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2011年度第3回(通算第14回)パレスチナ研究班定例研究会報告 
清水雅子(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科・地域研究専攻・博士後期課程)

 概要

  • 主催:NIHUプログラム・イスラーム地域研究 東京大学拠点(TIAS)
  • 共催:京都大学地域研究統合情報センター(CIAS)地域研究における情報資源の共有化とネットワーク形成による異分野融合型方法論の構築研究会(2011年度第3回)
  • 日時:7月18日(月)12時〜17時
  • 会場:東京大学本郷キャンパス東洋文化研究所 3階大会議室

 報告

報告1:今野泰三(大阪市立大学院博士後期課程)「イスラエルの入植『政策』とマルチ・スケールの地政学:レヴィ・エシュコル政権(1965〜1969年)を中心に」

報告者の今野氏は、第三次中東戦争終結時からレヴィ・エシュコル首相の死去までの期間に焦点を当て、占領地でのユダヤ人入植地の建設が一貫したイデオロギーや政策のもとに進んだものではなく、多様な社会的・政治的・地理的なアイデンティティや利益をもった様々なアクターが矛盾した様相で対立や協力をしながら関与するプロセスであったことを示すことを報告の目的とした。入植地建設に関する先行研究は、「一貫論(構造論)」「転換論」「偶発論」などの潮流に分けられるが、いずれも不十分であるとし、多様なアクターが関与する矛盾や対立を内包したプロセスとして分析する必要性を提議した。まず、「植民」と「植民地主義」の定義と類型を提示した上で、入植の政治過程を、第3次中東戦争の原因と開戦の意図、1967年6月19日の内閣決定、東エルサレムの併合と「グッシュ・エツィヨン」への「植民」、シリア高原への「植民」、青写真としての併合計画の乱立・競合、イスラエルが置かれていた国際環境と植民の公式化と題して分析をおこなった。結びとして、イスラエルの入植「政策」は、政策として呼ぶにはお粗末なものであり、それぞれの時期の政治社会環境を反映して「植民地主義の中の植民」と同時に進められた「植民による植民地主義」が占領のシステムとなり、「決定しない決定」の中で進んだ植民と植民地主義の土台は第3次中東戦争直後から得修コル首相死去までの2年間に形作られたと論じた。

フロアからは、植民と植民地主義に関する類型が妥当であるかどうか、特に近代と前近代を区別することなく概念化された類型によって分析は可能であるか否か、先行研究の3分類はいずれもイデオロギーをべースにした議論であり、イデオロギーがベースになっている限り3つ以外の結論は導けないのではないか、といった質問や問題定義がなされた。

映像上映:菅瀬晶子(国立民族学博物館助教)
「食べさせること、生きること:イスラエルに生きる、あるアラブ人キリスト教徒女性の半生」

報告者の菅瀬氏は、「イスラエルで生きているアラブ人の生の生活を映像で描写する試み」として、ハイファーに住むファッスータ出身の女性ウンム・アーザル(68歳)に焦点を当てた映像を上映した。ウンム・アーザルは、生活のために修道士のまかないをする母親であり、アイデンティティは出身の村にあるが都市で働く女性として描かれている。イスラエルで生きるアラブ人の歴史を反映して数々の仕事と移動を経験し、今の仕事に就いた彼女は、あまり働かない夫にかわって賢明に働き、子供たちを立派に育ててきた。報告者は、映像について、アラブ人の生活ということはわかるものの、「イスラエルに住む」という点が映像からはわからないと振り返った。フロアからは、イスラエルの中にいることを強調する必要はむしろ無いのではないか、強調することで苦しい生活をしていると強調してもあまり意味はないため今の映像でよいのではないか、色々な仕事に就く機会を持つことができた彼女の例は特異な例なのではないか、何か背景があるのではないか、といった質問や問題提議がなされた。

報告2:藤屋リカ(慶應義塾大学看護医療学部専任講師)
「パレスチナ・ヨルダン川西岸地区において、紛争、経済的要因が出産場所に及ぼした影響」

報告者の藤屋氏は、占領地における健康と人間の安全保障をとりまく状況を概観した上で、出産場所に経済的要因と紛争の要因のそれぞれが与えた影響を明らかにすることを目的とするとした。分析を行う上での従属変数は出産場所であり、政府系の病院、非政府系の病院、民間診療所、産院、家がその選択の可能性として挙げられた。独立変数は、社会人口学的要因、健康保険の有無、出産の年、出産場所の選択の理由とした。またベツレヘムの聖家族病院を例に観察を行ったとした。データの分析から得られた洞察は、西岸における出産場所には、経済的要因と紛争の両方が影響を及ぼしたということであった。家での出産の数は自由な移動の制限から、そして政府系の病院での出産の数は新たに導入された健康保険の制度から説明しうるとし、紛争による直接の影響として、家での出産が増加したとした。経済的要因の影響として、経済状況が悪化した時には、非政府系の病院での出産が減少したこと、新たな健康保険の導入後は政府系の病院での出産が増加したことを指摘した。ここから、自由な移動の制限が出産場所への唯一の理由であったかと言えばそうではなく、2001年には政府系病院での出産が増えたことを示した。最後に結論と提言として、報告者は、新健康保険の制度のような経済支援プログラムは移動の制限による女性の健康への消極的効果を相殺することができるという点、国際社会は国際法を尊重して人間の安全保障への脅威を取り除くために努力すべきという点について述べた。
 フロアからは、私立病院の料金は一般化できるのか否か、助産婦などの伝統的な仕組みについてはどうなっているのか、病院関連の充実を求める声はどれほどあるのか、データの解釈について自宅出産の2割減というのは大きな違いではないか、自治政府結成以前からの政治組織系の病院が自治政府結成以後にどのように変化したかについて説明が必要ではないか、西岸の特殊性をどう捉えるか、といった質問や問題提議がなされた。

この日行われたいずれの報告においても、詳細に準備されたペーパーや映像に基づいた各報告とフロアからの参加によって、非常に活発な議論が行われ、極めて意義深い研究会となった。
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