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第19回中央ユーラシア研究会報告
濱本真実(人間文化研究機構・研究員)

 概要

  • 開催日時:2010年2月13日(土)13:30〜17:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス法文1号館2階217教室
  • 報告者:久保裕之(慶応大学職員)
  • 報告題目:17世紀東トルキスタンにおけるハーキムの任免とクルグズの動向について:アブド・アッラー・ハーンの治世を中心に

 報告

17世紀の東トルキスタン史は、史料が非常に限られているという点で、研究が難しい分野である。今回の久保氏による報告は、その限られた史料を最大限に利用して、ヤルカンド・ハーン国のアブド・アッラー・ハーンの権力基盤の確立過程を、ハーキムの任免とそれに絡むクルグズの動向に注目しながら分析する意欲的なものだった。

氏の報告ではまず、1638/39年のヤルカンド政権発足当初にハーンによって任命された各都市のハーキム(代官)の分析から、このハーキムの任命が、政権設立に功績のあったアミール(将軍)たちへの論功行賞的な意味合いをもってなされたことが明らかにされた。その後、このハーンの治世のハーキム任命の人事やアミールたちの動向をたどることにより、1650年代半ばまでの時期にアブド・アッラー・ハーンが、父の代からの有力アミールや親族を政権から遠ざけ、自らの政権を脅かす可能性のある者を排除していった事実を浮かびあがらせた。

次に、17世紀前半から半ばにかけてのクルグズとヤルカンド・ハーン国との関係の考察が行われた。クルグズは1632/33年に初めてハーン家の内紛に介入したと考えられるが、その後も基本的にはハーン家と敵対的な関係にあった。ただ、クルグズのいくつかの部族集団は、1641/42年から1645/46年の間にハーンの軍隊に加わるようになる。その後、1650年代半ばに上記のように有力者の排除が終了し、アブド・アッラー・ハーンの権力が確立すると、これらのクルグズはアブド・アッラー・ハーンによって粛清されてしまう。久保氏は、このようなハーンとクルグズの関係の推移から、ハーンによるクルグズ登用は、政権基盤を確立するための布石の一つだったのではないか、と結論づけた。

氏の報告は、これまで十分に明らかにされたとは言い難い東トルキスタン史を、これもまた未だに不明な点の多い、クルグズの17世紀の活動との関わりのなかで考察したという点で高く評価できる。ただ、質疑応答での指摘にもあったように、この時期のクルグズの動向は、クルグズ全体としてとらえるのではなく、部族集団ごとにきめ細かく見ていく必要があるだろう。また、この報告では、アブド・アッラー・ハーンが、アミールやクルグズの粛清という過激な政策を採用するようになった直接のきっかけが不明のままだった。史料的な制約が大きいとは思うが、もしもこのあたりの経緯が判明すれば、アブド・アッラー・ハーンの治世の理解がいっそう進むと思われた。

濱本真実

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