史学雑誌』第106編第5号(1997年5月)

1996年の歴史学界 − 回顧と展望 −
歴 史 理 論

近藤和彦


  一九九六年の日本の歴史理論を回顧するときにまず指折らねばならないのは、大塚久雄、丸山真男、河野健二をはじめとする戦後史学の代表たちが鬼籍に入ったことであろう。ほかにも民主日本を身をもって生きた人々があいついで亡くなった忘れがたい年であった。戦後史学とは、四五年以前の日本をアンシャン・レジームととらえ、以後もその「前近代的」な要素は存続していると考え、祖国の民主的改造を希求した人々の知のパラダイムである。「国民」をすべての前提におき、国の運命を大きく人類史のなかで考えた進歩主義的で社会科学的な学問であった。この戦後史学は六〇年代にはパラダイムとしての生命を一巡し、その後はいわば民主教養人のテクストとして生きながらえていた。本誌に「戦後史学の胚胎と死」と題する追悼コラムが(『史学雑誌』一〇五・一一)、また多くのメディアにも告別の言葉がのった。そうしたなかに「超国家主義の論理と心理」で「中心的実体からの距離が価値の規準となる」ような秩序を明晰に分析し批判した「先生」をしのぶ文章として、「究極的権威への親近性による得々たる優越意識‥‥小心な臣下の心境が正直に吐露されている」のを読むのは、つらい。『丸山真男集』(岩波書店)は「別巻」の刊行によって完結し、『丸山真男手帖』の定期刊行が予告されている。

  戦後史学のいわば第二世代として育った人々の、自らの軌跡と学問を省察する書物がつづく。石田雄『社会科学再考 敗戦から半世紀の同時代史』(東京大学出版会)は九五年刊であるが、昨年は山之内靖『システム社会の現代的位相』(岩波書店)、安丸良夫『〈方法〉としての思想史』(校倉書房)、折原浩『ヴェーバーとともに四〇年』(弘文堂)などが出版された。このうち石田が一九二三年生れで一番年長、昨八月「丸山真男先生を偲ぶ会」の代表世話人でもあった。各種の民主主義運動にもかかわってきた石田の『社会科学再考』は「「遺著」のつもりで書いた」という。

  これにたいして三三年生れの山之内がきびしい書評「戦後半世紀の社会科学と歴史認識」(『歴史学研究』六八九号)を公にしているが、その議論のおもな部分は『システム社会の現代的位相』で全面展開される。「近代の超克」を自明の悪として論をすすめる石田と対照的に、山之内は三〇年代から戦後社会への連続性を浮き彫りにする。また戦中は「昭和研究会・労働問題研究会」の重要メンバーとして、戦後は労働改革の旗手として活躍した大河内一男を、下村寅太郎とともに高く評価する。山之内によれば、ニューディール、ファシズム、スターリン体制、それぞれの総力戦体制のもとに二〇世紀社会は不可逆の編成替えをこうむり、「戦時国家(warfare state)こそは福祉国家(welfare state)を準備した」。「一九三〇年代という暴力的時代のただなかで」形成されていたT・パーソンズにはじまるシステム論こそ現代の科学なのである。そうした三〇年代に「特殊的、顛倒的、日本資本主義の、世界史的低位に基く特質」(山田盛太郎)を分析し、明治いらいの近代知識人による自己了解の試みの一つの到達点をしめした講座派およびその同伴者=市民社会派は、山之内によれば文字どおりミネルヴァの梟にすぎず、現代システム社会そのものを批判する知的創造性に欠けていた。「マルクスの方法に長年忠誠を誓ってきた歴史家が、システム論の研究を怠ってきたことの咎めは誠に大きい」という。大塚史学から出てきた山之内は、方法的個人主義から離底しシステム論を受容したうえで、今いちど個人の主体性、「人間の品位」を問おうとする。大河内あるいは内田義彦、ハーバマス、それぞれ未完の課題を背負って立とうという山之内が準拠するのは、ニーチェ的ウェーバーである。近代の深淵を冷徹に見通した二〇世紀思想家としてウェーバーは高く評価される。私見を加えるなら、1)山之内のいう現代化=システム統合は、はたして Gleichschaltung と換言できるほど均質画一なのか。むしろ擬社団的/複合的アイデンティティを生かしながら進行する「社会国家」の秩序化ではないのか。2)大塚的ウェーバーで看過されていた近代の深淵、必然的な化石化というモメントは、いまさら山之内に強調されるまでもなく、一九六四年(ウェーバー百年)の前後から「支配の社会学」や「宗教社会学」を熱心に読んだ者には問題意識の前提だったような気がする。3)ルーマンを評して「全てを語りつくせる巨大理論(=誇大理論)に仕立てあげようとし、その焦りに身を委ねていないだろうか」という批判は、ご本人には向かわないのだろうか。

