「儒教規範の実践とその評価」参考資料

(備考:○・*は伏字、□は判読不能、[]は筆者注)


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資料2-1.表彰状(孝子)

   表彰状

第六三号 南原郡山東面大基里○○○

 孝子賞   柳定○

       一九二八年四月十八日生

 右の者は瑞山柳氏の後裔で、一九四六年教育界に投身し、後進の教育に献身努力してきたが、老父母の奉養が粗忽であるとの考えから、一九六八年教職を辞任し、父母に至極の孝誠を尽くしてきた。父親が老患で別世すると、三年間、風雨を避けず毎日朝夕省墓[墓参り]をし、理髪もしないまま霊室で独り起居しながら、悲哀のうちに三年の喪礼を終え、その後も今日まで毎日のように省墓をおこなってきた。また、八旬[八十代]の老母に至誠をもって孝心を尽くし、市日には老母の嗜好にあう魚肉を求めて、無関母□で奉養し、一九八八年五月には母親のお供をして済州観光旅行をした。その孝行が卓異であることから、門中と面老人会から表彰をうけたこともある。今般、面民と儒林の推挙により、その孝行を高く讃え揚げここに表彰する。

  孔夫子誕降二五四十年二月一日

   (西紀一九八九年三月八日)

       南原郷校

         典校 房仁○

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資料2-2.表彰状本文(孝婦)

 右女史は、晋州 氏の後裔であり、芳年十六歳で興徳張氏家門に出嫁し、困窮した生活のなかにも、団欒の家庭を築いていたが、突然夫君と死別するにいたり、婦人是年二十九歳で、膝下に兄弟を昼耕夜織で養育し、僅々に生計を維持してきた。姑は性格が偏癖で、虐待などが甚だしかったが、一時も不平不満の気色を見せず、つねに父母の奉養に粗忽でないかどうか繰り返し考え、昏定農尚[?]の道に力を尽くしながら、食事のたびに喜餞を準備してきた。近年に至っては老衰で起動が不便になり、大小便処理は勿論、毎日衣衾を浄潔にし、他人の耳目に汚点ひとつ発見できないようにするなど、当年一〇一歳の姑の奉養に至極の孝誠を尽くしている。本部落賞を受け、隣近の称頌にも籍々たるものがあり、他の模範となるので、面民と儒林の推薦により、その孝行を讃え揚げ、ここに表彰する。

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資料2-3.表彰状本文(孝烈婦)

 右女史は、長水黄氏□村先生喜の後裔である士人泰○氏の次女であり、芳年十八歳で青松沈氏家門に出嫁し、団欒の家庭を築き上げたが、突然夫君と死別するにいたり、婦人時年二十五歳で、膝下に女息一人を養育し、舅姑の奉養に至誠を尽くした。三年後舅が亡くなり、また、姑は中風症で□床し起居不能となって、薬石侍湯と大小便処理、衣類寝具など汚物を他人の眼目に触れさせることなく浄潔に奉供し、風朝雨夕、七個星霜を侍奉した。このことにたいし、郷隣で特出の孝であるとの称頌に籍々たるものがあり、現代社会の亀鑑となるので、今般、儒林の推挙によりその孝烈を高く讃え揚げここに表彰する。

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資料2-4.選考資料(孝烈婦)

a.功績調書(三枚)

[一枚目]

  功績調書

姓名:盧順○

住民登録番号(生年月日):190410-*******

本籍(国籍):南原郡水旨面山亭里***

住所:上同

功績要旨:別添

 調査者

所属:水旨面事務所

職位:副面長

職担:地方農業主事

姓名: ○○

  上の記録が間違いのない事を確認します.

