機能したと考えられる会もあり、その社会的な機能の重要性が指摘された。

講演後の質疑応答の時間では、3点の質問・コメントがあった。1.聴講会で読まれるテキストの選択に何か特定の傾向が見られるかという質問に対して、数は多くないが出席者や場所柄、機会を踏まえたうえで特定のハディースが選択されている例が見られるという回答があった。2.説教(wa`z)と聴講会との社会的役割の類似点を指摘するコメントに対して、ダマスクスのウマイヤ・モスクでの説教の例を引きながら、双方とも宗教的な目的に加えて「パフォーマンス」的な要素を含む多目的な例が見られる点で共通しているという返答がなされた。3.リワーヤの実践例として示された聴講会の地理的分布を尋ねる質問に対しては、ダマスクス以外にカイラワーン、アレクサンドリア、イスファハーンなどの都市における聴講会の記録が残っているところから、かなり広い範囲で同じような聴講会が催されていたのではないかという回答がなされた。

本講演は、リワーヤという知識の伝達形式の仕組みが具体的に提示されただけでなく、その社会的な機能や意味の考察に及ぶ興味深い内容を含むものであった。参加者は10名あまりと決して多くはなかったが、大変有意義な会であった。また、本講演の内容はその翌週に実施された史料講読会と密接に関連しており、双方に出席すると一層理解が深まる仕組みになっていたことも申し添えておく。

●アラビア語写本講読会

講師:Prof. Stefan Leder (Martin Luther Univ., Halle-Wittenberg)
開催日:20011029日、31日、111
場所:京都大学文学部羽田記念館講演室
題目:12-14世紀ダマスクスにおける聴講記録の読解と分析

(10/29): Reading and analysis of sama' and ijaza.

(10/31): Readings in textual history: the interrelation of sama` and introducing isnad.

(11/1): Sama' of tradition as a popular discipline.

 概要:

3回にわたるセミナーでは、イスラーム諸学(主にハディース学)の写本を取り上げて、ウラマーの学術活動の実態をうかがう一次史料(first-hand documentation)として利用できることが示された。第1 How to work with documents では、校訂テクストを補助に用いて、写本中の表紙や文末等の余白に記録された聴講記録(certificates of audition: sama`)を実際に読解し、主宰ウラマー(shaykh al-musmi`)の下、読誦者(記録者(katib)を兼任する場合が多い)の読誦(qira'a)を聴講する参加者(mustami`un)という、リワーヤと呼ばれる知識伝達の基本的形式の理解がねらいとされた。第2 Analytical approaches、第3 Textual history through documentation of oral transmission では、引き続き未校訂の写本を利用して、聴講記録を歴史研究として応用する事例が検討された。マムルーク期ダマスクスのサーリヒーヤ地区で優勢を占めた、ハンバリー派ウラマー名家の支族マクディスィー家の学術・教育活動に注目し、人名辞典等の他の史料からはうかがいしれない学術活動の実態、一族による教育機会の優先的利用など、ウラマーやマドラサ研究といった歴史研究において、聴講記録の利用の有効性が示された。各回において、写本読解上の基礎的問題や、イジャーザや聴講記録の研究上の定義等、専門的問題に関する質問が取り交わされた。各回とも8〜9名の参加者を得た。

シンポジウム「イスラーム世界の書記と書記術」 〔アラビア語写本史料研究会&九州史学会イスラム文明学部会と共催〕

実施日:2001129日(日)
場所:九州大学箱崎文系キャンパス(福岡市)

報告者(1)谷口淳一(京都女子大学文学部) 「書記の手引書としての『カリフ宮廷の儀礼』」
報告(2)渡部良子(東京大学大学院人文社会系研究科・博士後期課程) 「ペルシア語書記術の成立──13世紀まで──」
報告(3)清水和裕(神戸大学文学部) 「『カリフ宮廷の儀礼』と祖父アブー・イスハーク・アッサービー」
報告(4)莵原 卓(東海大学文学部) 「ファーティマ朝時代の書記の分類と職掌」
概要:

