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国際ワークショップ「十字路に立つヴォルガ・ウラル地域:帝国、イスラーム、民族」
桜間瑛(北海道大学文学研究科・博士後期課程)

 概要

  • 日時:2008年9月19日(金)-20日(土)
  • 場所:カザン大学ロバチェフスキー図書館会議室
  • 主催:人間文化研究機構イスラーム地域研究東京大学拠点
  • 共催:北海道大学スラブ研究センター・カザン国立大学
  • 後援:独立行政法人国際交流基金
  • (英語・ロシア語版、及び各報告の要旨はhttp://src-h.slav.hokudai.ac.jp/eng/20080919/20080919-e.htmlを参照されたい)

 報告

2008年9月19〜20日、国際ワークショップ「十字路に立つヴォルガ・ウラル地域:帝国、イスラーム、民族」が、ロシア連邦タタルスタン共和国カザン市のカザン国立大学において開催された。このシンポジウムは、人間文化研究機構(NIHU)プログラムイスラーム地域研究東京大学拠点が主催し、カザン国立大学と北海道大学スラブ研究センターが共催、独立行政法人国際交流基金が後援する、という形で行われた。カザン現地、日本の研究者のほか、モスクワ、フランス、ドイツなどの研究者も参加し、国際シンポジウムの名に恥じない顔ぶれがそろった。

Mirkasym USMANOV氏(Kazan State University)が開会の辞を述べ、5つのセッション、13の報告が行われた(所用のため、2名の報告者が欠席)。以下、各報告の内容と各セッションにおける討論の様子を簡単に紹介したい。

セッション1

セッション1は、「帝国、地方、地域間関係の中のヴォルガ・ウラル地域」と銘打たれ、この地域の、様々なコンテクストにおける位置づけが議論された。

Charles STEINWEDEL氏(Northeastern Illinois University)「ロシア帝国におけるバシキリアの位置:ローカルな特殊性、地域間比較、全帝国的な実務」は、ウファを中心とするバシキリアと、カザンを中心とする沿ヴォルガ地域について、その統治の違いと、帝国全体における両地域の位置づけについて論じ、この地域のもつ多民族性、宗教の持った重要性に目を向けることによる、新たなロシア帝国に対する視角の可能性が説かれた。

濱本真実氏(人間文化研究機構)「ヴォルガ・ウラル地域と中央アジアにおけるタタール商人(18世紀後半〜19世紀)」は、ロシア帝国から中央アジア、さらには清朝にまで至る、ユーラシアの広大なコンテクストを念頭に置いて、タタール商人の活動を概観している。それにより、タタール商人の活躍の背景を明らかにするとともに、そこで形成したネットワークとそれが果たした役割に着いても言及している。

このセッションでは、コメンテーターのDmitrii ARAPOV氏(Moscow State University)を始めとして、いくつかの用語に関して注意が促されたほか、経済的な側面への一層の注目の必要性や、この地域の象徴的な意味合いを考慮するべきではないか、といった意見が出された。

セッション2

セッション2は、「国家との連絡手段としてのイスラーム」として、タタールを始めとするムスリムが、いかにして国家との間の関係を取り結び、またそれが変化していったのか、ということが論じられた。

Ildus ZAGIDULLIN氏(Institute of History, Academy of Science of Republic of Tatarstan)「ロシア帝国の政治・法空間の中のモスク:18世紀後半から20世紀初頭ヨーロッパ・ロシア及びシベリアの事例から」は、様々な一次資料を駆使しつつ、帝政期におけるモスクの規制に関する法令などを整理し、ロシア帝国が領内のムスリムに対して、いかなる姿勢を示していたのかということを跡づけている。

Diliara USMANOVA氏(Kazan State University)「『神軍』から『緑軍』へ:帝国末期からソ連初期のヴァイソフ運動の進展」は、19世紀末から革命初期にかけて展開されたヴァイソフ運動の展開について、詳細に整理したものである。特に、この運動が時の権力に対して、どのような関係を取り結ぼうとしていたのか、という点に注目しながら議論を展開していった。