            1993年 月 日

 推薦官

職位:南原郡水旨面長

姓名:朴○○ 印

[二枚目]

功績事項:

 上の者は、1919年4月18日,南原郡朱川面虎基里****番地豊川盧氏の三女として生まれ、1944年4月18日,17の年で水旨面山亭里***番地金八○の長男金鍾○と結婚し、女+思祖母[夫の祖父母]、女+思父母[舅姑]、夫妻と二人の女+思同生[夫の弟妹]など、大家族とともに解放後の難しい時局のなかに貧しさの苦痛を涙のうちに堪え忍んで暮らした典型的な韓国の婦人像です。

 特に、夫金鍾○は、解放後我国の思想混乱期に水旨面の反共青年団体である大韓青年団指導者として活躍しつつ大韓民国国旗を正しく擁立するのに功をたてた愛国家族で、反共青年運動をはじめて五年の1950年12月27日に水旨面犬頭山地区共匪討伐作戦で戦死し、婦人は結婚六年の23歳の時に青山寡婦となり、息子、孫の死を聞いて病に伏せった女+思祖母、女+思父母に仕えて、40年間血の涙が流れる苦労に一貫した生涯を送ってきたかわいそうな婦人です。

[三枚目]

   功績調書(乙)

功績事項:

 夫との六年間の生活でもうけた二女○○、○○を育てながら、代を継がなければならないという女+思父母の意向に従って、末の女+思叔父[夫の末弟]○○の息子(○○)を養子に受け、農作業他の困難のなかでも、教育の後押しに少しの粗忽な点もなく、数十年間、女+思父母の老患による病の看護に及ぶ者のないくらいこの上ない孝誠をもってつくし、万人の鑑となり、健康ではない自身の困難は生を営むことに煩悶をおこすほどに茨の道の人生でした。

 90歳で亡くなった女+思祖母に30年以上、この上ない孝誠をもって仕え、86歳で亡くなった女+思父母[ママ]と、94歳で亡くなった女+思父母[ママ]に、一人で50年間変わりなくこの上もない精誠で、文句もいわず仕えてきた孝婦です。

 疑う余地のない婦人は、養子と一緒に住むこともできず、生き残った娘○○と○○の家を行き来し、76歳の老躯で涙のしみこんだ人生に慰労を得られない悲しい生を困難にも営んでいる、現社会の見い出し難い孝婦であり、他人の鑑たるよう、推薦します。

b.国家遺功者証

   国家遺功者証

      故金鍾○[候補者の夫]

わが大韓民国の今日は、国家遺功者の貢献と犠牲の上に築かれたものであり、これを愛国精神の鑑として恒久的に称賛するために、証書を差し上げます。

   1993年6月1日

  大統領 金泳三

 この証を、国家遺功者証簿に記入す。第52-****号

  国家褒勲処長 李ビョンテ

c.湖南敬老会表彰状

第140号

   表彰状

孝婦

南原郡水旨面山亭里○○○番地

盧順○ 75歳

 上の女史は、天姿貞淑であり、芳年十七歳で慶州金氏家門に出嫁し、団欒な家庭を築いてきたなか、6.25事変[朝鮮戦争]の時、犬頭山共匪討伐作戦で夫君が戦死し、行年23歳で一人になり、その悲しみを抱き昼鋤夜織し、僅々たる生計を営んできたところ、女+思父母が老患で委床し、94歳に至るまで春風秋雨50余星霜を至誠をもって奉養したことに、出天之孝婦であると郷党の称頌が藉々であるので、当該面長の推薦に依拠し、本会年次総会に際して、その孝行を高く讃揚しここに表彰する。

  1993年5月18日

   湖南敬老会長 金容○ 印

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資料3-1.綱倫会創立趣旨文

 あらゆる精誠をつくす忠の倫理は、恭敬がその基本であり、自己のあらゆるものをみな捧げうる孝の倫理は、愛の根本である。

 この百行の本である忠孝思想と倫理道徳を崇尚する人本主義思想は、万古不変の真理である。しかし、八一五光復以後、西欧文明が急進的に流入し、物質万能の風潮が社会を揺るがしている。

