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イスラム国家論研究会6月例会報告
塩谷哲史(東京大学大学院博士課程・日本学術振興会特別研究員)

 概要

  • 主催:イスラム国家論研究会
  • 共催:NIHUプログラム・イスラーム地域研究東京大学拠点
  • 日時:2009年6月20日(土) 14時00分〜
  • 会場:東京大学(本郷キャンパス)法文1号館 317 教室
  • 報告者:秋山徹(北海道大学大学院博士後期課程)
  • 報告題目:クルグズ部族首領称号「マナプ」に関する一考察―19世紀前半中央アジアの政治動態のなかでの位置づけ―
  • コメンテーター: 野田 仁(早稲田大学イスラーム地域研究機構・研究助手)

 報告

イスラム国家論研究会6月例会は、NIHUプログラム・イスラーム地域研究東京大学拠点との共催により、19世紀のクルグズ史を専攻する秋山徹氏を報告者に迎えた。

本報告は、18世紀から19世紀末にかけての時期を対象とし、クルグズの部族の指導者の称号である「マナプ」の生成と変容の過程を明らかにしたものである。マナプとは17世紀クルグズのサルバグシュ族の指導者の名、マナプに由来する。本報告は、マナプがクルグズ社会に内在的に存在し、確固として定着してきたとするこれまでの研究を批判し、クルグズとロシア、およびカザフとの関係の中で生成・変容していく過程を、段階を追って論証していった。

史料としては、クルグズスタン、カザフスタン、ウズベキスタンに所蔵されている帝政ロシアの文書史料に加え、クルグズ自身の歴史叙述およびソ連時代の民族誌学研究の成果が利用されている。

まず、「1.非タガイ裔部族の「吸収」過程としてのマナプ層の権力確立」では、18世紀中葉ジュンガル政権崩壊に始まるクルグズ社会の再編過程において、サルバグシュ族を含むタガイ裔諸部族出身のマナプたちが、非タガイ裔の中小部族を傘下に収めていく中で、非タガイ裔の首領の称号であるビーとの差別化を志向し、マナプの称号を登場させていったことが示された。

「2.ロシア―カザフ―クルグズ三者関係のなかのマナプ」では、ロシアがカザフ社会には存在したチンギス裔たるスルタンの欠如を、クルグズの社会構造の特質と見なし、クルグズ自身もそれを自覚していたこと、その自覚がマナプの成立を促した可能性について論じられた。このことは、チンギス裔であったカザフのケネサルによる反乱終結後の1847年に、カザフの中ジュズ、大ジュズ、クルグズの間で締結された和議誓約文からもうかがえる。マナプの称号は、その獲得に際して強力な「専制君主」として首領個人の資質が必要とされ、そこにはカザフへの対抗意識が鮮明に表れていたのである。

「3.世襲貴族化するマナプ」では、帝政ロシアの支配のもとで、マナプの称号がクルグズ社会に普及・定着するとともに、個人的資質によるものから世襲のものとなっていくプロセスが述べられる。こうしてマナプは、帝政ロシアの支配のもとで、クルグズ社会における世襲貴族としての地位を確立していったともいえる。

コメンテーターには、18世紀から19世紀のカザフ史および露清関係史を専攻する野田仁氏(早稲田大学イスラーム地域研究機構・研究助手)を迎えた。クルグズとカザフをそれぞれ個別の対象としてとらえてきた先行研究に対し、秋山氏の「クルグズに関する情報は、カザフと比較・差異化されるかたちでロシア側によって認識・記述され」、クルグズ自身もカザフとの比較・差異化を自覚していったという指摘が、非常にオリジナリティの高い見方であるとの評価がなされた。一方で、クルグズ遊牧社会の内部構造、各部族の人口、遊牧の範囲などの情報の提示が必要であること、また清朝、コーカンドとクルグズとの関係、タガイ裔による統合の言説のフィクション性、ソ連の民族誌学がもつ問題点、なども考慮に入れるべきことがコメントとして述べられた。またフロアからは、ビーとマナプの実質的差異、クルグズにおける法概念のあり方、ソ連期におけるマナプの消滅の過程、コーカンド・ハン国史料の利用可能性、1820年代末から1830年代におけるクルグズとカザフの接触の実相などについて意見が出された。

本会は30人以上の出席者を迎え、活発な討論がなされた。帝政ロシアの支配が中央アジア社会に与えた影響については、近年様々な角度から検討がなされている。ただし遊牧民社会に与えた影響に関しては、史料的制約も多く、研究が進捗しているとは言いがたい。本報告は多様な史料群と複眼的視点からの鋭い切り口で、当該問題にせまる貴重な研究であるといえる。
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