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2015年度第5回パレスチナ研究班定例研究会報告
鈴木啓之(日本学術振興会・特別研究員PD)

 概要

  • 日時:2015年11月18日(水)午後5時〜午後7時
  • 会場:東京大学東洋文化研究所 第一会議室
  • 主催: 主催:NIHUプログラム・イスラーム地域研究東京大学拠点(TIAS)
  • 共催:日本エネルギー経済研究所・中東研究センター
  • 講演者:ヨースト・ヒルターマン(Joost Hiltermann)(ベルギー国際危機グループ(ICG)中東北アフリカ研究部長)"Israel and Palestine: Heading to a Third Intifada?"

 報告

 
ヨースト・ヒルターマン(Dr. Joost Hiltermann)氏の報告は、第一次インティファーダ(1987年に発生)、第二次インティファーダ(2000年に発生)との比較のもとで、2015年現在のヨルダン川西岸地区およびガザ地区で見られる蜂起の状況に分析を加える興味深いものであった。

まず、ヒルターマン氏は、第一次インティファーダに対して、発生の理由(causes)と直接の理由(proximate causes)に分類したうえで、前者が占領そのものであると指摘する。そのうえで、後者ではイツハク・ラビン国防相のもとで1985年に開始された鉄拳政策(iron fist policy)の影響、および入植地の拡大を挙げた。この第一次インティファーダでは、@偶発的に始まった点、A多くの人々が参加した点、B非暴力の蜂起であった点、C指導部が形成された点、の4点を特徴として挙げた。特に最後の点は、氏が偶然にも研究を続けていた労働組合と女性団体の関係者が深く関わっており、この点を初著のBehind the Intifadaにまとめている。氏の言葉を借りれば、抵抗のインフラ(infrastructure of resistance)が存在した点が、第一次インティファーダの展開では重要であった。

一方で、第二次インティファーダの直接の理由として、オスロ・プロセスの行き詰まり、キャンプ・デーヴィッド会談の決裂、アリエル・シャロンの神殿の丘訪問の3点を挙げた。そして、この蜂起に関しては、@偶発的ではなかった点(トップダウン型の組織活動があった点)、A暴力が使用された点が指摘された。この背景として、氏は自身が第一次インティファーダの背景として指摘した抵抗のインフラが、自治の開始とともにPLOによって支配の道具に変えられ、機能しなくなっていた点などを挙げた。

最後に、現状の西岸・ガザの蜂起状態について、その直接の理由として、パレスチナ政治におけるリーダーの時代の終焉(政治的真空化)、パレスチナ社会の状況悪化、ユダヤ暦の祝日とイスラームの祝日が重なり、エルサレム旧市街での衝突が頻発した点を挙げた。そのうえで、@いくつかの偶然に生じたグループが観察され、A暴力の使用を限定する動きがあることを指摘し、ソーシャル・メディアを利用した活動が見られる点にも言及がなされた。しかし、ヒルターマン氏は、現在の蜂起が継続するか否かについては2つの点で懐疑的であると述べる。つまり、指導部と抵抗のインフラの双方が存在しないため、今回の蜂起は長期化しないとの分析を述べた。そのうえで、イスラエルとパレスチナの両者の力関係があまりに不均衡であること、さらにイスラエルがパレスチナ人の指導者を逮捕や拘禁などで排除していること、そして両者をむすぶ「誠実な仲介者」が存在しないことから、将来の見通しは厳しく、数年以内にガザ地区に対する新たな戦争の可能性も否定できないと指摘した。

 質疑応答では、第一次インティファーダにおけるハマースの評価、直近のイスラエル選挙の影響、エジプトのクーデターの影響、入植者の暴力に対するイスラエルの対応などについて応答があり、非常に活発な議論が行われた。
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