トップページ調査・出張報告
ウズベキスタン調査報告
今堀恵美(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所ジュニアフェロー)

 概要

  • 日程:2009年9月1日(火)〜9月19日(土)
  • 用務地:ウズベキスタン共和国(タシュケント、ブハラ州ほか)
  • 用務先:ウズベキスタン中部村落部ほか
  • 用務:ウズベキスタンにおける社会人類学的研究

 報告

2009年9月1日〜9月19日、ウズベキスタンにおける社会人類学研究として、首都タシュケント及び中部ブハラ州の村落部で現地調査を実施した。9月3日〜4日はタシュケントにおいて、イスラーム地域研究東京大学拠点および京都外国語大学、ウズベキスタン共和国科学アカデミー東洋学研究所との共催で開催された国際会議TASHKENT INTERNATIONAL CONFERENCE 2009の会議補助として参加した。会議の詳細な報告はこちらを参照していただくとして、以下では私が調査を実施したテーマについて簡単な報告を行いたい。

今回の調査では、主に3点のテーマに沿って聞き取り調査を行った。@私がこれまで調査してきたブハラ州S地区在住の刺繍制作者を対象に、ジェンダーと仕事の関係を明らかにする調査、AS地区で制作される刺繍の礼拝用敷物のデザインの調査、Bウズベキスタンにおける豚飼育の実状調査である。

@の調査では、ウズベキスタンの刺繍(中でも色糸を用いた手繍い刺繍(カシュタ))が「女の仕事」とされる価値観の中で、男性の刺繍制作業への関わり方を解明するのが目的である。今回の調査では4組の刺繍制作者兼事業家(既婚女性)とその夫の一週間の生活リズムと仕事内容に関するデータを収集した。データ分析及び聞き取り調査の結果、刺繍事業家の夫は男性であっても刺繍制作業とその事業運営に従事しうることが分かった。だが同時にあくまでも妻の補佐としてその仕事をさほど強調しないという特徴も見られた。これはウズベク人に見られる「恥(ウヤット)」という文化的観念が、女性の仕事への男性の参入を制限し、女性事業家の活動の幅を拡げている一例と考えられよう。

布団台を飾る礼拝用敷物(1986年制作品:キブラに対して模様が逆向き)

写真1
S地区の礼拝用敷物。S地区ではキブラの向きを下にして持つ人が多い。

写真2
Aの調査では、S地区で制作される礼拝用敷物の写真及び聞き取りデータを100枚分収集し、制作年代とデザインの特徴の関係をまとめた[写真1,写真2]。礼拝用敷物とは、ムスリムの五行の内の一つである「礼拝(サラート/ナマーズ)」に用いる敷物である。S地区では宗教的実践に寛容的ではなかったソ連時代を経ても、女性たちは一貫して刺繍の礼拝用敷物を持参財の一品として準備してきた。刺繍で制作された大判の壁掛け(スザナ)を古物商に売り渡した家庭でも、礼拝用敷物のみは大切に保管されていた。だがその多くは衣装箱に仕舞われるか、布団台の目隠しとして美しく飾られたまま、実際に礼拝で用いられる場面は少ないのが現状である。S地区では、礼拝用敷物とは婚入した女性による舅または夫への贈与品であり、それ故制作者である女性自身にはさほど用いられない。また村落部の男性でも日常的に礼拝を行う人は決して多いとは言えない。事実、礼拝用敷物を数枚以上保持していても、礼拝を行う人は誰もいないという家庭すら多いのだ。では、何のための礼拝用敷物なのか。長い間、私は単に布団台の目隠し用装飾としか考えていなかった。だが今回の聞き取り調査で、村落部女性にとっての礼拝用敷物の少し意外な必要性が分かった。家庭に5枚以上もの礼拝用敷物を保持する村落部女性によれば「礼拝用敷物は家族用ではなく、来客用である」という。「たとえ家族が誰も礼拝しなくとも、いつ誰が我が家に客として訪れるか分からない。来客の中にはムッラーのように毎日礼拝を行う人がいるかもしれない。その人が我が家でいつでも礼拝ができるように準備しておく」のだという。ウズベク人は来客のもてなし(メフマン・ドゥスト)を民族的な美徳と見なし、不意の来客を快くもてなす女性に深い敬意を払う。1970-80年代、S地区で盛んに制作された小さな壁掛けには「お客様ようこそ」という定番メッセージが刺繍で施されていた。村落部家庭に必ずある礼拝用敷物とは、礼拝を行う敬虔な客が不意に訪れても、心からのもてなしが行き届くようにという村落部ムスリム女性たちの細やかな配慮なのであった。独立以降、徐々にイスラーム的実践が復興しつつあるS地区では、このような女性たちの配慮が日の目を見る日は決して遠くないかもしれない。

