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国際ワークショップ「オスロ合意再考―パレスチナとイスラエルに与えた影響と代理案―」

 概要

  • 日時:2013年10月12日(土)13:00-18:00、10月13日(日)13:00-17:30
  • 会場:東京大学本郷キャンパス 東洋文化研究所 3階大会議室
  • 使用言語:英語(通訳は入りません)
  • 主催:NIHUプログラム・イスラーム地域研究東京大学拠点パレスチナ研究班
  • 共催:
    • 科学研究費補助金(基盤研究A)「アラブ革命と中東政治の構造変動に関する基礎研究」(研究代表者:長澤榮治)
    • 科学研究費補助金(基盤研究B)「戦前・戦時期日本における中東研究の現代的展開―「回教・猶太問題」からの視座」(研究代表者:臼杵陽)
    • 科学研究費補助金(若手A)「パレスチナ人の越境移動をめぐる意識と動態の総合的アプローチによる研究(研究代表者:錦田愛子)
  • 後援:日本国際ボランティアセンター

 趣旨

オスロ合意が結ばれてから20年が経つ。中東和平プロセスの枠組みを設定したこの合意がもたらされた背景では、PLOとイスラエル政府の間に歴史的な相互承認が成立し、交渉の相手方としてパレスチナ自治政府が成立した。こうした展開は、イスラエルとパレスチナの双方に和平達成への期待を抱かせ、国際社会からの支援や投資を呼び込んだ。しかし交渉は期待された通りの進展をみせず、当初から困難を抱えた。入植地の建設が続き、和平反対派による抗議運動が暴力的な形で展開されたことは、和平の進展を妨げた。また、パレスチナ自治政府の成立は、逆にその管轄範囲を限定することとなり、難民の帰還権などいくつかの重要な問題を棚上げにさせた。2000年に始まった第二次インティファーダ(アル=アクサー・インティファーダ)は、こうして行き詰っていたオスロ・プロセスに終止符を打った。

しかしその後も、交渉はまったく停まっていたわけではない。最終的な解決に向けては、代替案を含めて、これまでさまざまな場で検討が続いてきた。一国家となるべきか、二国家にすべきか、といった基本的な問題もまた、詳細にわたる具体的な議論がみられた。パレスチナとイスラエルの両者間での政治的対話を促す上では、公式または非公式な形で、国際的なはたらきかけが繰り返されてきた。このワークショップでは、オスロ合意とその後の展開について、イスラエル、パレスチナ双方の立場から検討を加える。ほかにどのような可能性があったのか、和平交渉の頓挫から学ばれた教訓など、将来を見据えた視点から再考していきたい。

 趣旨

【プログラム】

《第一日目:10月12日(土)》(12:45 開場)13:00-18:00

司会:長沢栄治(東京大学東洋文化研究所教授)

13:00
  • 趣旨説明・講演者紹介 錦田愛子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教) 〈10分〉
13:10
  • 講演「オスロ合意から20年―成功か失敗か?当事者からの視点」ロン・プンダク(元ペレス平和センター事務局長)〈講演40分、質疑15分〉
14:05
  • 講演「オスロ和平プロセスとパレスチナ民族闘争の再定義」ライラ・ファルサハ(マサチューセッツ大学准教授)〈講演40分、質疑15分〉
15:00
  • 休憩〈15分〉
15:15
  • 講演「オスロ和平プロセスと非対称紛争における暴力の問題」立山良司(日本エネルギー経済研究所客員研究員、元防衛大学校教授)〈講演40分、質疑15分〉
16:10
  • 総合討論〈40分〉
18:00
  • 終了(二日目の連絡)
《第二日目:10月13日(日)》(12:45 開場)13:00-17:30

司会:長沢栄治(東京大学東洋文化研究所教授)

13:00
  • 趣旨説明・講演者紹介 錦田愛子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教)〈10分〉
13:10
  • 講演「オスロの失敗後―帰還への闘いは続く」サルマーン・アブー=シッタ(パレスチナ土地協会代表)〈講演40分、質疑15分〉
14:05
  • 講演「パレスチナ難民キャンプの現実を通して見るオスロ合意」藤田進(元東京外国語大学教授)〈講演40分、質疑15分〉
15:00
  • 休憩〈15分〉
15:15
  • 総合コメント 臼杵陽(日本女子大学教授)〈講演30分〉
15:45
  • 総合討論〈40分〉
17:25
  • 終了挨拶 長沢栄治(東京大学東洋文化研究所教授)

