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クルグズスタン(キルギス)・トルコ・エジプト・ドバイ調査報告
吉田世津子(四国学院大学社会学部・准教授)

 概要

  • 日程:2008年9月23日(火)〜11月6日(木)
  • 用務地:クルグズスタン(ビシケク・ナルン州)、トルコ(イスタンブール)、エジプト(カイロ・アレクサンドリア)、ドバイ
  • 用務先:クルグズスタン北部農村地帯、中東諸都市
  • 用務:クルグズスタンにおける社会人類学的現地調査ならびに中東諸都市における現地視察

 報告(*画像の転載不可

2008年9月23日〜11月6日、昨年同様「イスラーム信仰実践の動態に関する人類学的研究」として、クルグズスタン(キルギス)北部農村(K村と仮称)での現地調査、また中東諸国主要都市にて現地視察を実施した。K村では10月1日の断食月明けの祭にあわせて現地入りし、約3週間にわたって社会人類学的フィールドワークを行った。中東諸国では、トルコ・イスタンブール、エジプト・カイロならびにアレクサンドリア、ドバイに数日〜10日程度ずつ滞在した。ここではK村・カイロ・ドバイ・イスタンブールで調査・訪問したモスクでの経験を中心に報告する。今回は中東諸都市での視察が可能となったことから、特に外国人かつ異教徒への対応(反応)に焦点を当ててみたい。私はエジプト・ドバイは初めての訪問であり、アラビア語もできず、中東の専門家でもない。そのためここで述べるのは私の調査・視察における所感であり、フィールド・エッセーといえるものであることを注記しておく。

クルグズスタン・K村は長年にわたり現地調査を継続しているフィールドであるため、私が外国人かつ異教徒であることは周知の事実である。また同村のモスクは女性が内部に入ることを許していない。そのためモスクに行った際、私はいつも扉口から内部を覗かせてもらっている。ところが今回、断食月明けの祭日礼拝を見学し写真撮影をしていたところ(写真1・2)、知り合いのモルド(クルグズ人のイスラーム宗教職能者・男性)から、モスクの中に入って一番前から写したらどうかと勧められた。すでにイマームが講話を始めており、内部は礼拝参加者でびっしり埋まっている。さすがにそれはできず代わりに彼にカメラを渡して、最前列から写してもらったのであった(写真3・4)。

写真1:断食月明けの祭/クルグズスタン・K村モスクでの祭日礼拝 写真2:K村モスクでの祭日礼拝/扉口から 写真3:K村モスクでの祭日礼拝/最前列から 写真4:モスク内で講話するイマーム/K村


今回の申し出には驚かされたとともに、大きく考えさせられた。このモルドと私はすでに10年以上の知己で、彼は私が人類学者かつ大学教員であること、クルグズ人の生活慣習について調査していることを知っている。おそらく外国人学者である私の便宜を図ろうと、親切心から内部での写真撮影を勧めてくれたのであろう。モルドとは通常、イスラームに関して専門教育を受け、一般住民よりも厳格に戒律を遵守するはずの存在である。だが今回のことから、時と場合によっては「モスク」に関する規律を、外国人異教徒女性である私のために曲げてくれることもあり得ることが、わかったのである。

次にエジプト・カイロで訪れた、アズハル・モスクでのことである。スンナ派の総本山として有名なアズハル大学ならびにモスクであるが、モスク見学時あまり外国人観光客の姿はなく、見たところ3〜4人の欧米人が目につく程度であった(写真5)。写真を撮っていたところ、初老のエジプト人男性がアラビア語で話しかけてきた。困惑していると片言の英語ができる男性たちが仲介してくれ、日本人とわかると、モスクの一角に置いてあった、イスラームやテロに関する日本語のパンフレットと冊子をくれたのである(写真6)。どうやらモスクの管理雑用をしている人らしく、手数料を払えばミナレットに上らせてくれるという。扉の鍵を開けてくれ、モスクの屋根で途中何度か撮影スポットを案内してくれた。おかげでミナレット最上階からカイロ市内を見ることができた(写真7〜10)。

写真5:アズハル・モスク/カイロ 写真6:アズハル・モスク内の書架 写真7:アズハル・モスク/屋根から 写真8:アズハル・モスク/屋根から
写真9:アズハル・モスクから望むカイロ市内/シタデル 写真10:アズハル・モスクから望むカイロ市内


カイロではアズハルだけではなく、あちこちのモスクで日本人であることを理由に親切にしてもらった。これが普通のことなのか私は判断する術を持たないが、外国人観光客として、モスクの内部を案内してくれたりミナレットに上らせてもらったりしたことは、得難い経験であった。もちろん必要であれば入場料、ミナレットに上るときは手数料にバクシーシを取られはしたが、外国人・異教徒・観光客・女性であっても(少なくともガイドブックに記載されている)モスクは出入り自由であり、開放的な雰囲気が印象的であった。