  酒井直樹ほか『ナショナリティの脱構築』(柏書房)、そして山之内靖ほか『総力戦と現代化』(同、一九九五)のような学際的な共同研究が国際出版として実現してきたことは、慶賀すべき快挙である。戦後史学の批判と克服という点からは、前者に葛西弘隆「丸山真男の「日本」」、後者にはV・コシュマン「規律的規範としての資本主義の精神 大塚久雄の戦後思想」、杉山光信「「市民社会」論と戦時動員 内田義彦の思想形成をめぐって」などが含まれている。じつは山之内が編集委員をつとめた『岩波講座 社会科学の方法』(一九九三〜九四)でも、すでに同じような指向性はみうけられた。学問史としては、土肥恒之「「ブルジョワ史学」と「マルクス主義史学」の狭間で」(一橋大学社会科学古典資料センター Study Series 34)が革命後、すなわち総力戦体制のソ連における「歴史学のマルクス主義化、という未曾有の企て」をえがき、わが戦後史学の胚胎期を相対化する。

  安丸『〈方法〉としての思想史』もまた「私たちの世代の知的な若者に人気のあるリーディング・サイエンス」であった戦後史学へのかかわりから説きおこされる省察論集である。「広範な民衆の生のありようを介して歴史像を構成しよう」と、全体性をダイナミックにとらえる構想力の問題にも誠実にかかわってきた安丸は、返す刀で色川大吉の「人生感傷派の弱みに巧みにつけこんでいる」方法を批判する。さらに「歴史家の仕事にはかなり複雑な認識理論上の諸問題がふくまれており」という確認にはじまり、安丸の討論は史料・表象論にいたる。「私は過去の「事実」と対話して、そこから私のものの見方を問い返されている」。なお、大島真理夫「近世後期農村社会のモラル・エコノミーについて」(『歴史学研究』六八五号)の表題にも用いられているように、モラル・エコノミー(moral economy)という語は印象的で、E・P・トムスン、J・スコット以来、安丸をはじめとする多くの歴史家の想像力/創造力を刺激してきた。だがこの概念はいわば覚醒概念であり問題索出のためにつかわれるとしても、分析し議論を構築してゆくのに有効かどうか。わたしは懐疑的だ。同じ一八世紀のスコットランド啓蒙を射程に入れると議論はとたんに混乱しはじめるだろう。

  ウェーバー研究では、折原浩『ヴェーバー「経済と社会」の再構成 トルソの頭』(東京大学出版会)と同『ヴェーバーとともに四〇年』(弘文堂)も刊行された。とくに前者に結実した研究は、読者の忍耐心をこえてしまいそうな限界を思わせる厳密なテクストクリティクを追求したあげく、ドイツで進行しているウェーバー全集の刊行を中断させてしまったほどである。日本の社会科学の文献学的な伝統を「近代ヨーロッパ文化世界の子」の本来の意図に立ちかえって継承したもの、といえよう。真摯な姿勢はまた知識人・教師の生きかたの問題としても表出される。