タシュケントの豚販売店

写真3
タシュケントの肉加工品販売店のハラール表記付きハム

写真4
とはいえ、中央アジアのイスラーム復興は厳格にのみ拡がるだけではないかもしれない。調査Bでは、ムスリムが大半を占めるウズベキスタンの豚飼育の現状について若干のデータを得ることが出来た。まず2009年の調査時点でもタシュケントの市場で豚肉を販売する光景は確認できた。もっとも豚肉販売も消費も主にムスリム以外のロシア人や朝鮮系移民の子孫たちが担っている[写真3]。また肉販売の同じフロアには、ムスリムが扱う牛・羊・鶏・肉加工品の販売所もある。中でも肉加工品販売所ではソーセージやハムが販売される。今回の調査では、明らかに2004年段階では見かけなかった「ハラール(イスラーム法的に合法、清浄の意味もある)」という文字がパッケージに印字された加工肉の販売を見かけた[写真4]。ムスリムである店主によれば、近年加工肉のハラール性が話題になりはじめ


タシュケントの肉加工品販売店で販売されるハム(豚肉入)

写真5


車のトランクで販売される豚

写真6
、2-3年前から取り扱い始めたという。以前はムスリムによる処理が当然視され、表示する必要すらなかったし、ムスリム自身もさほど気にする人は多くなかったという。もっともこの販売店では鶏肉ソーセージに加えて豚肉ソーセージやハムも販売していた[写真5]。このような都市で販売される豚肉の供給源はどこなのだろうか。都市以外の地方で豚が飼育されている噂を聞き、今回若干のデータを収集した。もっとも豚をめぐる調査はムスリムにとってセンシティブなテーマであり、豚インフルエンザへの脅威から取り締まりが厳しくなったこともあり実名や販売場所の明記は避ける。

豚は週に一度日曜日に開かれる家畜市場の一角で販売され、生後まもない子豚や親豚まで、色も黒い斑模様の入った種類から白色まで多様な種類が販売されていた。調査期間が断食月にあたっていたこともあり、豚の販売所は5箇所のみであった。販売人の使用言語はウズベク語及びロシア語、タジク語で多くはムスリムと推定される人びとが売買に関わっていた。豚は販売人所有の車内で展示され、購入希望者は車外から豚の状態を見て判断する[写真6]。2009年段階の平均的な値段は母豚75万スム(約36000円)、子豚8万スム(約3900円)であった。

個人飼育小屋で肥育される豚

写真7
このような市場から豚を購入した人びとは自宅の家畜飼育小屋で豚を飼育する。豚飼育工場があったと噂を聞いて訪れた場所は2009年には既に閉鎖されていた。今回の調査で私が確認できたのは個人飼育の現状のみである。合計3件の個人飼育の情報を得たが以下ではAさんの事例のみ紹介したい。Aさんはムスリムだが6年前、母豚1頭と子豚10頭を購入して豚飼育を始めた。調査時点で7頭の豚が飼育されていた[写真7]。彼は購入した豚を肥育して屠殺し、一年に一回市場に肉として卸す。豚飼育の利点は牛よりも販売価格が高く、飼育が容易なためという。ただし村落部に住む近隣の人びとに悪い噂をたてられないように警戒している。Aさんは「豚は小麦粉だけを与えて育てているのに、なぜ「ハラーム(イスラーム法的に非合法、不浄)」なのか分からない、豚飼育と自分の信仰心には全く関係がない」と語っていた。

一般にイスラームにとって豚はハラームであり、ムスリムと豚は相容れない存在とされる。上述のAさんの豚飼育も自らは礼拝しない村落部女性が礼拝用敷物を来客用に準備するのも、無神論を是としたソ連体制が中央アジアのムスリムに遺したイスラームへの無知と断定するのは簡単だろう。だが中央アジアのイスラームを研究した人類学者マリア・ローも指摘するように、中央アジアではイスラームに関する知識の多寡がその人の信仰心を計る物差しとはならない[Louw 2007]。むしろソ連時代を通じて伝承されてきた中央アジアなりの「イスラーム的なるもの」とその揺らぎを解明することが必要なのだと実感させられた調査となった。

Louw, Maria E. 2007 Everyday Islam in Post-Soviet Central Asia. (Central Asian Studies Series 7), London and New York: Routledge.
Page top