トップページ研究会活動
第10回中央ユーラシア研究会報告
野田仁(日本学術振興会特別研究員・財団法人東洋文庫)

 概要

  • 開催日時:2008年5月17日(土) 14:00〜16:30
  • 会場:東京大学本郷キャンパス法文1号館2階217教室
  • 報告者:秋山徹氏(北海道大学大学院)
  • タイトル:「近代中央アジアにおけるロシア帝国権力成立過程の一考察−トルキスタン総督府の創設とクルグズ部族首領層マナプの動向を中心に−」

 報告

第10回中央ユーラシア研究会ポスター(PDF)
第10回例会の報告者は、19世紀のクルグズ(キルギス)史の研究に取り組んでいる秋山徹氏である。氏はすでにカザフスタン、ウズベキスタンなどに残されているロシア帝国期の文書史料の調査を十分に行っており、今回の報告もその成果に基づくものであった。さらに、ロシア政府側のいわゆる公文書だけではなく、クルグズ自身による歴史叙述(回想録などの形で残されている)をも参照し、バランスを取ろうと努めている点も特筆すべきことだと思われる。

まず氏の報告の視点としては、ロシア政府と現地社会の相互関係に注目すること、現地有力者間の相互関係を明らかにすることが提示され、具体的には、1867-70年代末というトルキスタン総督府の草創期(カウフマンの時代)に焦点を当てることがうち出された。

本論は二部構成であり、第一部は前史にあたる。氏が重きを置いているのは、マナプと呼ばれる部族指導者であり、まず彼らを長とした統合と序列の動きを整理した上で、ロシア帝国がクルグズと関係を持つ過程で、従来のマナプを「上席マナプ」としてあらたに任命することにより、上述のクルグズ社会の動きを帝国の統治機構の中に位置づけていったことを指摘している。

第二部がトルキスタン総督府創設以降を論じることになる。総督府の統治の前提となる「セミレチエ・シル=ダリア州統治規定案」の作成の過程を整理したのち、この規定案が「部族原理」を撤廃する方向性を持っていたことを明らかにしている。規定案が存在していたにもかかわらず、一方で初代総督カウフマンの個人的な裁量に負う部分も大きかった点は興味深い。報告の中で具体例となっているのは、トクマク郡の事例である。郡は各郷で構成されているが、この郷の長たる郷長職とマナプの関係こそが報告の中心となっていると言えよう。結果として選挙で選ばれる郷長はみなマナプに出自を持つ者たちであったことが明らかにされる。ただし部族長には2つのタイプがあり、自ら郷長になることを志向する者と、自らは裏に控え下位の人物を郷長に推す者とがあったことは注目すべきで、氏の定義に従えば、後者はロシアの新しい統治制度を部族内の権力の再編成の契機とする動きと考えられるからである。

氏がとくに注目しているのは有力者シャブダンの動向であり、彼のロシア当局と郡内のクルグズ間におけるパイプ役としての役割を示した上で、ロシアが導入した統治構造を利用し、相対化する行動であったと位置づけている。ロシア統治への反応としては、カシュガルを中心とするヤークーブ・ベク政権への接近も見られたことが明らかにされ、氏の研究がより広い視野を持ちうることを示していよう。

さまざまな分野を専門とする出席者から有意義な質問・コメントが寄せられた。筆者の関心に則して一つだけ挙げるならば、類似の過程で、かつより早い時期に帝国の統治が導入されたと思われるカザフのケースとの対照が必要になるのではないかとのコメントはとくに重要であると思われた。報告中で専門的な用語の訳について不安定な箇所があるように見受けられたが、それはむしろ日本では未開拓の分野に挑戦している氏の姿勢を評価すべきであろう。レジュメのほかに氏の収集した資料群の詳細も提示され、これらの整理・検討が進んだ暁には、きわめて興味深い成果が現れることを確信させるに十分であった。
Page top