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第9回中央ユーラシア研究会報告
清水由里子(中央大学大学院)

 概要

  • 開催日時:2008年2月16日(土) 13:00〜17:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス法文1号館2階、217教室
  • 報告者
    1. 吉田豊子氏(中央大学・非常勤講師)
      「クルジャ事件をめぐる中ソ交渉(1944〜1945年」
    2. 田中周氏(早稲田大学・院)
      「中華人民共和国における国民統合と民族政策─1950年代新疆の事例から」

 報告

20世紀における新疆は、テュルク系民族のナショナリズムの高揚や近代中国の辺境における国家統合、中国と周辺諸外国との政治的・経済的交渉などの諸問題においてきわめて重要な意義を有している。今回の中央ユーラシア研究会では、新進気鋭の歴史研究者である吉田豊子氏と田中周氏が、それぞれ20世紀の新疆に関する研究報告を行った。

一人目の報告者である吉田氏は、中華民国期の辺疆地域を軸とした中ソ関係について、現在までに優れた研究成果を上げている。今回の報告では、1944年から1945年にかけてのクルジャ事件に関する中ソ交渉が取り上げられた。報告では、まず国民政府のクルジャ事件に対する認識とその対応が示され、次いで中国とソ連との交渉の過程が、国民政府側の対応を中心に示された。そのなかで、主として経済的関心から新疆との貿易再開を要求するソ連側に対し、新ソ地方外交の復活を警戒する国民政府との間で交渉が難航したこと、また、この時期の新疆が中ソ双方から戦略的に非常に重要な地域とみなされていたことなどが指摘された。

吉田氏の報告の特筆すべき点は、ソ連側の動向をつまびらかにする決定的な資料が利用できないという現状に鑑み、新疆をめぐる中ソ交渉の一端を、国民政府側の対応に焦点をあてて、具体的に明らかにしたことである。吉田氏自身も指摘しているように、カイロ・テヘラン会談以降、ヤルタ会談にいたるまでの間に、水面下では中国とソ連の交渉が進められていたと考えられる。今回の報告は、未だ空白の多い当該時期の中ソ関係の解明に、新たな材料を提供するものとなるであろう。質疑応答においては、この時期にソ連が新疆との貿易再開に固執した背景には、経済問題を口実に新疆におけるソ連のプレゼンスを拡大する意図があったのではないかという指摘がなされた。その答えは、氏の今後の研究の中で明らかにされるものと期待する。

二人目の報告者である田中周氏は、現在、中華人民共和国期に書かれたウイグル知識人の著作を利用し、とくに改革・開放期におけるウイグル・アイデンティティの再構築の研究に取り組んでいる。今回の報告では、漢文資料を利用して、共和国建国後から新疆ウイグル自治区が成立する55年までの区域自治政策に関する考察が行われた。報告では、中国の民族政策の根幹である区域自治政策と民族識別政策がどのようなものであったかということが確認された上で、新疆ウイグル自治区が自治区として成立するまでの政策実施のプロセスが示された。

共和国期における新疆の民族政策に関連した先行研究としては、毛里和子や王柯などの優れた研究が存在するものの、新疆における区域自治制の成立をめぐる詳細な研究は手薄であると言わざるをえない。今回の田中氏の報告により、当初「ウイグル人民政府」の設立構想が存在していたが、後に棄却されたこと、また、自治区の成立が@郷・区級、A県級、B専区級、C行署級というように下から上へと行われた過程が明らかにされたことは、貴重な成果であったと言えよう。田中氏は結論のなかで、新疆における自治権の形骸化は、建国当初からの政府政策の傾向であった可能性を指摘している。ただし、質疑応答の際にも指摘があったように、現代中国では、政策決定のプロセスはほとんど明らかにされておらず、それをうかがい知れるような資料へのアクセスも不可能というのが現状である。実際に施行された個々の政策の検討を通じて、その背景にある政府の思惑をいかに実証的に検証していくかと言うことが今後の課題となるであろう。
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