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ハーレド・ファフミー教授研究講演
勝沼聡(東京大学大学院・特任研究員)

 概要

  • 日時:2014年2月6日(木)17:00-19:00
  • 会場: 東京大学東洋文化研究所3階第一会議室
  • 主催: NIHUプログラム・イスラーム地域研究・東大拠点、科研費・基盤(B)「「アラブの春」の社会史的研究―エジプト「1月25日革命」を中心に―」(代表:大稔哲也)
  • 講演者:ハーレド・ファフミー Dr. Khaled Fahmy(カイロ・アメリカン大学教授・歴史学科長)
  • 論題:"From Ghazzali to Lavoisier: The fate of hisba in Muslim societies”
  • 司会: 大稔哲也(東京大学大学院人文社会系研究科)

 報告

全ムスリムにとり宗教的義務であるヒスバは、嘗ては広く実践されていたにも関わらず、19世紀以降、西洋化した支配エリートにより放棄されてしまった―。ファフミー氏によれば、ヒスバ実践の盛衰に関するこのような言説は、昨今特に政治的イスラーム思想を奉じる人々により主張されており、またヒスバを「勧善懲悪」と定義する考え方は、公衆道徳への介入・干渉を正当化する論理としても用いられているという。著名なエジプト近代史家であると同時に、2011年の革命後のエジプト情勢に関する発言でも注目を集めるファフミー氏による本講演は、前近代におけるヒスバの実態や近代における衰退の経緯に関する実証的な再検討を行なうと同時に、政治的イスラーム思想にしばしば見られる、前近代のイスラーム実践に対するナイーヴな議論に対抗することも目的としている。

最初に氏は、エジプトを主な検討の対象とし、前近代におけるヒスバの定義や実態に関し論じた。コーランやハディース、あるいは当時の辞書、あるいは法学書に加え、時に先行研究などにも依拠しながら、ヒスバとは極めて多義的で、ゆらぎのある概念だと指摘したうえで、マーワルディーやガザーリーなど著名な法学者の議論においては公衆道徳の管理よりはむしろ市場取引における公正の維持、不正の監視(=市場監督)に重点が置かれていたと主張する。しかし、この意味でのヒスバの担い手であるムフタスィブ(市場監督官)は、実際にはそのような役割を果たしておらず、実態としてはむしろ強制力を伴った徴税官あるいは課税官としての役割を担っていたと指摘した。

以上のように、「勧善懲悪としてのヒスバは嘗て広く実践されていた」との主張に対し、理念と現実の乖離を指摘し反駁を加えた後、氏はヒスバ衰退の経緯の検証へと論を進める。19世紀以降、総督ムハンマド・アリー(オスマン的性格を強調するファフミー氏に倣うならばメフメット・アリ)の下、エジプトでは医学を初めとする西洋諸科学の導入が進められたが、その一部として導入された化学的分析による流通食品の検査が行なわれるようになった。これにより不審な食品を摘発し、その流通を防止することが可能となっていく。このように、まさに本来ムフタスィブに期待された役割を、化学的分析手法が担うようになったことが、名実共に「ヒスバ」が衰退する契機となったと氏は主張する。さらに、氏は当時行なわれた西洋諸科学の導入が、イスラームと西洋の学知を共に修めた現地の知識人により指導されたことや、アラビア語化の過程を経て行なわれたことなどを指摘し、「西洋化したエリートによるヒスバ実践の放棄」という主張にも反駁を加えた。
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