谷口氏はまずシンポジウムの趣旨を述べられ、イスラーム世界における「書記」という役割について概説して導入部とされ、邦訳作成中の『カリフ宮廷の儀礼』について、筆者のヒラール・アッサービーとその著書、また同書の書記手引書としての意義を述べられた。 続いて渡部氏が、ペルシアにおける書記について、「ペルシア語書記術の成立」というタイトルで広汎な資料をあげられ、例えば書簡の形式など具体的かつ詳細なペルシアの書記術について述べられ、アラビア語手引書との比較なども興味深い研究発表となった。 休憩後に、清水氏による「『カリフ宮廷の儀礼』と祖父アブー・イスハーク・アッサービー」というタイトルの発表があり、テーマとなった同著の著者の祖父について述べられたあと、文書形式と呼称をカリフから臣下へ、また臣下からカリフへなど具体例を述べられ、見のがしがちなラカブやクンヤといったもののもつ意味を提示され、ひじょうに興味深いものとなった。 最後に莵原氏は「ファーティマ朝時代の書記の分類と職掌」というタイトルで、当該時代の書記の職掌についての詳細なデータをあげられ、また、タウキーという言葉について、命令であるのかサインであるのか、具体例などからも検討をされた。

シンポジウムはイスラム文明学部会の午後の部を4名で発表するという時間的制約がかなりあり、添付されていたくわしい資料などを十分に活用することができないことがあった。また「カリフ宮廷の儀礼」というテキストのタイトルから、「書記」そのもののイメージがこの時間だけではなかなか絞り込めず、質疑応答も短縮せざるをえなかった。あるいはまた機会があるならば、同様のテーマで、時間的に十分な議論ができればとおもう。



○ムガル史料研究会

今年度は東洋文庫ユネスコアジアセンター所蔵のList of Microfilms Deposited in The Center for East Asian Cultural Studiesにあるムガル史関係のマイクロフィルムの検討をおこなった。またパンジャーブのスーフィー詩人の作品および彼らについてのタズキラの研究をつうじてムガル史を多面的に検討することができるのではないかという点について議論がなされた。(萩田博)


図書収集

●アラビア語資料

 今年度は、エジプトおよびシリアを中心に収集。雑誌1点(30冊)を含む58303冊を購入した。『ザーヒル・バイバルス伝』(183)、ムハンマド・ナーイフ・アワード・アルアンザリー『1961-1973年間のクウェート・イラク政治関係史』、アブドアッラー・ハムド・ムハーリブ『クウェートの税関・その設立と発展』、アブドルムヌイム・ムスタファー『砂漠環境における原油汚染』、アドナーン・アルアッタール『ダマスカスの結婚儀礼』、ムカッダシー『始まりと歴史の書』、ジョルジュ・アンターキー『法令集』、バラーズリー『預言者の系譜』など。

●ペルシア語資料

 東洋文庫研究員八尾師誠氏の協力をえて、単行本321379冊、雑誌2点70冊をイランから購入した。フルシャー=ブン=ゴバードルホセイニー『ニザームシャーの使節による歴史』ゴラーム=アリー・ハッダード=アーデル『イスラーム世界の百科事典』、ナジャフゴリー・ペスィヤーン、ホスロウ・モアタゼド『パフラヴィー朝時代の建築家』、アフマド・サドル=ハーッジ=セイイェド=ジャヴァーディー他『シーア派辞典』、ジャアファル・ハミーディー『ブーシャフル辞典』、モハンマド=タギー・サルマディー『世界の医術と医療の歴史に関する研究』、アリー=アシュラフ・ダルヴィーシャーン、レザー・ハンダーン『イランの神話辞典』、ガーセミー・ファリード『イラン出版物の歴史』、アスガル・アスキャリーハーネガーフ『トルキャマーン地方のイラン人』、レザー・モラーディー=ギヤース=アーバーディー『イランのチャールターグにおける暦法』など。

●トルコ語資料

 6班研究力者高松洋一氏と清水保尚氏の協力をえて、単行本241399册、雑誌23106册を購入した。『オスマン帝国議会上院議事録』、『オスマン帝国議会下院議事録』、『トルコ大国民議会議事録 1-3期』、ミュバーハト・キュトゥクオウル『15-16世紀のイズミル郡の社会・経済構造』、ミュバーハト・キュトゥクオウル『イズミル史断編』、エドヘム・エルデム『オスマン銀行史』、イルベル・オルタイル『オスマン帝国の経済・社会変容: 論集 1』、『修史官エサード・エフェンディ史』、『無名氏 オスマン史(1099-1116/1688-1704)』、ステファノス・イェラスモス『イスタンブル: 諸帝国の都』など。