  知識人論はまた文明論でもあらざるをえない。そのことは坂本多加雄『知識人』(〈二〇世紀の日本〉読売新聞社)にも、また年来の研究集成として公刊された佐藤慎一『近代中国の知識人と文明』(東京大学出版会)にも明らかである。後者は華夷秩序観あってこそ、つまり国際的に平等な諸国家体制(Staatensystem)観がなかったからこそ一九世紀の中国人は不平等条約を受容するほかなかったという逆説にはじまり、一九八九年天安門以降の中国の「自信」の意味、国内のデモクラシ、民衆的公共性に説きおよぶ。目の覚める思いで読んだ。近年の「回顧と展望 歴史理論」で「秩序問題」や「文明論」をキーワードに討論されていたのと重なる問題である。

  知識人の思想をも包摂する「文化の型」は丸山真男の畢生の課題であった。この課題をこれまで歴史学が巧みに扱ってきたとはいえない。カルチュラル・スタディーズとよばれる一群の「文化のポリティクスの批判学」がひろく注目され、『思想』(八五九号)、『現代思想』(二四・三)では同名の特集が編まれた。前者には論文、鼎談などとともにステュアート・ホール(Stuart Hall)の来歴をきくインタヴュー「あるディアスポラ的知識人の形成」が収録されている。ジャマイカ生まれの若き黒人社会学者と一九五六年以降のニューレフトとの交わり、バーミンガム大学における社会文化史のキャザリン・ホールとの遭遇、結婚。キーワードはディアスポラ、ポストコロニアル、アイデンティティの位置性である。創刊された『超域文化科学紀要』一(東大総合文化研究科)も、たとえば長谷川博子「宗教と暴力 歴史人類学の現在」のように関連する考察を収める。同じく暴力のシンボリズムを論じるのは、工藤光一「〈暴力と文明化〉の文化=政治史」『ふらんぼー』二二号(東京外国語大学)である。昨年はこれまでアメリカで活躍していた酒井直樹の最初の単著『死産される日本語・日本人』(新曜社)が刊行された年でもあった。これは「日本」のアイデンティティを問い、その国民共同体、三〇年代、近代を論じる。小熊英二『単一民族神話の起源 〈日本人〉の自画像の系譜』(新曜社、一九九五)とともに、昨年の史学会大会のシンポジウムにも通底するものである。

  そのシンポジウムとは、@「自己・他者・境界−前近代の日本を中心に」、A「戦前・戦中・戦後の連続と非連続」、B「ディアスポラの開く商業空間−一七〜一九世紀」の三つである。『史学雑誌』一〇五・一二に要旨報告がある。Aはそのまま右のシステム社会論ないし『総力戦と現代化』と重なるテーマであり、大河内の評価がここでも一つの議論になった。酒井哲哉は「戦後言説の原蓄過程として戦中期の思想界を捉える視点」を提案する。Bはユーラシアの商業史ないし商人のネットワークに焦点をあわせていたが、たとえばユダヤ人や華僑の境遇の相対化にもつながりうる。また方法的にカルチュラル・スタディーズと協力しあえる研究であろう。右の酒井や小熊が近現代を扱っているのにたいして、@は前近代の日本/日本人のアイデンティティを問うた。戦後史学が四島からなる日本およびその国土に定住する「国民」のアイデンティティを自明の前提として論をたて、歴史を四五年の前後で峻別していたことを想起すると、この九六年の三シンポジウムは戦後史学への最終的な告別/埋葬の式だったともいえる。

  その@、Bの双方に関係するテーマを場をかえて文化・女性から照射したのが、九七年に来日講演するナタリ・Z・デイヴィスであり、同じ問題に経済史からアプローチしたのは、杉原薫『アジア間貿易の形成と構造』(ミネルヴァ書房)である。後者では一八八〇年代からの日本のアジア市場参入も、一九三〇年代の国際秩序の危機も「アジア国際分業体制」のダイナミズムの関連で分析される。英語圏に身をおいて活躍していた杉原の日本復帰を告げる労作である。杉原がじつは上のAへの関心ももっていることは「フリーダ・アトリーと名和統一」という三〇年代の経済構想を論じた論文でしめされる(杉原四郎編『近代日本とイギリス思想』日本経済評論社、一九九五、所収)。またアジアと世界システムという観点からの労作として、木畑洋一『帝国のたそがれ』(東京大学出版会)も刊行された。これは冷戦下イギリスの対日、対マラヤ政策を扱う。研究の長期動向からみると、日本ないしアジアからの問題提起が歴史学のなかで大きな意味をもつという、いわば本来の状態にもどったといえるかもしれない。長崎暢子『ガンディー』をはじめとする叢書〈現代アジアの肖像〉(岩波書店)が刊行中である。