 報告

講演「オスロ合意から20年―成功か失敗か?当事者からの視点」ロン・プンダク(Ron Pundak “20 years to the Oslo agreement-success or failure? An insider look”)報告

一つ目の講演は、オスロ合意において実際にイスラエル側の交渉担当者であったロン・プンダク氏によるものである。プンダク氏の講演全体を貫く根本的な主張は、オスロ合意の原則はパレスチナ・イスラエルの和平にとって、今日でも重要な役割を果たしうるということであった。加えて、オスロ合意を雛形とした二国家解決案もまだ十分に可能であるという立ち位置を明確に表していた。

このような主張を唱えるプンダク氏は、まずオスロ合意以前の紛争の状況について言及し、パレスチナ、イスラエル双方が歴史的パレスチナ全土を領土とした自らの国民国家を形成するというナラティブを持っていた時代と表現した。そして歴史的パレスチナ全土を手に入れようとする二つのナラティブの対立から、それを二つに分けるという発想を明確化した段階として、オスロ合意を位置付けている。

そして次にプンダク氏は、オスロ合意以降のいわゆる「オスロ・プロセス」について言及した。プンダク氏は、オスロ・プロセスの失敗の主因として、和平を実行する役割を担ったイスラエル政府が合意内容の履行を遅々として進めなかったことを挙げ、実際にオスロ合意締結以降のイスラエルの首相がオスロ・プロセスにどのような形で関与していったのかについて言及した。なかでも2006年から2009年まで首相を務めたエフード・オルメルトを、和平への情熱、その実行能力の両面から高く評価しており、和平の実現に最も近づいた時点であったという興味深い指摘を行った。

このような形でプンダク氏は、オスロ合意そのものをある程度肯定的に捉え、その履行の段階において障害が生じたことが、オスロ・プロセスの失敗であったと明確に主張した。その上で、二国家解決案を急がなければ紛争を終結させることは出来ないとして、危機感も述べていた。発表後はフロアからの質問に答える中で、自身の兄弟が1973年の第四次中東戦争において亡くなったことに言及し、二つの国家と互いの信頼関係に基づいた和平の実現のために現状を変革することが重要であり、憎しみの過去を乗り越える必要が有ることを述べ、講演を締めくくった。

文責:山本健介(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

講演「オスロ和平プロセスとパレスチナ民族闘争の再定義」ライラ・ファルサハ(Leila Farsakh “The Oslo Peace Process: Revolution Without Liberation”)報告

二つ目の講演はマサチューセッツ大学・ボストン校の准教授であるライラ・ファルサハ氏によるものである。ファルサハ氏は、オスロ合意について、特にヨルダン川西岸地区の情勢やパレスチナの祖国解放運動の文脈から講演を行った。

ファルサハ氏は、これまでナショナルな単位としての「パレスチナ人」を承認してこなかったイスラエル政府が、PLOを正統な代表として承認したという点でオスロ合意は、1948年の第一次、1967年の第三次中東戦争に並ぶ大きな歴史的意義を有していると述べた。しかし、他方でオスロ合意はイスラエルによるパレスチナ人への占領政策を制度化(Institutionalize)するものであったとして強く批判した。特にオスロ合意以降、文字通り倍増した入植地をはじめ、分離壁、入植者へのバイパス道路、検問所などによって、パレスチナ自治区の領土的な分断が進行している現状を指摘した。

そしてファルサハ氏の講演は、パレスチナの祖国解放運動の現状やパレスチナ/イスラエル紛争の解決へと展開していく。まずパレスチナの祖国解放運動については、パレスチナ自治区の外に住むパレスチナ難民の間でPLOの意思決定機関であるPNCの力を強化することを望む声があることに言及した。その上で祖国解放によってパレスチナ人が何を得ようとしているのかという点については、独立国家の設立よりも尊厳(dignity)の回復であると指摘した。