●中央アジア関係トルコ諸語およびロシア語資料

 木村真氏(東京大学院)の協力をえて66点を購入した。G. Rysbaeva『カザフ語』、『中央アジアにおける出版の歴史(18701917)』、I. Akbarov『音楽辞典』、『カザキスタン史』、A. Isin(ed.)『アーディル・スルタン』、『アゼルバイジャンとロシア』など。

コンピュータ利用


インターネット利用:アラビア文字文献総合データベース計画


6班と総括班情報システム委員会と協力し、アラビア文字文献総合データベースプロジェクトを推進した。本プロジェクトの5年間の活動を総括する。

[目的]

日本の大学・研究機関に所蔵されているアラビア文字文献の整理・利用を効率化するため、図書情報のアラビア文字によるデータベース化をすすめる。データベースをインターネット上で公開し、アラビア文字を用いた検索や結果の表示を可能にする。その経験をふまえ、より大規模な全国規模の図書館ネットワークNACSIS-CATを運用する国立情報学研究所に働きかけを行い、同研究所と共同し、NACSIS-CATの早期のアラビア文字対応を実現する。

[経緯]

本プロジェクトは、おおむね1997年度の予備調査、19982000年度の東洋文庫方式による総合データベース構築、2001年度の国立情報学研究所NACSIS-CATアラビア文字対応化準備、という3つの段階で実施された。

初年度の1997年度に研究班6は、全国の大学等図書館にアンケートを行い、イスラーム関係書誌の所蔵状況、整理状況についての現状の把握に努めた。その結果は、三浦徹・辺見由起子(編)『日本におけるイスラーム地域現地語資料の所蔵および整理状況の調査』として公開されている。本調査の結果、各図書館はアラビア語、ペルシア語などのイスラーム関係文献の整理にあたり、(1)アメリカ議会図書館(LC)方式による翻字の利用、(2)ワープロでのカード作成など、様々な形で工夫をしているものの、技術的に多くの困難を抱えている実態が明らかになった。

コンピュータにおいてアラビア文字を扱うことが困難であった1997年当時、6班が拠点をおく東洋文庫では、Macintosh 上で動くアラビア文字書誌整理用のデータベース・アプリケーションを開発し、6班の収集図書や東洋文庫所蔵図書のデータベース化にあたった。その技術を応用し、1997年〜1998年度には東京大学東洋文化研究所、1999年度には東京外国語大学、2000年度には東京大学文学部と協力し、各機関が所蔵するアラビア語、ペルシア語の文献の同様の方式によるデータベース化を実施した(東京外国語大学についてはペルシア語のみ)。このデータベースは、それそれの図書館の独立した所蔵データベースになると同時に、総合データベースとしても機能する形で設計され、2000年度に複数機関の総合データベースが東洋文庫のweb サイトにおいて公開されるにいたった。

一方、より多くの大学・研究機関の図書館と連動し、アラビア文字文献をアラビア文字を用いて全国規模で一挙に検索できるシステムを実現するには、全国の大学図書館を結んで稼動している国立情報学研究所のNACSIS-CATのアラビア文字対応を実現する必要性が認識され、国立情報学研究所(当時は、学術情報センター)と協力し、1999年度にアラビア文字文献総合データベース連絡会を組織、その連絡会には、東洋文庫、東京大学、京都大学、東京外国語大学、大阪外国語大学、上智大学、アジア経済研究所、国立民族学博物館、学術情報センターなどの機関の参加が得られた。

アラビア文字文献総合データベース連絡会は、その後、第二回(2001.2.9.)の会合において、その下に「アラビア文字文献入力規則ワーキンググループ」を置くことを決め、同ワーキンググループが中心となり2001年度中に、NACSIS-CATのアラビア文字対応に必要な準備作業を実施することを申し合わせた。NACSIS-CAT は、中国語、韓国・朝鮮語の順ですでに多言語対応をはじめており、その次の対応言語にアラビア語が挙げられる可能性がでてきたためである。2001年度、同ワーキンググループは、2回の全体会合のほか、全国の主要な機関での聞き取り調査、その他の機関への書面によるアンケート調査、NACSIS-CAT運用上に必要な「入力規則案」の作成、従来のLC翻字ローマ字データのアラビア文字への変換プログラムの開発などにあたり、おおむね、その作業を20018月までに終了した。