  日本史におけるナショナル・アイデンティティ問題は、ちょうどイギリス史におけるそれと酷似する側面と(帝国の経験が浅いためもあり)相違する側面とがある。川北稔「近代イギリス史の二つのパースペクティヴ」『産業と経済』(奈良産業大学、一一巻二号)は、いわゆるジェントルマン資本主義論とJ・ブルーワ(John Brewer)の財政軍事国家論を対比的に紹介し、戦後史学の問題のたてかた、とりわけ「一国史の視点に立っ」た「比較史」の限界を強調している。部分的に賛成だが、その批判は強烈で、学問における division of labour を認めないかのごとくである。一国史ではあっても、石原俊時『市民社会と労働者文化』(木鐸社)のような仕事からわたしは啓発されるものがある。P・オブライエン(Patrick O'Brien)の講演「産業革命論の現在」『西洋史学』(一八三号)も川北訳で公にされた。川北も指摘するロンドン学派の現在をめぐって、近藤和彦「ブルームズベリの歴史学」TUV『UP』(二八九〜二九一号)がある。帝国・国家・産業革命といった問題を考察するにあたってブルーワはいかなる歴史研究者よりも野心的に、議会政治から財政機構、民衆文化、犯罪、消費社会、もの/所有のシンボリズムまで実証的に、かつ友人たちと協力して論じてきた。カルチュラル・スタディーズの厳密な歴史学ヴァージョンといえようか。

  『講座世界史』(東京大学出版会)が完結したが、その第一二巻「わたくし達の時代」に所収の二宮宏之「国家・民族・社会」はネーションをめぐるI・バーリンの省察を参照しつつ、寛容と文化多元主義、それらを保障すべき公共空間を希求する。バルカンやアフリカの悲劇を前にして迂遠な感もないではないが、これ以外に希望はないのだろう。ヨーロッパ統合の根拠をさぐる〈叢書ヨーロッパ〉の一つ、ミシェル・モラ『ヨーロッパと海』(深沢克己訳、平凡社)もそうした希望の表現である。話題の出版の一つに、E・ホブズボーム(Eric Hobsbawm)『二〇世紀の歴史 極端な世紀』(河合秀和訳、三省堂)がある。元来は Age of Extremes: The Short Twentieth Century という題で九四年秋に英米で刊行されベストセラーとなった。Extremes は複数であって、一方で共産主義、ファシズムといった極端な統制のシステム、他方で極端な自由市場のシステムをさす。第一次大戦中に生まれ、アフリカ・ヨーロッパ・アメリカで多彩な生活を経験したユダヤ系知識人ホブズボームが、その人生をとおして伴走したソ連の崩壊を省察しつつ呈示した短い二〇世紀(一九一四〜九一)論であり、既刊の『革命の時代』『資本の時代』『帝国の時代』といった「長い一九世紀」(一七八九〜一九一四)三部作につづく同時代史である。わが戦後史学の隆盛をきわめた時代がホブズボームのいう二〇世紀の「黄金時代」、すなわち第二次大戦後、七〇年代までの二超大国の時代に対応するのは興味深い事実である。三〇年代からの先進国に共通するシステムの連続性をみる最近の研究は直接には反映されていない。索引にニューディールがないのは偶然か。紀平英作『パクス・アメリカーナへの道 胎動する戦後世界秩序』(山川出版社)、そして山之内・酒井グループの議論で補充しながら読みたい。

  昨秋から始まった中央公論社の『世界の歴史』シリーズはすでに広い読者をえているようだ。新『岩波講座 世界歴史』は今秋からの刊行が予告されている。だが同時に、重厚な論文集、シャープな研究書、要するに「単著」の復権ともいえる事態が進行している。先に言及した木畑、紀平、酒井、佐藤、杉原の著書、そして桜井万里子『古代ギリシア社会史研究 宗教・女性・他者』(岩波書店)もそうだが、九七年に入ってからはさらに労作があいつぎ、これから本格的な書評をまちたい。

