『木鐸』 41号(1986年12月)

大きな輪郭、意味ある細部

二宮宏之 『全体を見る眼と歴史家たち』(木鐸社)によせて


  近代国家とか国民経済といった、かつて一世を風靡した準拠枠組は、昨今たいへんに不人気で、今や意味ある研究は「世界システム」かアジア・アフリカないし環太平洋圏に明示的に関係するものだけだ、という声を耳にすることもある。ところが同時に、ある国のある時代における、ある社会層の生活、心性、また自立的とされる地域文化の紹介も負けず劣らず盛んである。国家という枠組の外側と内側で、二つのアプローチが互いにそっぽを向いて並存しているのだろうか。

  ここで想い起こされるのは、『社会経済史学の課題と展望』(有斐閣、一九八四)に収録された二宮宏之氏のサーヴェイである。ここには、当面はプロト工業化に関連してだが、およそ次のような議論が見える。地域の自立性・多様性も、世界的構造も言ってしまえば研究の前提であって、むしろ課題はその先、「内的要因と国際的契機の両面を不断に見据えて行」くことだ、国家という枠組は、たしかにいったん相対化されなければならないが、なお再びこれを「あるべき地位に戻」して考えないわけにゆかない、と。こうした指針は「フランス絶対王政の統治構造」(『近代国家形成の諸問題』木鐸社、一九七九、所収)で展開されている、社会の自然生的結合(共同性)と政治権力の統合・編成(規制)という「現実には分かち難い二つの側面を敢えて分かち、しかも分かったのちにそれを結合させようと」いう国家論ないし権力論の企てにつながってゆくものであろう。

  時にわたしは、こうした二宮氏の議論を、突飛に思われるかもしれないが、ルーイス・ネイミア(Lewis Namier)の「大きな輪郭、意味ある細部」という主張と重ねて考えてみることがある。

  ネイミアといえば、十八世紀イギリスの政治構造を徹底的史料実証主義とシニカルなまなざしで分析し、議会政治の安定、イギリス社会の均衡を強調した保守的で、また面白くない史家として受けとめられているのではないだろうか。ポーランドのユダヤ人地主の家に生まれ、十九世紀末から二十世紀半ばの歴史的運命(祖国喪失、戦争、シオニズム)に翻弄され、とりわけ前半生は何度も挫折と不達成感に見舞われたネイミアにとっては、歴史における英雄はなきがごとく、思想信条は美辞麗句にすぎない。人々の実際の行状、人脈、金脈を冷静に見つめなければ、本当の所は分からない。そうした考えのもとに後半生のネイミアが従事したのは、国会(庶民院)議員全員と選挙区すべてについての、ほとんど百科事典的な史料研究である。今では History of Parliament財団の継承するところとなったこの研究の進行中に、ネイミアは次のようなことを『歴史の並木道』(一九五二)と題する随筆集で述べている。
 
  「歴史学とは、ある時間ある空間における具体的出来事を扱うものだから、叙述がその基本的手段である。歴史家の仕事は、写真機ではなく画家の仕事に似ている。目に映るものすべてを何からなにまで再生するのではなく、ことがらの本質的なものを発見し、鮮明にし、選び出し、強調するのである。ある木が何であるか識別するためには、木全体の形、その皮、葉を観察するのがよい。枝の数を数えたり、長さを計ったりしても何にもならない。同様にして、歴史において大事なのは、大きな輪郭と意味ある細部(great outline and significant detail)であって、何より避けなければならないのは、泥沼のごとき累々たる的はずれの叙述である。

  「歴史学はしたがって、どうしても主体的で個人的なもので、歴史家の関心と観点に左右される。歴史家の関心が力強くひたむきなものであれば、これは伝染する。彼のオリジナリティの証は、説得力のあるなしにかかっている。・・・・歴史学はいったい芸術か科学かという論争は不毛で、むしろこれは医者の診断に似ている。人生のそれまでの経験と知識の蓄積、科学的アプローチの勉強が不可欠の前提なのだが、しかし、最終的結論は直観的で、だから一つの芸術だともいえる。しかもその結論の正否は証拠に照らして再検証することができる[だから一つの科学だともいえる]。偉大な歴史家は偉大な芸術家か医者に似ている。いったん彼の偉業が達成されると、その後は他の人々もその領域では以前の枠組のままに仕事を続けるわけにゆかなくなるのである。・・・・」

  大きな輪郭とは世界システムのこと、意味ある細部とは集合心性、地域文化のことよ、と言って済ませることができれば、ことは簡単である。だが、それは違う。こだわるべき細部は、心性、文化にも世界的構造にもある。また、一見大きくみえる対象、小さくみえる問題のいずれも、泥沼のごとく鈍重に叙述されることがないわけではない。ことは主体的な営みであり、ひとに伝染するほど力強くひたむきな仕事をできるかどうか、ということなのだ。「印紙税一揆」と「統治構造」を読み、民族史のプロジェクトと「からだとこころ」論を知らされている後続のわたしたちにとって、仕事はますます大事(おおごと)となる。 

                              
近藤 和彦

二宮『再考』 へ           お蔵 へ