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2015年度第6回パレスチナ研究班定例研究会報告
錦田愛子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

 概要

  • 主催:NIHUプログラム・イスラーム地域研究 東京大学拠点(TIAS)
  • 日時:11月29日(日)13:00〜18:00
  • 会場:東京大学東洋文化研究所 第一会議室
【報告】
  1. 小阪裕城(一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程)「イスラエル建国直後のアメリカ・ユダヤ人委員会の対外活動 1948-1951」
  2. 報告2:鈴木啓之(日本学術振興会・特別研究員PD)「PLOとヨルダンの同盟:被占領地との関係の新展開、1982〜1987年」

 報告

小阪氏は在米ユダヤ人を代表する組織の一つとしてアメリカ・ユダヤ人委員会(American Jewish Committee: AJC)をとりあげ、主に建国前後における委員会とアメリカ政府やイスラエルとの関係について報告された。AJCは1906年に在米ドイツ系ユダヤ人を中心に設立された、アメリカの主流社会への同化路線をとる非シオニスト団体である。彼らは当初より、出身国と現住国(アメリカ)への二重忠誠批判を懸念し、イスラエルへの「帰還」呼びかけに反発を示してきた。ブラウスタインAJC議長は、実際にベングリオンと協議を通じて、イスラエルへの大規模移住を求めないことなどを確認し、1950年に協定を結んでいる。イスラエル建国後にアラブ諸国でのユダヤ人迫害問題が生じると、AJCはエジプトやイラクでの弾圧について、アメリカ国務省に早急な指示を求めるよう要請した。これらはイスラエル・ロビーの活動の萌芽と位置づけられる。本報告はこれらの事象をトランスナショナル・ヒストリーの視点から提示したのが特徴である。質疑では、アメリカと出身国またはイスラエルとの二重国籍が当時可能であったのか、といった質問が出され、イスラエルの諜報機関モサドと、アラブ諸国からのイスラエル移民を支援する組織(モサド・アリヤー・アリフ/ベート)の組織名称の違いなどの指摘が行われた。

鈴木氏の報告は、1985年にPLOとヨルダンのフサイン国王との間で締結された、ヨルダンとパレスチナの同盟関係をめぐるアンマーン合意の意義について、パレスチナの内政とその後の和平交渉との関係で考察したものだった。翌年には調停が停止され反故となったアンマーン合意は、その政治的重要性があまり注目されてこなかった。しかし同合意が破棄された経緯は、PLO内部の党派対立が終息し、第一次インティファーダで統一指導部が形成されるうえで重要な転機となった。また同合意で提示されたPLOとヨルダンの協力の枠組みは、後のマドリード和平会議へと結果的に引き継がれることとなった。本報告では文書集や自伝の記述をたどることで、より詳細にその過程を明らかにした。史料からは、1970年の「黒い九月」事件以後、早い段階からPLO主流派はヨルダンとの関係改善を試みていたこと、PNC外務委員のハーリド・ハサンは将来のパレスチナ国家について、西岸地区とガザ地区に限定されるだろうと考えていたことなどが指摘された。質疑では、同盟関係をイスラエルの唱えるヨルダン・オプションとの関係で捉えるべき、という指摘や、それに関する参考文献、1982年のベイルート撤退以後のPLO内での人の動きなどについて議論が交わされた。
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