そしてこのような祖国解放運動の現状から、パレスチナ/イスラエル紛争の解決については、先に述べたイスラエルの占領政策の結果として一国家の現実(One-state reality)が存在しているとし、一国家解決案の実現に一定の可能性があることを述べた。そしてこの一国家解決案を妨げる障害としてイスラエル国家の存続を譲らないシオニストと、一民族一国家の原則に固執し、二国家解決を和平の雛形とし続けている国際社会の存在に言及した。

このようにファルサハ氏の報告では、パレスチナ祖国解放運動からパレスチナ/イスラエル紛争の現状を考察するという形を取っていた。イスラエルによる占領政策が現状としての一国家を形成しているという指摘は、現在アカデミアの分野で特に注目が高まっている一国家解決案の議論の前提として重要な指摘であろう。発表後はフロアからPNCを強化するための実際の手段やパレスチナ人の祖国解放運動への期待感などについて質問が集まり、前発表者であるプンダク氏からイスラエル政府の占領政策への立場等についての指摘もなされ、議論は盛り上がりを見せた。

文責:山本健介(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

講演「オスロ和平プロセスと非対称紛争における暴力の問題」立山良司報告

 立山良司氏は、オスロ合意後に暴力のレベルが激化した事実に言及した上で、その背景を4つの観点から議論した。それらは、第1にオスロ合意に埋め込まれた構造上の非対称性とパレスチナの治安部門の機能不全、第2にイスラエルの安全保障ドクトリンと政軍関係、第3にユダヤ人入植者による暴力、第4に米国主導のパレスチナ治安部門改革の消極的影響である。そして、こうしたオスロ和平プロセスにおける問題から学びうる点として立山氏は、第1に強固な保障を伴う和平プロセスの明確な目標の設定、第2に頑健な国際社会のプレゼンス、第3に包摂的な和平プロセス、これらの重要性を指摘した。質疑応答では、特にロード・マップ和平案は目標を明確に設定したにもかかわらず和平に結び付かなかったのではないかとの問いが寄せられ、立山氏からは、この3点は和平プロセスを実効的なものとする十分条件ではなく、また、この3点をどのように実施するかが重要であるとの返答が行われた。和平プロセスにおける暴力の問題を、各要因の相互作用に着目しながら多角的に分析した本報告は、オスロ合意から20年を機にこれまでの交渉の教訓や今後について考える本シンポジウムにとって非常に貴重な報告であった。

文責:清水雅子(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科・地域研究専攻・博士後期課程)

1日目(10月12日)の全体討論の報告

シンポジウム1日目の全体討論では、報告者に対して多岐にわたる内容の質問が寄せられた。まず、ロン・プンダク氏への質問として、和平プロセスにとってオルメルト・イスラエル政権時が相対的に良好だったと言う場合にそれを成立させた条件は何か、カーター米政権が他の米政権より中立的だったと言う場合にそれを成立させた条件は何か、二国家解決のイメージはエリートのレベルの議論ではないか、西岸の壁はイスラエル側でテロ対策と言われることもあるがその考えでは理解できない側面があるのではないか、などの質問が寄せられた。ライラ・ファルサハ氏に対しては、パレスチナ人内部の水平的・垂直的な分裂が大きくなる中でイスラエルとの交渉を続けることはいかにして可能か、などの質問が投げかけられた。また、立山良司氏に対しては、パレスチナとイスラエルの国際法上の地位の違いや占領の問題はどのように論じられうるのか、などの質問が寄せられた。全体として、フロアからの質問はオスロ和平プロセスにおける問題の多様な側面を捉えており、また報告者同士での補足や反論も行われ、オスロ合意から20年を機に和平プロセスのこれまでの経緯や今後を考える本シンポジウムにとって非常に意義深い討論となった。

文責:清水雅子(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科・地域研究専攻・博士後期課程)