長縄宣博氏(スラブ研究センター)「ムスリム共同体を動員する:帝政末期のヴォルガ・ウラル地域のムスリムと戦争」は、アーカイブ史料を用いて、従軍ムッラーの扱いや、後衛におけるムスリムへの保障が整備されていく様子などを紹介し、帝政期における戦時のムスリムの動員を跡づけ、それを通じた政府とムスリム側の交渉の様子を描いている。

Steinweder氏によるコメントでは、帝国権力とムスリム社会の関係性というセッション全体の問題が確認され、それぞれの報告者に対し、そうした関係における変容の問題やより具体的な事例についての確認などが行われた。またフロアからも、各事例に関する確認や、ここで取り上げられて以降の結果や変容に関する質問がなされた。

セッション3

セッション3は、「ロシア帝国とオスマン帝国の間の知識人ネットワーク」として、帝政期におけるムスリム知識人たちの国際的なネットワークに着目し、彼らの活動や性格について検討する報告が行われた。

磯貝真澄氏(神戸大学)「リザエッディン・ファフレッディン(1858-1936)とその『倫理学』」は、リザエッディン・ファフレッディンの『倫理学』シリーズを、中世の文献と比較し、それがより実践的な倫理道徳規範を志向していること、またその読者層に女性などを含んでおり、より広範な人々に対しての、啓蒙的な役割を果たそうとしていた、ということを明らかにしている。

Ismail TÜRKOGLU氏(The University of Marmara)「オスマン帝国とロシア・ムスリム知識人との相互関係(1876-1917)」は、トルコのアーカイブ史料に依拠しつつ、ロシア帝国内のムスリムとオスマン帝国との関係を実証的に明らかにすることを試みている。その結果、双方の協力関係は認められるものの、そこに反ロシア的な扇動の傾向は確認されない、ということを明らかにしている。

Sebastian CWIKLINSKI氏(Free University)「近代化を体現するムスリムの一例か?変わりゆく世界の中のアブデュルレシド・イブラヒムの生涯(19世紀後半から20世紀初頭)」は、アブデュルレシド・イブラヒムの生涯について、その人間関係や活発な移動、著述活動といったものに焦点を当てる中で、近代性というものが彼の一つの主要な特徴と見なし得るという点を提示している。

小松久男氏(東京大学)からのコメントでは、中央ユーラシア史の専門家として、特に近代トルコと帝政ロシアの関係の視点からのコメント・質問がなされ、このセッションの整理とともに、そこに共通する問題関心の方向性が示された。また、フロアでの議論においては、一連の報告において共通してみられる伝統と近代性の両立というような問題に関する質問がなされた。

セッション4

セッション4は、「ソ連邦の内外からのムスリムの挑戦」として、ソ連の特に初期において、内外におけるムスリムの存在、またその諸活動がいかなる意味を持ち、影響を与えていたのか、ということが論ぜられた。

西山克典氏(静岡県立大学)「戦間期日本におけるロシアからのムスリム移民」は、ムハメド・クルバンガリエフ、ガヤズ・イスハーキー、アブデュルデシド・イブラギモフら、ソ連から日本へ移住したテュルク系知識人の活動を日本のアーカイブ資料などを用いながら紹介した。そして、彼らの間の思想の違いなどを示しつつ、それらがどのように日本の政策と関連し、彼ら自身の活動・命運につながっていたのか、ということを明らかにしている。

ARAPOV氏「ヴォルガ・ウラル地域:イスラームとソ連の国家安全保障(1926年)」は、アーカイブの史料を解読しながら、ソ連初期において、その国家安全保障という観点から、ムスリムに対する態度はいかなるものであったのか、ということが分析された。特に、教育などの面について、当局がどのような態度を示し、それに対してムスリム自身がどのような反応を示したのか、ということが提示された。

Iskander GILIAZOV氏(Kazan State University)「第二次世界大戦期ソ連におけるテュルク系ムスリムの対敵協力の出現:いくつかの特徴」では、ドイツのアーカイブ史料も参照しつつ、大戦期における対敵協力を、現象として捉えることを試みている。そこでは単なる裏切り行為とするのではなく、ムスリムのそれを中心に、そこに見られる多様な側面を取り上げて分析している。

