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タジキスタンおよびウズベキスタンにおける調査報告
澤田稔(富山大学人文学部・教授)

 概要

  • 日程:2007年9月7日〜9月23日
  • 用務地:ハールグ(タジキスタン)、タシュケント(ウズベキスタン)
  • 用務先:非政府組織Merosi Ajam(ハールグ)、ウズベキスタン共和国科学アカデミーなど

 報告

報告者は当拠点の研究グループ「18-19世紀東西トルキスタンのイスラーム指導者とムスリム住民の広域的活動に関する基礎研究」の活動の一環として2009年9月7日から23日までタジキスタンとウズベキスタンにおいて文書・写本等の資料と歴史的建造物に関する調査活動をおこなった。以下はその概要である。

タジキスタン共和国の東半部に広大な山岳バダフシャーン自治州がある。その州都ハールグは人口2万8000人とのことで、行政機関の建物や大学、博物館、図書館、公園、ホテル、住宅などがパンジュ河(アム河上流の本流)に合流する直前の支流沿いに集中し、バザールは活気に満ちている。このハールグの町のペンション風ホテルを拠点にして、非政府組織Merosi Ajam(「アジャムの遺産」)のウミード・シェールザードシャーエフ(Umed Sherzadshaev)氏の案内により同州西南部に位置するイシュカシム郡・ラーシュトカルア郡・シュグナン郡の町や村を訪ねて民間所蔵の文書・写本を探索し、重要とみられる資料のデジタルデータ化をおこなうとともに、史跡を踏査した。

ハールグの町 ハールグの目抜き通りとレーニン像

ハールグからパンジュ河右岸に沿う道を四輪駆動車で220kmさかのぼると、イシュカシム郡のランガル村に到る。イシュカシム郡における調査活動はランガル村からパンジュ河右岸沿いに下流に向かいながら村々を訪ねておこなった。このランガル村自体は、ワハーン河と合流してパンジュ河となるパミール河の右岸(北岸)に位置するが、その合流点は遠くない。ランガル村の「ハリーファ」(村の結婚式、葬式、宗教的儀式を執り行うという)が保管している文書24点をスキャナーで複写した。さらにランガル村の下流近辺にあるゾング村のハリーファ宅においても所蔵の文書2点を複写した。ゾング村は人口2000人でランガル村より大きいが、このあたりの中心地はさらにパンジュ河下流にあるヴラング村であるという。なお、ランガル村の幹線道路沿いに「シャー・カンバリ・アーフターブのマザール(廟・参詣所)」がある。木立のならぶ敷地の一辺は山地からの渓流が画している。この人物は8世紀にエジプトで任命され、ここに来てイスマーイール派を伝えたとされている。幹線道路の反対側にこのマザールの「博物館」(1993年開設という)があるが、鍵が掛かっていて観覧することはできなかった。

シャー・カンバリ・アーフターブのマザール

ヴラング村に5-6世紀のものとされる仏教遺跡(一部修復されている)があり、この遺址のある丘から渓流をへだてた西側の山の中腹に多数の洞窟が見える。そして、この仏教遺跡の丘の直下に「アブドゥッラー・アンサーリー廟」があり、その位置関係に興味が引かれる。この廟の敷地内にも「博物館」があるというが、敷地の門扉に鍵が掛かっていたため、廟を敷地の外から見ただけである。ヴラング村の下手にあるヤムグ村に、ムバーラキ・ワハーニー(1839-1903年)の「記念館」がある。ムバーラキ・ワハーニーはヤムグ村で全生涯をすごし、神秘詩人・音楽家・天文学者・画家・紙製作者として多才な仕事をなしとげたという。村のなかには彼の生家や天体観測の石が残っており、また、村を見おろす山の上に孫によって建てられた廟がある。ムバーラキ・ワハーニーの記念館は1994年に開設され、彼の作品などが展示されている。また敷地には「チッラ・ハーナ」という、本来はお籠もりの修行をするはずの小さな建物があるけれども、もともと「チッラ・ハーナ」は別のところにあったという。ヤムグ村から約60kmパンジュ河沿いの道をくだると、ナマドグート村に到る。ここの幹線道路脇、前イスラーム期の「カフカハの要塞遺跡」のそばに「シャーヒ・マルダーンのカダムガーフ(足跡地)」がある。シャーヒ・マルダーンとは預言者ムハンマドの従兄弟でファーティマの夫であるアリーのことである。この地方の伝統的な木組み天井のある建物で内部が保護されている。

ヴラング村の仏教遺跡 アブドゥッラー・アンサーリー廟
ムバーラキ・ワハーニーの記念館 天体観測の石
シャーヒ・マルダーンのカダムガーフ シャーヒ・マルダーンのカダムガーフ内部
シャーヒ・マルダーンのカダムガーフの天井 文書の複写と計測

シュグナン郡では、ハールグ市とその近郊のパンジュ河右岸に位置するポルシェニェフ村・サラーイ・バハール村とにおいて調査活動をおこなった。ポルシェニェフ村には「ナースィリ・フスラウの泉」、その記念像、記念館がある。山岳バダフシャーン州西南部の住民は11世紀に、イスマーイール派の教宣者(ダーイー)として著名なナースィリ・フスラウの活動により同派に改宗したとされている。ナースィリ・フスラウが杖を地面に突き刺した結果、湧き出てきたと伝えられる泉が改修工事され、その像や記念館が整備されつつあることは、上述したマザールの保護や文化人の顕彰とともに、この地域のイスラーム文化の復興を示していると見られる。ポルシェニェフ村のすぐ下流にあるサラーイ・バハール村はピールが多く住んでいた村であり、2軒において所蔵資料を調査した。そのなかにナクシュバンディー教団の系譜を韻文で書き綴った写本を見出したが、マフドゥーミ・アーザムあたりで記述が切れているようであり、重要性が薄いため複写はおこなわなかった。ハールグ市では2箇所において、アーガー・ハーンから発行されたファルマーン(命令書)とみられる文書を中心に50点の資料を複写した。


ナースィリ・フスラウの像 ナースィリ・フスラウの泉

ハールグ市からシャフダラ河沿いの道をさかのぼるとラーシュトカルア郡に入る。その郡都ラーシュトカルアから15kmほど同河上流にバルワーズ(シャワーズ)村がある。そこの村人が箱に収めて保管していた写本・文書を点検し、重要性の認められる文書40点を複写した。ハールグへの帰路、タヴデム村の幹線道路脇にある「サイイド・ジャラールのマザール」を調査した。この人物はイスマーイール派の指導者で、19世紀の人といわれる。石積みの壁とそのなかの墓は新しい建物に覆われて保護されている。

バルワーズ村 箱に収められた写本・文書
サイイド・ジャラールのマザール外観 サイイド・ジャラールのマザール


以上の山岳バダフシャーン州西南部における調査活動の結果、19世紀後半から20世紀初めにかけての、ブハラ・ハーン国支配下の時代のものと見られるイスラーム法廷関係の文書やイスマーイール派の最高指導者アーガー・ハーンのファルマーン(命令書)とおぼしき文書を含む総計116点の資料をデジタルコピーの形で収集することができた。さらに、マザールなど歴史的建造物の実地調査により当該地方におけるイスラーム文化の特徴をうかがい知ることができた。

9月20日にタジキスタンを離れてウズベキスタンの首都タシュケントに入り、科学アカデミー東洋学研究所においてナクシュバンディー教団関係の諸写本を閲覧して資料を収集した。
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