京北病院院長の行為の倫理的問題点
安楽死が倫理的に是認される条件 に照らして
考えるとき、京北病院院長の今回の行為には次のような問題点が認められる
- (4) (患者の意思による) を明らかに満たしていない。これがマスコミが初めに注目した点だった。したがって(c)も満たしてない。
- (3) (苦しみを緩和する手だてがもう他にない) を満たしていない疑いが濃厚。専門家の意見として「緩和医療についての知識がない」という指摘が多い。
- (b) (死なせる仕方は残酷なものではいけない) について、外国で筋弛緩剤は安楽死に使われているとあるが、それは麻酔剤等と併用してのことだろう。今回の場合状況によっては、最後の苦しみを与えた可能性があるのでは? i.e. 意識があれば、呼吸が出来なくなるのは相当の苦しみである。
だが、もし「意識が混濁して」いて、その程度が呼吸ができない苦しみを感じない程度のものであれば、そもそも苦しみも感じてはいなかったことになり、「苦しみから
解放するために筋弛緩剤を投与した」という論はくずれてしまう。
- (d) (医師の独断ではいけない) も明らかに満たしていない。そればかりか主治医を無視している。その場にいた看護婦が疑いないし反対の意思を持っている。