中国出張報告

雲南省のイスラーム関連資料調査・収集

黒岩高(東京大学大学院博士課程)

 

本出張は、イスラーム地域研究6班および5班の研究活動の一環として2000820日〜925日の間に行われた。主な目的は、購入可能なイスラーム関連図書の収集および中国ムスリム知識人関連古籍の所蔵状況に関する調査・複写である。参加人員としては、イスラーム地域研究から黒岩高(東京大学大学院博士課程)、佐藤実(京都大学非常勤研究員)が派遣されたほか、任意随行者として仁子寿晴(日本学術振興会特別研究員)と安藤潤一郎(東京大学大学院博士課程)が参加した。収集及び調査活動の対象とした地域については、雲南省(昆明市・通海県)を中心としたが、旅程途上に在する上海市、南京市においても簡単な活動を行った。なお、雲南省での活動については雲南大学が受入先となった。ついては、活動受入に尽力下さった高発元氏(雲南大学党委員会書記)、現地協力者として様々な便宜を図っていただいた馬利章氏(雲南大学外国語学院アラビア語研究室主任)、肖芒女史(雲南大学機関紙『思想戦線』編集員)にこの場を借りて心より感謝の意を表したい。

以下、次の順で活動の概要を報告していきたい。

1.                           活動日程

2.                           購入可能なイスラーム関連図書の収集について

3.                           中国ムスリム知識人関連古籍の所蔵状況について

4.                           通海県古城新寺(ジャフリーヤ)における教団関連の文献の公開 

状況について

 

 

1. 活動日程

・上海(820日〜23)

820

上海着

821

上海図書館及び小桃園清真寺を訪問

【小桃園清真寺】

清真寺内にて古老四名と会談。

付設女寺入口

822

浦東清真寺、滬西清真寺を訪問

【浦東清真寺】

主任(マスジドの管理)楊氏および教長(教育担当、アホン)郭氏と上海市浦東地区の回族の概況と

イスラーム関連文献の所蔵状況について会談。礼拝堂及び書庫参観。

浦東清真寺概観

【滬西清真寺】

白潤生教長(上海伊斯蘭教会会長)と会談し、雑誌『上海穆斯林』12号の寄贈を受ける。

書庫を閲覧。清真寺内の宗教道具店にて書籍購入。

   白潤生イマーム(中央)との合影

 

・雲南省(823日〜92)

823

昆明着。宿舎(雲南大学招待所)にて待機。

順城街にて書籍購入。

824

現地協力者と会談、日程調整。

順城街において書籍購入。

順城街清真寺、南城清真寺、永寧清真寺を訪問。

順城清真寺礼拝堂 礼拝堂付設のドラム

825

雲南大学図書館において文献所蔵調査

826

現地協力者の案内により、通海県の各清真寺、納家営清真寺着、古城清真寺、古城新寺(ジャフリーヤ)参観。

古城清真寺にて文献撮影。現地の古老と会談。

      宗教学習を行う老女性

納家営清真寺付設のマドラサ         納家営清真寺正門

827

データ入力、整理。

宿舎にて古籍撮影

828

雲南大学図書館にて雑誌閲覧。

宿舎にて古籍撮影。829

宿舎にてイスラーム関連古籍撮影。

830

データ入力・画像整理

831

通海県再訪。納家営清真寺前宗教道具店にて書籍購入。古城新寺にて現地の古老と会談、文献撮影。

古城新寺の張アホン(中段向かって右端)とハリーファ達。

91

河西県大回村清真寺訪問、文献撮影。

順城街にて書籍購入。

 

・南京(92日〜95)

92

南京着、三山街清真寺(浄覚寺)参観。

三山街清真寺内宗教道具店にて書籍購入。

93

劉智墓参観

太平路清真寺参観

94

南京図書館古籍部にて文献閲覧

清涼山[i]訪問。

 

・上海(95日〜98)

95

上海着

96

データ入力・画像整理

97

松江清真寺参観

データ入力・画像整理。

98

帰国

 

2. 購入可能なイスラーム関連図書の収集について

 現在の中華人民共和国における出版状況と郵便事情については、1997年に派遣された梅村隊の簡潔な報告があり[ii]、今回の派遣の際にもこれらの状況について大きく変わった点は認められなかった。そこで、ここでは重複を避けイスラーム関連図書を購入することのできる箇所につき、今回訪問した限りにおいて紹介を進めたい。