講演「オスロの失敗後―帰還への闘いは続く」サルマーン・アブー=シッタ(パレスチナ土地協会代表)報告

アブー=シッタ氏の講演は、まず前半で、難民一世としての自身の経験およびこれまでの調査研究で集積してきたデータにもとづき、パレスチナ人にとってナクバのもつ意味が語られた。とりわけ、虐殺をともなった周到な追放作戦によって、イスラエル建国前にすでに多くのパレスチナ人が難民とされていたことが強調された。後半では、難民の帰還が物理的に実現可能であることが、現在のイスラエルの土地利用状況にもとづき、説明された。パレスチナ難民の故郷の村の土地の多くが、軍用地とされている以外には、現在もほとんど利用されていないため、パレスチナ難民の多くが帰還したとしても、イスラエルに暮らすユダヤ系住民の生活に大きな影響を与えずに済むという結論が示された。100〜150万世帯の難民の帰還を実現するための住宅建設に要する年数を試算したところ、6〜7年で完了できることが分かったとも言う。もちろん、こうした計算の前提には、政治的条件が許せば、という高いハードルがあることは言うまでもない。しかし、破壊された村の家一軒一軒の所有者を、難民コミュニティのネットワークを頼りに特定していくという膨大な作業データの蓄積が、アブー=シッタ氏の言葉に強い説得力を持たせていることは否定できないように感じた。

続いて藤田氏は、パレスチナ難民の記憶の中に生きる「共存の歴史」に焦点を当てた講演をされた。ガザのジャバリア難民キャンプに暮らす画家ファトヒ・ガビンによる1983年の作品「Legacy」(http://www.palestineposterproject.org/poster/heritage)に示された牧歌的なイードの様子に、1948年以前の伝統的な生活とその継承を見るだけでなく、ジャバリア・キャンプの住民の多くがヤーファー出身であることから、イスラエル建国直前まで、両民族の「共生」が持続していたヤーファーのマンシーヤ地区における「平和」の記憶を読み取ろうとする解釈は、とりわけ印象深いものであった。この解釈は、パレスチナ難民の帰還要求を、「民族的要求」としてだけではなく、イスラエルのユダヤ人との共生を求めるパレスチナ人の未来へのヴィジョンとして捉えるものとして重要であるように感じた。藤田氏は、ガビンの絵と共に、破壊されたガザの難民キャンプの写真を示し、共生の可能性がオスロ合意以降、ますます難しくなっていることを示唆しつつも、イスラエルやアメリカのユダヤ人活動家が、被占領地を訪ね、パレスチナ人とともに、占領に抗議する行動に参加していることにも触れることで、新しい世代による「ポスト・オスロ」の可能性にも触れられた。

文責:役重善洋(京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程)

臼杵氏によるコメント、および総論の報告

<臼杵氏によるコメント>

結論から先に述べると、オスロ合意は失敗であった。ノーベル平和賞を受賞するほど世界的に注目を浴び、一時的に人びとに希望をもたらしたものの、当初から現実にそぐわない一方的な内容に終始し、内部からの批判の声も多く挙がっていた。失敗に終わった最大の原因は、恒久的な平和構築のためにイスラエルが努力を払わず、双方向の対話が成り立たなかったことであろう。

合意締結から20年を経た今、和平の前提とされた二国家解決案についても再考の必要がある。本ワークショップはパレスチナとイスラエル双方の生の声を聞くよい機会であり、一部の研究者の間で提言されている一国家解決案の可能性についても、模索すべてきであろう。

<総論>

オスロ合意自体、和平交渉としては失敗であったことはあきらかであるが、対話のきっかけを作ったという点は評価できる。また、忘れてはならないのは、オスロ合意が失敗したとはいえ、そこからはじまった和平交渉はまだ続いているのだという事実である。ただし、和平交渉を今後も続けてゆくためには、いまだにパレスチナ自治区をイスラエルが実質上占領し、植民地主義的支配が再生産されてゆくという悪循環をいかにして変えてゆくのか、国際法に照らして考える必要がある。入植地問題の解決や、現在権力が二分されてしまっている自治政府の統合など、今後パレスチナ・イスラエル双方に課せられた課題は多い。入植地問題を解決するには、西岸のみならずエルサレムの帰属を明確にする必要がある。イスラエル政局におけるリーダーシップの欠如も、和平交渉の大きな妨げとなっている。また、政教分離のありかたや、難民帰還権の是非、民主国家の定義も再考すべきであろう。そしてなによりも重要なのは、同じ人間同士として、平和に共存するためのシステムづくりを、ともにおこなわなければならないということである。日本人は公平な第三者として、その手助けをいかにしてゆくか、引き続き考えてゆかねばならない。

文責:菅瀬晶子(国立民族学博物館助教)

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