CWIKLINSKI氏のコメントを始めとして、討論においては、各報告についての事実確認が行われると同時に、各々の取り上げている事例の多様性に関する質問などが述べられた。特に、ムスリムとしての共通性と同時に、民族的な差異、それぞれの民族運動的な側面がどのように反映されていたのか、というような点に関心が寄せられた。

セッション5

セッション5は、「ヴォルガ・ウラル地域におけるアイデンティティの変容」として、特にソ連期においてこの地域のイスラームや民族意識といったものが、どのように変遷・形成されていったのか、といったことが議論された。

Il'nur MINULLIN氏(Institute of History, Academy of Science of Republic of Tatarstan)「1920-30年代のタタール自治共和国におけるムスリム社会:変容の諸問題」は、現地のアーカイブ史料を紐解きつつ、ソ連当局がその初期に、マハッラなどに対してどのような対応の変遷を示したのか、それに対しイスラーム宗教権力、現地の人々がどのように反応していったのか、といった点を紹介している。

Xavier LE TRRIVELLEC氏(National Institute for Oriental Languages and Civilizations)「イデオロギーの下降とエトノスの上昇:1960-70年代のヴォルガ・ウラル地域における諸民族の歴史学」は、1960年代以降のバシキールを始めとする沿ヴォルガ・ウラル地域の諸民族の民族史の形成・発展の様子を、ソ連全体のコンテクストと地域の特殊性を見据えつつ描いている。

このセッションはコメンテーターが不在だったため、司会の長縄氏によるいくつかの質問と、報告者間のコメントの交換から始め、フロアに開いた議論が展開された。そこでは、いくつかの事実確認がなされるとともに、ソ連におけるイデオロギーの存在をどのようにとらえるのか、またここで取り上げられたソ連期の事象と革命以前との連続性は認められるのか、といった意見・質問が出された。

また、このセッションの途中、カザン大学歴史学部の新入生が会場に入り、Usmanov氏から、ここまでのワークショップ全体の講評とともに、学生たちへ向けたメッセージが発せられた。そこでは、こうした国際的な研究者間の対話を進めるためにも、言語学習の必要性が説かれ、またこのワークショップのタイトルにもなっている諸民族・文明の「十字路」としての沿ヴォルガ・ウラル地域の重要性が強調された。

総括セッション

最後の総括セッションでは、長縄氏が簡単な総括を行った後、ワークショップ全体に関する意見の交換が行われた。この会議における各々の報告に関しては、全体に豊富かつ多様な史料が駆使されており、各参加者それぞれの研究においても刺激になる有益なものであった、という評価がなされていた。また、特にカザンの研究者からは、こうした国際的な会議が行われ、広範な研究者の存在を知り、相互に交流できたということ自体が非常に有意義なものであったという感想を得た。

実際、会議全体・あるいはその後の懇親会を通じて、日本・欧米の研究者にとっても、このような形で現地の研究者との相互の交流が行われたことは、非常に生産的で実りのあるものであったと思われる。議論の場においても、冷静に、しかし活発な意見の交換が行われた。それらにおいては、各地域の細かな実情などに配慮しつつ、ユーラシアといった、より大きな文脈において歴史を理解しようという姿勢が共有されているように感じられた。その点においては、アラポフ氏やウスマノフ氏から濱本氏の報告に対して非常に高い評価が与えられ、今後このような方向性の研究が進んでいくことが期待される。

ただ、個人的な感想として、今回は結果的に現地からの参加者がカザンとモスクワの研究者に限られてしまったが、ウファやチェボクサルィなどからの、タタール以外の研究者による報告も交えることで、異なる視角からの意見の交換も期待できるのではないか、という印象を持った。とまれ、このように単に資料収集の場としてではなく、議論の場として現地をとらえる試みは、当地の研究者及び在外の研究者双方にとって刺激的かつ有益なこととして、今後も積極的に進められるべきであろう。
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