 上海・昆明・南京等の各都市においては通常の書店においてイスラーム関連図書を購入できることはきわめて稀であろう。今回の出張においても、念のため比較的大規模な書店・古書店を訪ねてみたが、はかばかしい成果は得られなかった。それゆえ、清真寺付設、あるいは付近の宗教道具店を探し当てることがこれらの都市でイスラーム関連図書を購入する近道であるように思われる。

 まず、上海については【小桃園清真寺】[iii]、【浦東清真寺】[iv]、【滬西清真寺】[v]の三箇所の清真寺を訪問した。上海には大規模な回族街がないためか、前二者の清真寺に付設の宗教道具店にはあまり多くの書籍を置いておらず、唯一【滬西清真寺】付設の宗教道具店のみがまとまった数の書籍を販売していた。

 次に、昆明市においては、【南城清真寺】、【永寧清真寺】、【順城街清真寺】[vi]の三箇所の清真寺を訪問したが、前二者については付近には宗教道具店は開かれていない。一方、【順城街清真寺】はかなり大規模な回族街に面していることもあり、計4箇所(清真寺内1・外3)のうち3箇所の宗教道具店がまとまった数の書籍を販売している。また、[umemura97]において紹介されているように出版社における書籍の入手は困難であるのが通例である。しかし、昆明市内にある雲南民族出版社購買部[vii]には当出版社の出版したものに限らず、民族・宗教関係、地方志、民族関係の雑誌のバックナンバーが豊富にあり、一見の価値がある。

 南京では参観した【太平路清真寺】、【三山街清真寺(浄覚寺)】[viii]のいずれの清真寺にも宗教道具店が付設されていた。だだし、書籍の数は非常に限られている。

 なお、別掲の一覧に示したように今回購入した書籍の中には必ずしも公開出版されていないもののも含まれている。これらの書籍の購入について、雲南省においては [umemura97]で紹介されているような「神経質になっている雰囲気」は特に感じられなかった。

 

3.中国ムスリム知識人関連古籍の所蔵状況について

 

今回の出張の主たる目的の一つに、中国ムスリム知識人関連古籍の中国における所蔵状況を把握することがあった。より具体的には、劉智など明末清初の著名なムスリム知識人の著作について日本国内の図書館・研究機関に所蔵されているもの以外の版本、鈔本の有無[ix]、彼らが参考図書としたアラブ・ペルシャ語文献とその漢訳のうち、日本国内で存在が確認されていないものについての所蔵状況を調査することである。とりわけ、後者については「イスラーム地域研究」5班所属の「回儒の著作研究会」において劉智『天方性理』の訳注の作成を進める際に、アラブ・ペルシャ語による哲学・思想用語とそれを漢語に写したと目される語の対応を確定する上で不可欠な作業であった。とはいえ、このような現地調査の機会は得がたいものであるということもあり、今回は明末清初に限らず1950年代までに著された文献を含めて調査を行った。ただ、これらの著作の多くについては各図書館・研究機関の善本目録に収録されないことが通例であるため、現地に至るまではその所蔵状況を把握することは極めて困難である。また、調査の期間も限られていることもあり、今回の調査が決して網羅的なものでないことは予めお断りしておきたい。

 

@ 上海における所蔵状況

上海において訪問・調査を行ったのは、国立上海図書館、【小桃園清真寺】、【浦東清真寺】、【滬西清真寺】の4箇所である。このうち上海図書館古籍部は、二十数点の中国ムスリム知識人の著作を収めており、馬聯元(18411903)がアラビア語で表した『天方文法』(光緒二十六、すなわち1900年の版本)『天方分信編』(光緒年間の版本)を所蔵している点が特筆される。

【浦東清真寺】については、馬堅(19061978)の著した『漢訳古蘭』の著者による手稿本が所蔵されているとのことであったが、今回は書庫を整理中で閲覧することができなかった。

なお、今回の上海における調査は何らかのアポイントメント、現地協力者を得ることなく行ったものであるため、決して十分なものとは言えない。それに加え、上海にはかつて上海穆民経書社が置かれ、積極的にイスラーム思想・哲学関連の書籍が積極的に出版されていた経緯もあり、後述する雲南省の例のように在地の回族の間で文献が私蔵されている可能性が高いことを付記しておきたい。

 

