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第15回中央ユーラシア研究会報告
吉村貴之(東京外大アジア・アフリカ言語文化研究所・研究員)

 概要

  • 日時:2009年5月23日(土) 13:30-17:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス法文1号館3階、317教室
  • 報告者:竹村寧乃(北海道大学大学院)
  • タイトル:「ザカフカス連邦史研究序説―ソ連初期南コーカサスの連邦制と民族問題―」

 報告

第15回中央ユーラシア研究会ポスター
今回の研究会では、北大の竹村寧乃さんが、『ザカフカス連邦史研究序説』と題して、ソ連邦成立期の南カフカス三国(グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン)の連邦化の問題を軸に、連邦制と民族の関係について発表した。特に、1922年から36年までソ同盟(=連邦)を構成する単位として存続したザカフカス連邦の形成過程を解説したうえで、連邦の構造と機能、さらに連邦内と主要三民族共和国との関係を憲法などから読み解いた。

従来、この問題は、ザカフカス連邦の形成時にソ同盟の結成のあり方(ロシアと他の民族の諸共和国が対等合併するのか、諸共和国はロシア内の自治共和国となるのか)をめぐってレーニンとスターリンが繰り広げた論争(「グルジア問題」)との関連ばかりに焦点が当てられ、一体ザカフカス連邦と主要三民族共和国との関係がどのようになっていたのかといった連邦内部の問題は、諸外国の研究も含めてなおざりにされてきた嫌いがある。

今回の発表は、主に中央・地方関係と民族間関係が折り重なるソ同盟/ザカフカス連邦/民族共和国の三層構造を、共産党の組織再編や連邦や各共和国での人民委員部の構成の変化を通して描いた点に特徴がある。具体的には、連邦の形成についてグルジア共産党が強硬に反対したため、ソ同盟結成時にはあくまでも同盟の構成単位として位置付けられ、1925年のザカフカス憲法で、ザカフカス連邦は辛うじて経済分野で存在意義を発揮したが、交通・貿易・通信(実質的には外交と軍事も)は同盟に、治安や教育、社会保障は各共和国に権限が握られ、連邦の空洞化が早くも始まっていたことが示された。

報告者も、制度面での発表者の解釈には同意するが、ザカフカス連邦の形成や解体を引き起こした原理としては、単に同盟中央の政策だけでなく、共産党を含めた主要三民族相互の関係を考慮に入れなければ説明がつかないだろう。ソヴィエト体制が確立する過程で各民族の分化が明確化していった中央アジア諸国とは対照的に、ソヴィエト体制の確立前夜に民族の分化がほぼ完成していた南カフカスでは、各民族の利害対立が、本来民族共和を掲げる共産党内での連邦形成のあり方をめぐる議論にも影を落としているからである。

発表者は間もなくグルジアに留学し、これまで十分に活用されてこなかったトビリシの文書館史料を調査したうえで、モスクワで収集した史料だけでは詳細に描けなかったザカフカス連邦の構造の変化とその消滅過程を分析していく予定だという。従来の研究でも、史料公開上の制約からザカフカス連邦の形成は共産党内部に一大政治論争を巻き起こし、1929年からの農業集団化に付随して一時はザカフカス連邦の機能強化が図られたのにもかかわらず、1936年には突如として連邦が解消してしまう理由は依然として謎のままである。博士論文では、この問題に関しても新たな解釈を打ち出されるよう大いに期待したい。

また、カフカス地方は中央ユーラシアの西方に位置し、ロシア内地やトルコ、イランと直に接しているために、今回の研究会にはロシア史やトルコ史の研究者も参加し、ソ連邦中央の政策やトルコとの関係など多様な角度から活発な議論が交わされた。日本では永らく不毛とされてきたこの地域への知的関心の広がりを見せているだけでなく、発表者の研究テーマそのものの発展性をも示す証左ともいえよう。
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