同ワーキンググループが作成した「アラビア文字文献入力規則(案)」は、親委員会であるアラビア文字文献総合データベース連絡会の第三回会合(2001.9.14)に提出され承認された。その後、同入力規則案は、国立情報学研究所内での検討を経て、NACSIS-CATの運営を決定する国立情報学研究所目録委員会の200237日の会合において正式に承認され、2002年度中にNACSIS-CATのアラビア文字対応が実現する運びとなった。

イスラーム地域研究総括班ならびに研究班6では、2002年度中にNACSIS-CATがシステム的にアラビア文字に対応するのを見越し、2001年度後半、既存のLC翻字ローマ字データのアラビア文字への変換作業を進めている。この作業は2001年度中にはほぼ完了し、システム対応後には、現在の翻字データが一斉にアラビア文字に入れ替わる(翻字データは、「読み」として保存され検索や表示に利用される)見通しである。東洋文庫方式で作成された上記4機関の総合データベースについても、変換や各所蔵機関での調整をへて2002年度中にNACSIS-CATに統合される予定である。

 [成果]

以上の経緯のように、本プロジェクトで目指された「全国のイスラーム関係文献を一挙に、アラビア文字のままで(つまり、面倒な翻字作業をへずに)検索するデータベースの構築」は、国立情報学研究所NACSIS-CATのアラビア文字対応という形で実現される運びとなった。現状はそのための枠組みが決まったにすぎず、NACSIS-CAT の中にアラビア文字の書誌情報が蓄積されるのは2002年度以後となるが、大きな前進と評価されよう。本プロジェクトに、外部から協力し、プログラムの開発その他で多大な貢献をされた福田洋一氏(東洋文庫)、木下崇徳氏(東京外国語大学非常勤講師)、さらに連絡会やワーキングループで尽力された各大学・機関の図書館担当者の方々に、この場を借りて感謝したい。

[今後の課題]

学生・研究者が通常、Web-CAT として利用している国立情報学研究所NACSIS-CATがアラビア文字に対応することになったことで、今後に次のような課題が残された。

(1)様々な形でNACSIS-CAT の外で蓄積されているデータを有効に利用しNACSIS-CATにアップする作業。

(2)今後、大学図書館などではアラビア文字書誌の整理にあたりアラビア文字での入力を条件付けられることなる。この作業は、一般の図書館にとっては負担増ともなるとの不安の声もあがっている。この問題を解消するため、NACSIS-CATの多言語対応を技術的、人的にサポートする入力支援体制を構築する必要性が痛感される。

 (3)一般利用者である学生・研究者への広報活動。

イスラーム地域研究プロジェクト終了後も、上記の研究課題に、新たな研究プロジェクトが継続して取り組む必要があるだろう。  (林佳世子)

 


派遣・招聘研究者

谷口淳一

派遣先:エジプト・カイロ
期間:2001820日〜93
目的:アラビア語写本研究所(以下、写本研と略す)およびエジプト国立図書館(以下、国立図書館と略す)における文献の調査と収集

調査報告:

まずIAS6班のアラビア語写本史料研究会で研究を進めているHilal al-Sabi著『Rusum Dar al-Khilafa』の写本フィルムの確認をおこなった。現在研究会で利用しているものは、2000年3月に大稔哲也氏のご協力を得て複製を入手した写本研所蔵フィルム(Tarikh234)である。これは目録未収録作品一覧(Qawa'im Musannafa Ghayr Mufahrasa)に挙げられているもので、原本はアズハル図書館(Maktabat al-Azhar)に所蔵されている(番号911)。フィルム複製の労を執って下さった大稔氏から、このフィルム以外に2点、Tarikh420Tarikh502という番号を持つ同じ表題のフィルムが一覧表に記載されているとのご教示を得たが、フィルム現物は未確認であるとのことだった。そこで今回この2点のフィルムを実見し、我々が入手したTarikh234と同じ写本を撮影したフィルムであることを確認した。ただし双方とも状態はあまり良くなく、Tarikh234が3点の中で最も良好なフィルムであった。なお、アズハル図書館は利用手続きにかなり時間を要し2週間程度の滞在では利用が不可能なため、原本の確認は見送った。