A 雲南における古籍の所蔵状況

雲南省において参観もしくは閲覧を行ったのは、昆明市内に在する雲南大学及び雲南民族学院の各図書館及び【順城街清真寺】、【南城清真寺】、【永寧清真寺】の3ヶ所の清真寺、

通海県の【納家営清真寺】[x]、【古城清真寺】、【古城新寺】、及び玉渓市の【大営清真寺】[xi]である。

まず、雲南大学・雲南民族学院には日本国内の研究機関・文書館に収められている版本以外の中国ムスリム知識人による古籍は確認できなかった。雑誌については雲南大学図書館に『月刊清真鐸報』発行者:雲南清真鐸報社(昆明正義路121)印刷者:嵩文印書館が所蔵されていたのが特筆される。しかし、残念なことにすべての号が揃っているわけではなく、当図書館において閲覧できるのは以下の号に限られている。

1号(民国29.6)〜3号、8号(民国31.9)〜9号、14号(民国34.3)〜18号(民国34.11)、2829号(民国35.1)、32号(36.3)〜33号(民国36.5)、35号、36号。

一方、雲南省内の清真寺については事前に現地協力者より得ていた情報によれば、昆明、玉渓、大理などの清真寺にはかなりの数の古籍、あるいは版木が所蔵されており、これらの資料は比較的容易に閲覧が許されるとのことであった。また、前出の『中国清真寺総覧』の記述もこれを裏付ける。今回の調査・収集活動の中心を雲南省に定めたのもこれらの情報に基づいてのことである。しかし、実際に現地に到着してみると清真寺の再建・移動の際に信徒が分担して保管したものが、そのまま私蔵されている場合が少なくなく[xii]、また好学の信徒を輩出した家系に家宝として所蔵されている文献も多く、18世紀〜20世紀初頭にかけて出版された文献の多くは個人所有の形をとっている。

今回データに収めることのできた文献の多くもこのような個人蔵のものであり、雲南大学党書記・高発元氏と雲南大学外国語学院アラビア語研究室主任馬利章氏の格別の配慮によって各信徒から借り出してきたものである。今回、昆明市・大理市居住の回族の協力により閲覧することのできた文献は1. Maqsad al-Aqsā 2.Muttasiq 3.Mukhtasar al-Ma’ani 4.Tawdāh Sharh al-Wiqāya 5.Tafsīhr al-Jalālain 6.『天方性理阿文註解』7.至聖宝諭』 8.字法提要』 9.明徳実語』 10.『文法初程』の計10書である。ここでは、国内外の所蔵状況からみて極めて貴重であると判断され、全頁をデータに収めた1.4.6.3書を取上げ、日本に招来されていない1.4.2書ついては書誌情報を含めて紹介し、6.については画像のみの紹介に止めることにする[xiii]。  

なお、この報告書に貼付した画像はウェブサイト用にデータ量を20分の1以下に落としたものであるため、画像中の文字が判読に耐えない点についてはご容赦願いたい。鮮明かつ判読可能な画像データについては、近日中に東洋文庫にて公開すべく整理を急いでいる。

 

1.      Maqsad al-Aqsā

  

表紙                   扉                    23頁。

訳者:馬復初(17941874)アジーズ・ナサフィーが著したとされる同名書をペルシャ語が難解であるとの理由から解釈を含めてアラビア語に翻訳したもの。馬復初の徒弟である馬安礼による漢語訳は『道行究竟』として知られ、東洋文庫および天理大学図書館に所蔵されている。

サイズ:表紙24.5×16.3;枠18.5×12.1

52葉;13行/頁;1葉裏より本文。

1葉表に題名はなく,所蔵者が刻んである.

題名は後からつけたと目される表紙に上記のとおり手書きのアラビア文字で書いてある。ただし,Qの上部の点がない。前書・後書なし,目次なし。

後からつけたと思われる表紙は,民国141月の商務印書館の新書目録。

 

4. Tawdāh Sharh al-Wiqāya

   

表紙                   扉            第9

著者:馬聯元。

サイズ:表紙33.4×25.8;内部32.6×22.8;枠23.5×17.2

目次あり.*購買刊本のほうは目次なし。

ページ数:444(含扉部分);13行/頁。

もともと2巻本として構想されていたが、馬聯元が死去したため,第1巻しか完成しなかった。そのため、表紙に「第1巻」と記されている。ムンバイから馬幇で運んで来たもので、輸送の最、他の本は馬の背に乗せていたので,雨に濡れて損傷してしまったが、この本のみは人間が担いでいたため無傷で雲南に招来されたとのことである。

