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第23回中央ユーラシア研究会報告 
「サドリッディーン・アイニー著『ブハラ革命史』の写本について:その概要と校訂出版に向けて」
島田志津夫(東京外国語大学非常勤講師)

 概要

  • 会場:東京大学本郷キャンパス法文1号館2階217番教室
  • 日時:2010年6月5日(土)15:00〜17:00
  • 報告者:島田志津夫(東京外国語大学非常勤講師)
  • 題目:「サドリッディーン・アイニー著『ブハラ革命史』の写本について:その概要と校訂出版に向けて」

 報告

サドリッディーン・アイニーの『ブハラ革命史』(1921)は、ファイズッラ・ホジャエフの『ブハラ革命史によせて』(1926)とともに、1920年のブハラ革命に至る20世紀初頭ブハラにおける改革運動の歴史を知るための基本史料である。この作品には何種類かの刊本が存在するが、これまでの研究では刊本間の異同についてほとんど議論されることなく利用されてきた。報告者は、ウズベキスタン共和国科学アカデミー東洋学研究所に所蔵される本作品の写本の校訂出版を計画中であり、今回は本作品の執筆の経緯および写本と刊本間の異同について報告を行った。

アイニー(1878-1954)は、ソ連時代のタジキスタン成立(1924)以降、文学作品や詩、文学研究の執筆活動を通して「タジク・ソヴィエト文学の父」として名声を得たが、ジャディード運動に参加した自身の体験にもとづいて著された本作品は、彼の著作の中でも異色の重要性を持つ。

これまでの研究からは、本作品は革命後の新生ブハラ共和国政府の依頼により執筆されたことが明らかになっているが、本報告ではアイニー自身の記述から彼が本作品に先立ち、『ブハラ思想革命史』(1918)をタジク語で著していたことを確認した。また、写本テキストと『ブハラ思想革命史』の比較検討により、ウズベク語で著された本作品は、先行するタジク語作品の単なる翻訳ではなく、大幅に増補し、一部記述の削除がなされた別の著作であることが明らかとなった。

本作品は、完成後にブハラ政府出版局に手渡されたが、そこでは出版されず、結局1926年にモスクワで出版された。ただし、写本テキストとの照合の結果、このモスクワ版には原文の大幅な削除やテキストの移動が見られ、不完全な版であることが判明した。削除箇所は原文の至る所に見られ、その総量は全体の25%にも及ぶ。このような大幅な削除の理由は、当時の時代背景によりソヴィエト政権下で出版するにふさわしくない記述を削除したことにあると思われる。

1960年代には、アイニーのウズベク語著作集の一部として、モスクワ版を底本としてタシュケントで再版された。しかし、このタシュケント版では、ジャディード運動にかんする記述などがさらに削除されている。

1987年には、タシュケントに所蔵される写本の写真版をもとに、アイニーの弟子であるラヒーム・ハーシムによりタジク語訳がドゥシャンベで出版された。一部テキストの欠落があり、また時代の要請により宗教的な内容の一部の表現が削除されているが、訳文は原文を一字一句ほぼ正確に翻訳したものである。

以上のことから、翻訳とはいえ、これまでの刊本の中ではタジク語訳が原文をもっとも忠実に反映していることが明らかになった。しかし、それでも欠点が残るものであり、写本にもとづく完全な校訂テキストの出版の必要性が確認された。

なお、報告者とウズベキスタンの研究者シャリーファ・タシェヴァ氏との共同研究により、本写本の校訂テキストは東京大学拠点「中央ユーラシアのイスラームと政治」研究グループの刊行物Central Eurasian Research Seriesの1冊として出版される予定である。
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