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2015年度第7回パレスチナ研究班定例研究会報告
役重善洋(大学非常勤講師)/鈴木隆洋(同志社大学大学院)

 概要

  • 日時:2月23日(火)13:00-18:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス 東洋文化研究所 3階大会議室
報告
  1. 平岡光太郎(同志社大学・研究開発推進機構・研究企画課一神教学際研究センター・特別研究員)「現代ユダヤ思想における統治理解について―神権政治を中心に―」
  2. 今野泰三(大阪市立大学院都市文化研究センター研究員)「入植地問題とパレスチナ/イスラエルの和平」

 報告

平岡氏の報告は、マルティン・ブーバー、ゲルション・ヴァイレル、アヴィエゼル・ラヴィツキーという、それぞれ出自と世代の異なる(しかし、いずれも委任統治下パレスチナないしイスラエルの大学で教鞭をとった)3人の現代ユダヤ人思想家の「神権政治」に関する議論を考察するものであった。その際の焦点は、ユダヤ教の観点から現代イスラエル国家の存在/正統性をどう捉えるかという問題であった。そのための補助線として、中世末期の南欧・地中海世界を生きたイツハク・アバルヴァネルの政治論が導入され、これに対するヴァイレルとラヴィツキーの対極的解釈に対する思想的分析が報告の中心となった。ヴァイレルが、世俗的(あるいは修正主義シオニズム的?)観点から、ハラハー(ユダヤ法)に基づく法的秩序を理想とするアバルヴァネルの議論をメシア的な神権政治論として捉え、現代イスラエル国家の正統性を宗教的に根拠づけることは不可能だとしたのに対し、ラヴィツキーは、アバルヴァネルの政治論の「妥協的」側面に注目し、贖いを未来に待望する宗教的立場からであっても、政治への条件付きの関与は可能だと考えた。ここで報告者は、「カリスマ」的政治指導者による神権政治の現実化を可能とするブーバーの視点を参照することで、人間の支配と神権政治の両立を不可能とする政治思想のヴァリエーションとして、ヴァイレルおよびラヴィツキーの思想をブーバーに対置するというかたちで、世俗対宗教という二項対立とは異なる思想的マッピングの可能性を示された。質疑では、各々の「ユダヤ人思想家」が置かれた政治状況や、そこで想定されていた「国家」の内実の歴史的変化といった側面に関して、多くの疑問や意見が出され、活発な討論が交わされた。報告は、イスラエル政治における宗教勢力(あるいは宗教右派勢力)の台頭という極めて現代的な状況に直結する内容であり、そうした方向においても、領域横断的な議論を今後も継続できればと感じた。

(文責:役重善洋 大学非常勤講師)



今野泰三氏の報告は、いわゆる「入植地問題」を、「狭義の入植地問題」と「広義の入植地問題」に類型化し、先行研究にこの観点から分析を加える興味深いものであった。まず今野氏はオスロプロセスへイスラエルを動かした動機と、土地接収強行を含む入植地建設への動機が、現代イスラエルの中でいかにクロスするかという問題提起を行った。最初に、第三次中東戦争においてイスラエルがゴラン高原やシナイ半島、ヨルダン川西岸地区とガザ地区を軍事占領したことに端を発するモノとしての「入植地問題」の概要が説明された。その内容としては、国際法違反、パレスチナ人の権利侵害、二国家解決案の阻害要因などが挙げられる。他方でこのようなフレーミングは、1967年以前のイスラエル国家とシオニズム運動による入植と土地の接収を等閑視するものであるという視角が紹介され、先述の「入植地問題」を「狭義の入植地問題」とし、こちらを「広義の入植地問題」とする枠組みが提起された。両者の先行研究の分析に続き、今野氏は「狭義と広義の入植地問題を結びつける試み」として、第三の枠組みを先行研究の類型化のひとつとして提起した。最後にこれらの各類型に分類された研究者たちが、オスロ和平プロセスをいかに評価しているかが示され、それぞれの立場の問題点が今野氏により提起された。順に述べると、まず「狭義派」は1967年以前の等閑視に加え、中東のユダヤ教徒にそのルーツを持つ東方系ユダヤ人ミズラヒームの置かれた立場を無視して、かれらの右傾化ぶりを一方的に責めていると批判された。次に「第三派」だが、とりわけイスラエル人学者に顕著な傾向として、極右ユダヤ人やハマースなどに責を負わせがちであり、イスラエル国家の性質への批判が甘いことが批判された。以上に対し今野氏は、一民族一国家を越えるビジョンを提起した、イスラエル・パレスチナの各派の思想の再検討の必要性を指摘した。質疑応答では、これらの類型化の有効性を巡る議論や、直近のイスラエル・パレスチナの思想的状況について応答があり、非常に活発な議論が行われた。

(文責:鈴木隆洋 同志社大学大学院)

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