 

6.『天方性理阿文註解』

  

扉                           45頁の図説

 

なお、これらの文献データの公開については文献を所蔵する各個人から了解を得ているが、そもそもこうした個人蔵の文献の閲覧は慎重な対応を要するものであるのに加え、近年はこれらの文献の売却を迫る外国人研究者が多く、外国人研究者に対する警戒を強めている。それゆえ、HP上でこれらの文献を所有する個人の姓名を公表することは差し控えたい。詳細については黒岩までご連絡願えればと思う。

 

B 南京における古籍の所蔵状況

南京については滞在期間も正味2日と短く、活動は非常に限られたものであったが、今回訪問した南京図書館古籍部[xiv]、【太平路清真寺】、【三山街清真寺(浄覚寺)】のうち南京図書館古籍部の所蔵状況について紹介しておきたい。当図書館には相当数の中国ムスリム知識人の著作が所蔵されており、

1.『教款捷要』粤東省城按照原本刊 刻板在四坊公箱内貯 嘉慶二二年(一八一七年)。

粤東省城四寺匡郭18.6×13.4 八行一八字 四周単辺 黒上魚尾 白口。

2.『據理質証』 封面「同治四年 楡城復初氏著」 匡郭17×11.5 四周双辺 黒上魚尾。 

白口二一枚 六行一三字 印記「雲南回教倶進会振学社」。 

3.『清真必読』 刊記なし 匡郭15.4×12.5 四周単辺 黒上魚尾 白口 二八枚。

4.『実録宝訓』封面「咸豊捌年孟秋月刊板 実録宝訓 至聖遷都計壱千二百七拾伍年 一齋老夫子編輯」 匡郭17×11 四周双辺 黒上魚尾 白口 二二枚 印記「雲南回教倶進会振学社」。一頁〜二頁:咸豊八年昆明後学馬光烈序。三頁〜八頁:天方至聖実録。 

九頁〜二二頁:天方至聖実録宝訓(天方学人復初氏編輯)。

5.『真詮要録』 二冊 封面「同治甲子刊 遷都一二八〇年 真詮要録。 

雲南提督軍門馬如龍刊」 匡郭20.2×15 四周双辺 黒上魚尾 白口 

上巻一葉「天方学人王岱輿著 後学馬安礼採訂」。

の五書については閲覧を行いその体裁と内容を確認した。また、所蔵を図書カードから確認したものを参考までに紹介すると以下の通りである。

『四教要話』四教要話 楊敬修。『天方明徳注解』楊正安、民国一二年、粤東。 

『清真摘要』(封面は「也帖講義」) 天津西馬路清真南寺前路東真経公司印行。

『清真必読』一巻 南京刻本 一冊。 『回回暦法』 写本。

『礼法啓愛』二巻 馬徳新撰 馬安礼訳 雲南回教倶進会 同治元年(一八六二年)

『回劫顕化録』 一巻 光緒一五年(一八九九年) 一冊。

『経漢註解赫廳』 光緒一二年(一八八六年)初版 宣統己酉(元年、一九〇九年)重刊。

しかしながら、当図書館に所蔵されているこれらの文献は、何れも日本国内の図書館・研究機関の蔵書目録に書名を見出すことのできるものであり、未招来の古籍は確認されなかった。

 

C 付記

現地協力者や各清真寺のアホン達との対話の中で強く感じられたのは、彼らのような現代回族の知識人の間では、劉智の採経目録(参考文献目録)に含まれているような漢訳経書(イスラーム哲学・思想書の漢語訳)の認知度が極めて低い点であった。アラビア語・ペルシャ語で著された文献に関しては、清真寺の書庫や一般の信徒の間から見出されることが今後も十分あり得るものと考えられるものの、漢訳経書についてはそうした可能性は極めて低いのではないかという印象を受けた。この点において、東洋文庫や天理大学図書館に収められている漢訳経書の貴重さが改めて認識された。

 

4.       通海県古城新寺(ジャフリーヤ)における教団関連文献の公開状況について

 