  狭義の歴史学方法論および史観について。『古代文化』(四八・二)では「時代区分特輯」が組まれ、『思想』八六六号には特集「歴史の詩学」が編まれている。後者で記憶、文体、メタヒストリーが論じられるなかにヘイドン・ホワイト「歴史的知の詩学」が位置する。じつは安丸良夫もまた前掲書でE・H・カーとともに「議論の余地のある事実という果肉」に包まれた「解釈という硬い芯」という認識にいたっていた。遅塚忠躬の場合は「言説分析と言語論的転回」(『現代史研究』四二号)で構造史、事件史、文化史の三レヴェルに分けて考えることによって、言語論的転回を待つまでもなく現代歴史学は「認識論的主観主義」にたって実在論を拒否してきたと結論する。二宮宏之「歴史認識の物語性」(『本郷』九)は歴史学の「物語としてのプロット」を前提として確認したうえで「糸の切れた凧」とならぬよう警告を発する。遅塚のいう反証可能性と「共通の理解」の根拠にかかわる警告であろう。P・バーク編『ニュー・ヒストリーの現在』(谷川稔ほか訳、人文書院)もこうした脈絡で受けとめたい。

  河原温 'Some aspects of world history in Japanese education: Concepts, methodology and perspective' (『人文学報』都立大、二六八号) は戦後史学の存在感を知らない世代の歴史教育論といえる。大学改革にともない歴史学教育という問題はますます顕在化するだろう。最近、中学教科書における「自虐史観」「コミンテルン史観」なるものを問う議論がきわめて政治的に呈示されている。方法論としては「慰安婦」「虐殺」ともに歴史における証言と表象の問題にかかわる。ナチスの対ユダヤ人処遇をめぐって、フリードランダー編『アウシュヴィッツと表象の限界』(上村忠男ほか訳、未来社、一九九四)でも紹介されたような討論にこれから高まってゆくのだろうか。

  かつて石母田正はその主著のあまりにも有名な序(昭和一九年一〇月)で、歴史学の必須の精神として「遺された歯の一片から死滅した過去の動物の全体を復元して見せる古生物学者の大胆さ」と「資料の導くところにしたがって事物の連関を忠実にたどってゆく対象への沈潜と従来の学問上の達成に対する尊敬」とを指摘していた。「大胆さ」だけを強調されてしまった古生物学者は不満にちがいない。全体を復元して見せる彼(彼女)の要件は「大胆さ」ではなく、むしろ実証史家とおなじ「対象への沈潜と従来の学問上の達成に対する尊敬」であり、そこから科学的推論によって死滅した動物の全体像が再構成されるのだ、という反論がかえってくるのではないか。石母田もそれくらいは承知で書いたのだろう。学問構想における「衝迫」あるいは根源的なモチーフを「大胆さ」と言ってみたのかもしれない。問題意識/パトスがなければ、化石を掘りあててもリンゴの落下を目撃しても全体像や法則を着想することはない。戦後史学のチャンピオンたちが絶望的な戦争のさなかに「状況に対する憂悶をせい一ぱいに歴史的考察のなかに篭め」(丸山真男)て、すなわち生命をかけて構築した、国民の「死滅した過去」あるいは大洋のむこうの「近代」は、素朴実在的な実態でも、逆に夢のような虚妄でもない。根拠のある構築物であった。

  前掲論文で遅塚は、主観性=個人性とみなすかのごとくだが、しかし主観とは孤立した個人のものではなく、むしろ、ある時代を生き、ある共同性を有する主体の主観である。時代とともに人々のアイデンティティと問題はかわり、アカデミズムの課題もうつろう。当然である。ホブズボームのいう「短い二〇世紀」の終結したあと、これからの歴史学の営みを衝迫するのは何なのか。「文化発展の最後の人々」の「一種異常な尊大さ」(ウェーバー)でないことを望む。      

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