さらに、以下のような文献調査をおこなった。まず『Rusum Dar al-Khilafa』の研究に関連して、同書と比較しうる書記術に関する文献を調査した。この種の作品の集大成とされるal-Qalqashandi(d. 1418)の『Subh al-A`sha』以前の作品に絞り、最終的に以下の3点の作品を複写して収集した。いずれも国立図書館所蔵の活字本であるが、日本では公共の図書館における所蔵が確認できなかったものである。

 `Abd al-Rahim `Ali b. Shith al-Qurashi (13c) Ma`alim al-Kitaba(Ed. by Q. B. al-Makhlasi) Bayrut, 1913.

 Diya' al-Din Ibn al-Athir (d. 1239) Rasa'il Ibn al-Athir(Ed. by A. al-Maqdisi) Bayrut, 1959.

 `Abd al-Hamid b. Yahya (d. ca. 750)Risala ila al-Kuttab[M. K. 'Ali (ed.)Rasa'il al-Bulagha'al-Qahira, 1908 所収]. 

上記の研究と並行して進めている伝記()の研究の一環として、Ibn Shaddad (d. 1234) 著『al-Nawadir al-Sultaniya wa-l-Mahasin al-Yusufiya (サラーフ・アッディーン伝)』の写本マイクロフィルム2点を写本研にて収集した。原本の所在は、エルサレムのアクサー・モスク(al-Masjid al-Aqsa, 595 Siyar Tarikh)と上エジプトのソハーグ図書館(Suhaj, 12 Tarikh)である。本書はすでにJ. al-Shayyalによって校訂本が出版されており、アクサー・モスク所蔵本はその底本であるが、ソハーグ図書館所蔵本は用いられていない。

この他、谷口が以前から取り組んでいるハラブ史の史料として、以下の写本2点を複写した。

 Ibn al-Mulla al-Halabi (d. 1602) Nihayat al-Arab min Dhikr Wulat Halab』(ハラブ総督史の断片)写本研, Tarikh1294.

 Sibt Ibn al-`Ajami (d. 1479)Kunuz al-Dhahab fi Tarikh Halab』(ハラブ地方史)国立図書館, h9638, h9639, h9640.

上記以外に、両機関の出版部門や市中の書店にて最近出版された研究書や史料の校訂本などを購入した。

写本研では世界各地に所蔵されているアラビア語写本のマイクロフィルムを閲覧・複写できる。すでに何冊もの目録が出版されているが、目録に収められていないフィルムも多い。しかしそのようなフィルムも、閲覧室に備え付けられている目録未収録作品一覧で調べることができる。目録の出版も継続されており、今年中にTarikhの第5部と第6部が出版されるとのことであった。また同研究所では1997年から毎年、写本に関する会議を開催しており、第2回以降については会議録が出版されている。

写本研でも国立図書館でも、書誌情報の電子データベース化が進められている。国立図書館の写本部門では入力作業が終了したと聞かされたが、私が閲覧室の端末で検索を試みたときはうまく利用できず、結局カードで調べざるをえなかった。写本研の方はまだ入力作業が終わっていないということであった。両機関の蔵書(フィルム)の電子データベースが完成し、できればオンラインで検索できるようになってほしいものである。


Prof. Ali Akyildiz

所属:マルマラ大学文理学部教授
期間:2001922日〜30
活動:2001925284日間オスマン文書講習会の講師をつとめる(講習会の詳細については、オスマン文書研究会活動報告参照)


●Prof. Stefan Christoph Harald Leder

所属:Professor of Arabic and Islamic Studies, Martin Luther Univ. (Halle-Wittenberg)
期間:20011023日〜11月5日
活動:

1024日:第1回講演会(場所:東洋文庫)   
1027日:第2回講演会(場所:京都大学文学部 羽田記念館)
1029日、31日、111日:アラビア語写本講読会の講師をつとめる。
(講演会および写本研究会の詳細については、アラビア語写本研究会活動報告参照)