  今回の調査中、現地協力者の案内によりジャフリーヤ教団に所属する古城新寺[xv]に参観し、古城及び大回村の信徒と会談する機会を持った。当教団の教団関連の文献については秘匿性が高い印象が強い。しかし、古城新寺の張錦聰アホンの談に拠れば、通海県のジャフリーヤの間では外部との交流を求める声が強く、公開できるものは極力公開して行く方向に傾いているという。また、不意の訪問であったにもかかわらず現地の古老は気さくに質問に答えてくれた。以下では、古城新寺及び大回村の清真寺の好意により画像データに収めることのできた文献を挙げておきたい。また、この他に当地で通用している張アホン著『雑学』の寄贈を受けた。

 画像データに収めることのできた文献は、1. Mukhammas写本2. Mada'ih写本3.Mukhammas古版本、4. ジャフリーヤ道統史伝古版本 5. ジャフリーヤ道統史伝新版本の五点である。このうち1.及び2.ついては、同教団蔵の写本が公開される機会は稀であるとの判断から全頁をデータに収めた。各書の内容についてはすでに紹介されているので[xvi]、簡単なものにとどめたい。

1.       Mukhammas写本

  

扉                    1920(余白に小児錦による書き込み)    87(最終)頁。

  道祖馬明心(17191781)が招来したムハンマドの讃美詩。この写本には奥付が見当たらないため、写された時期については未詳。管理者の談に拠れば、清末から民国期にかけての時期の写本であるとのこと。

2.       Mada'ih写本

 

扉                    134135頁。

  ムハンマドの讃美詩。この写本についても写された時期は未詳で、清末から民国期にかけての時期の写本であるとのこと。後半部はDuaに割かれている。

3.       Mukhammas古版本

 

扉                    12頁。

 扉に小児錦(漢語をアラビア文字で音写したもの)による書き込みがある。出版年未詳。

4.       ジャフリーヤ道統史伝古版本

  1920年代にマンスール・馬学智が著した教団史。本版本では、14頁にわたって漢語による序が付されている。“古版本”とのことであり、

序は1934年のものであるが、紙面の状態から近年の再版であると思われる。

5.       ジャフリーヤ道統史伝新版本

 巻頭に編者の前言が付されているが、古版本と異なり漢語による序文はなし。1997年に出版されたもの。

 

付記 今回の訪問先の1つである大回村はかつて雲南省から東南アジアを横断してインドにいたる馬帮(馬のキャラバン)の拠点であった。

   馬帮は2百年以上、長距離輸送の担い手としての役割を果たしてきたが、東南アジアを横断するハイウェイの完成により姿を消すことになった。

   高発元氏を中心とする雲南大学の研究グループは、この馬帮のルートに沿っての調査活動を計画しており、海外の研究機関の参加を切望している

とのことであった。今回の報告とは趣旨を異にするものであるが、現地協力者からの強い要請もあり、ここに付記しておきたい。

 



[i] 劉智(16601738)が晩年、当所に居を構えた

[ii] http://www.l.u-tokyo.ac.jp/IAS/6-han/97-98/6houkoku/umemura.html

 以下、[umemura97]と略称。

[iii] 豫円のある上海老街の南に位置する。上海老街を取り囲む城郭の中心を南北に走る河南南路を南に行き、復興東路を渡って一本目の路地(小桃園街)を西に入った突き当たりに在する。1917年に金子雲の出資によって建立された清真寺で、現在もその遺風を留めている。浦東清真寺の郭アホンの談によれば、当清真寺の礼拝堂の規模は近隣で最大であり、重要な祭礼の際には近郊の信徒はここに集まるとのことである。今回会談を行った古老四名はいずれも日本軍占領時代の日本語教育の記憶を残しており、流暢に“満州娘”をご披露いただいた際には冷汗を流すばかりであった。なお、当清真寺の沿革については『中国清真寺総覧』(呉建伝主編 1995年 銀川、寧夏人民出版社、123124)を参照のこと。

[iv] 上海市街の東の浦東地区にある。浦東地区を東西に走る張楊路を東に行き、南北に走る源深路にぶつかり、その源深路を北に200Mほどあがると東側に位置する。1935年に建立された清真寺であるが、現在の建物は1999328日に竣工したものである。上海市浦東地区の回族は約5000人、ジュマーに礼拝に集まる回族はおよそ100名とのことである。当清真寺の沿革については前掲『中国清真寺総覧』(以下『総覧』と略称)126頁を参照。