 それゆえに、倫理道徳と我々の美風良俗は地に落ち、各階各層の不和と葛藤によって無秩序が乱舞しているのが現実である。

 このような頽落した社会の紀綱を建て直し、我々本来の伝統文化を継承することは、ひとえに我々中枢儒林の時代的に切実な召命である。

 それゆえに、我々は平素に学び習った儒道精神を発揮し、先導的役割を果たし、社会と国家発展に寄与し、我々儒林同士の親睦を図るため、別添会則案を参考とされたうえで、元老をはじめとする先後輩諸氏の賢明な判断と能動的な協助を望み、あえて仮称綱倫会の組織を提言するものである。

   檀紀四三二六年九月 日           典校 金在昌 識

                        (南原郷校誌編纂委員会[1995: 527]より訳出)

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資料3-2. 倫理宣言文(成均館儒道会総本部)

 人間は尊厳ある存在である。尊厳ある人類のなかで、我々は韓民族であることを誇りに思う。悠久な文化民族としての象徴は、光り輝く「オル」[魂・精神]であり、五千年ものあいだ我々を守った活力は、槿域[朝鮮]の歴史であった。民族の「オル」が光を増すとき、我々の文化は、人類共栄の哲学となるのであり、五千年を生きてきた槿域の活力が再創造されるとき、我々の歴史は栄光の民族の生命源となるのであり、これがすなわち我々に与えられた人類としての安仁と、民族としての為己を連結させる、主体的使命であるのだ。

 今や我々は世界史の新しい進運を感じ、我が民族の誇らしき伝統の上に立ち、義理と智恵によって、我々の進むべきところを明らかにし、倫理の大原とせねばならない。

 人間が最も尊貴である。人間の尊厳を取り戻すことが倫理の前提であり、すべての文明の蓄積は、いつでも人間のためにのみ存在する、人本的価値である。しかし、現代文明の威力が人間の尊厳を圧倒し人本を離れた、物質偏重の科学主義に対し、我々はその科学の進路を明らかにする正しい光によって、我々の人本的倫理を強調するものである。個人という主体がいつでも人類創造力の基本であり、「真正なる自分」が倫理実践の主体である。自己という主体を確認する為己の信念と、その主体を完成させる「克己」の修養を積まねばならないのであり、これに到達する倫理は、すなわち恭敬と愛である。すべての精誠を尽くす忠の倫理は、恭敬の根本となり、親親の本性によって自己のすべてを支えうる孝の倫理は、愛の根本となる。小さくは自己完成の道であり、大きくは為国忠誠の道であり、五千年の伝統をもつ「オル」思想の倫理がここにある。しかし、我々は伝統であるからといって古い戒律を守ろうとはせず、外来風潮であるからといって全面排撃はしない。人間本然の姿勢から、我が民族の生理と主体的理念に附合し、恒久的な栄光の道を求めるために、時宜に適応した方法と価値を発見することによって、民族の「オル」を消滅させる、我々の倫理に合わない外来的な頽廃風潮を排撃するのみである。孝は百行の源である。しかし、これは絶対的な意義以前に父父子子の関係を実生活に副応させる面に求めることが、現代倫理の価値観であり、この行を広げれば敬となり、また忠となり、広義の愛に発展するのである。

 今や我々は現代感覚の中で、新しい価値観的倫理を求め、人間完成の道を磨き、さらには民族史観的見地から拡充発展させる使命を帯びている。新しい歴史を創造するために、主体観的立場から、自己(個人)を立て、我々(民族)を求め、さらには人類共栄の道として、新しい倫理観を宣言する。

   一九七三年八月二十九日

               成均館儒道会総本部

実践綱領

一、我々は悠久なる文化民族であることを誇りとし、敬愛の倫理を実践する。

一、我々は人間の尊厳性を取り戻し、忠孝精神を基本とし、伝統的美風良俗を継承発展させる。

一、我々は我々の真正な倫理に違背する風潮は、どのようなものでも、これを排撃する。

          (南原郷校誌編纂委員会[1995: 1-2]より訳出)

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