これに対して最初から「外国人異教徒観光客」のためのツアー・プログラムを組んでいるのが、ドバイのジュメイラ・モスクである(写真11・12)。"Open Doors. Open Minds Programmes"と名付けられた、文化的相互理解を促進するための観光プログラムのなかに、ジュメイラ・モスク見学が入っている。土・日・火・木の午前10時から約1時間だけ、ムスリムの礼拝に関する体験ツアーが現地人女性ガイドによって実施される(写真13)。私が参加したときはおよそ80人近くの人がおり、9割以上をおそらく欧米人と見られる人たちが占めていた(写真14)。モスクの中に入ると現地人男性も加わり、流暢な英語でイスラームという宗教や礼拝、戒律について、身振り手振りも加えた解説が行われる(写真15)。またそれだけでなく、現地人女性の全身を覆う黒い衣服のことが説明され、面覆いをどのように身につけていたかなどが実演された。

写真11:ジュメイラ・モスク/ドバイ 写真12:ジュメイラ・モスク 写真13:ジュメイラ・モスク見学ツアーの女性ガイド 写真14:ジュメイラ・モスク見学ツアー客
写真15:ジュメイラ・モスク見学ツアー/男性ガイドと参加者


このモスク見学ツアーのハイライトは、外国人観光客と現地人男女のガイドとの間で真剣な質疑応答が行われることであろう。特に欧米人女性はムスリムの男女隔離について直截的な質問をぶつけ、現地人ガイドが真摯に答える。私の英語能力では細かいところまで聞き取れなかったのが残念だが、ガイド側も紋切り型ではない自分自身の考えを答えているように見えた。観光客もガイドも、極めて理性的に互いの間にある疑問を埋めようとしていたのである。私にとってはモスクの側から「外国人観光客」に「文化的相互理解」を働きかけるツアーを実施していることが、一番の衝撃であった。これには「外国人異教徒・観光客」なしには成立し得ない、ドバイという国家体制が大きく影響しているのであろう。だが積極的に外国人観光客と交流しようとするモスクは、ジュメイラが初めてであった。

最後にイスタンブールのスルタン・アフメト・モスクを取り上げたい(写真16)。イスタンブールにはクルグズスタンに渡航する際の経由地として、たびたび滞在している。国際的な大観光都市であり有名なモスクが多数あるが、ステンドグラスの美しさはここが随一である。スルタン・アフメト・モスクは常に外国人観光客であふれかえっており(写真17〜19)、礼拝時間は内部の見学が禁止されている。モスクの敷地内には現地の土産物売りが出没し、周囲の一角には店が立ち並ぶ。通常、観光客はツアーでやって来ることが多く、あっちこっちでガイドを中心にした人垣がいくつも出来上がり、敷地内をふさぐのである。

写真16:スルタン・アフメト・モスク/イスタンブール 写真17:スルタン・アフメト・モスクの観光客 写真18:スルタン・アフメト・モスクの観光客 写真19:スルタン・アフメト・モスク前の広場

外国人観光客がまばらにしか見られなかったカイロのアズハル・モスク、厳格に見学日と時間が定められていたドバイのジュメイラ・モスクと比べると、イスタンブールのスルタン・アフメト・モスクは、日本の京都にある寺院とたたずまいが非常によく似ている。モスクの周囲には大型観光バスの駐車スペースがあり、交通アクセスはよく、門前町のような土産物街があり、レストランや喫茶店が点在し、ホテルは安いものから最高級まで選択肢は広く、観光客に対する利便性は最も高い。アズハル、ジュメイラと比較するとスルタン・アフメト・モスクは、明らかに観光資源としての重要度が高い。ここでは礼拝時間帯と見学時間帯を1日のうちに使い分けることによって、大量の外国人観光客をうまくさばいているように思われた。

アズハル、ジュメイラ、スルタン・アフメトの各モスクは全て、国際大観光都市に位置している。だが、誰と出会うかという偶然により個人的交流が可能なアズハル、最初から「外国人観光客」という枠組みをツアーとして制度化しているジュメイラ、礼拝/現地人と見学/観光客を分離し距離感のあるスルタン・アフメト ―― 同じ中東諸国の基幹都市かつ国際大観光地に位置しながら、各モスクにおける外国人異教徒観光客の経験はこれだけの変差を持ち得る。これは翻っていうと、中央アジア諸国各都市、また諸農村にも当てはめ可能であろう。モスクというイスラーム信仰実践空間は、置かれた脈絡によってそれぞれの肌触りのような、個別的な特徴を持つといえる。私がフィールドのモスクで今回経験したことも、そのことを示している。現代中央アジアのイスラーム研究においても、こうしたミクロの肌触りを視野に入れた調査が非常に重要ではないだろうか。
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