[v]上海市街の北西に位置する。上海市街を東西に走る地下鉄2号線の静安寺駅のすぐ東に、南北に走る常徳路がある。その常徳路を北上し、長寿路を渡って200Mほどさらにした東側に在する1922年に建立。上海伊斯蘭教協会が置かれる。礼拝堂は500名を収容できる大規模なものであり、ジュマーには常時300名余りのムスリムが集まるとのことである。当清真寺の沿革についての詳細は『総覧』、123頁を参照のこと。

[vi] 昆明市の中心街に位置する。昆明市にある省政府から南に走る正義路を南下すると東風西路と合流するロータリーにぶつかる。東風西路はそのロータリーから西に走るが、その東風西路と平行するかたちで南側を走る路地があり、回族街(順城街)となっている。順城街を西に約200M進むと、南側に順城街清真寺の小さい門がある。明の洪煕元年(1425)に建立。現在の建物は光緒六年(1880)に再建されたものである。1987年に昆明伊斯蘭教経学院、雲南省伊斯蘭教協会が置かれる。

[vii] 昆明市街を東西に走る人民中路を西に向かうと、環状線である環城西路にぶつかる。その地点から環城西路を南下すると、滇池に向かう大
観路と交差する。その交差点から滇池側に進んだ北側に購買部がある。

[viii] 南京の南北を通るメインストリート中山路を南に下り、升州路を東に折れて徒歩で23分の北側にある。中華路にぶつかる手前に位置する。沿革については『総覧』128頁を参照のこと。

[ix] 日本国内における劉智の著作の所蔵状況については、佐藤実「劉智著『天方性理』の版本について」(『東方宗教』第94号、1999.11)及び同「劉智の『天方典礼』と『天方至聖実録』の版本について」(『東洋学報』第82巻第3号、2000.12)を参照。

[x] 1990年に竣工した比較的新しい清真寺である。宿舎付きのマドラサが付設されており、省の内外からかなり多くの少年少女が長期の休暇時には集まるとのことであった。沿革については、『総覧』247頁を参照。

[xi] 『総覧』244頁では、“西営清真寺”として掲載されているが、当清真寺の入り口には“大営清真寺”とあったのでこの名称に拠った。馬聯元縁の清真寺であり、同村内に馬聯元母の碑が現存。

[xii] 一例を挙げれば、前出の【南城清真寺】には清代から民国期にかけて出版されたムスリム知識人の著作の版木が所蔵されているとのことであったが、近年の清真寺再建の際に信徒の間に分散して管理されることになったとのことで、閲覧は非常に困難な状況にある。

[xiii]  本書についての研究に、松本耿郎「馬聯元著『天方性理阿文注解』の研究」(『東洋史研究』第58巻第1号、1999.6)がある。

[xiv] 南京の西側の南北を走る虎踞路に在する。南京の中心街である新街口を西に進むとこの虎踞路にぶつかる。それから北上すると右手(東)に清涼山公園が見え、その向かい側に位置する。アホンの談に拠れば、当清真寺には中国ムスリム知識人の著作、および古いコーランの写本などの古籍数点が所蔵されているとのことであったが、書庫はジュマーの際にのみ開放され、書庫の鍵を管理するものが不在であるとのことで閲覧することはできなかった。

[xv]  馬雲照によって創建された。張アホンより創建者・馬雲照のバラカについてついて次のような伝承を聴収めることができたので、参考まで紹介しておきたい。

1. 古城清真寺礼拝堂内の梁

礼拝堂内に見事な梁が渡してあるが、清真寺建立の際に十数名が協力しても上に持ち上げることができなかったものが、馬雲照が“上がれ”と命ずると速やかに持ち上がり、現在の位置に収まったという。なお、当地を訪れた建築家は、この梁が“力学的にありえない”位置にあると語ったという。

2.リス

この梁には創建者である馬雲照のバラカが宿っており、塵が積もるということがなかった。ある晩、不審に思った信徒がのぞいてみると、二匹のリスが現れ、梁の上を尾で掃除しているのが目撃された。近年、リスたちが姿を現すことはなくなり、梁を掃除しなければならなかったという。

 

[xvi] 張承志著・梅村坦編著『殉教の中国イスラム』亜紀書房 1993年、の「前書」及び「主な参考文献」を参照のこと。