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第7回中央ユーラシア研究会報告
小沼孝博(日本学術振興会特別研究員・東京大学)

 概要

  • 開催日時:7月14日(土) 14:00〜17:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス法文1号館2階、217教室
  • 「ウズベキスタン科学アカデミー東洋学研究所所蔵『ターリーヒ・ラシーディー』附
  • 編に関する研究」
  • 報告者:
    1. 澤田稔氏(富山大学人文学部)「東トルキスタンの先行史書との比較」
    2. 河原弥生氏(日本学術振興会特別研究員PD・東洋文庫)「先行史書『ラーキム史』からの翻訳」
    3. 新免康氏(中央大学文学部)「18世紀半ば〜19世紀前半におけるベグたちの動向」
    4. 堀直氏(甲南大学文学部)「1836年カシュガルのワクフ文書」

 報告

今回の研究会では、上記の四氏が、ウズベキスタン科学アカデミー東洋学研究所所蔵の『ターリッヒ・ラシーディー』のトルコ語訳に附された、ホージャ・ムハンマド・シャリーフの手による、19世紀中葉までの東西トルキスタンの歴史に関する写本史料(所蔵番号10191。以下、『附編』)について、共同研究の成果報告をおこなった。先ず、新免氏が『附編』の共同研究の経緯と内容の概要を説明し、続けて各氏がそれぞれの担当箇所の検討結果について報告し、あわせて今後の研究の展望を述べた。

河原氏は、『附編』の西トルキスタンに関係する叙述部分の検討をおこなった。『附編』には、14世紀〜17世紀中葉の西トルキスタン史に関するペルシア語史書として知られている『ラーキム史』からの翻訳・引用が多く見られる。『ラーキム史』の諸写本の比較検討から、同東洋学研究所所蔵の10190写本(『附編』と1番違い)を利用した可能性が極めて高いという。また、『ラーキム史』のインド・イランに関する叙述は『附編』には引用されておらず、西トルキスタンに関する叙述のみが引用されているという特徴を指摘した。

澤田氏は、東トルキスタンに関係する叙述部分、特に著者・原著名不明の通称『カシュガル史』からの引用部分について検討した。『附編』には、『ラーキム史』からの引用部分の節中に、『カシュガル史』の記事が挿入されている箇所があり、年代順に出来事を叙述・列記しようとする著者の意図が窺える。また、『ラーキム史』からの引用箇所のうしろに接続している部分については、『カシュガル史』の内容と基本的に一致しているが、その中にも内容が食い違う箇所や、『附編』独自の加筆部分も見られるという。なお、いわゆるカシュガル・ホージャ家の党派対立に関しては、記述が極めて淡泊であるという。

新免氏は、『カシュガル史』の引用箇所のうしろに接続している、ホージャ・ムハンマド・シャリーフが独自に執筆したと思しき部分の内容を検討した。この部分は、清朝による東トルキスタン征服と清朝統治下のカシュガルの状況から成る。分量は少なく、内容も簡素であるが、カシュガルの歴代ハーキム・ベクの事蹟などを含んでおり、18世紀中葉〜19世紀中葉の当地域の状況を伝える数少ないトルコ系ムスリム側の史料として高い価値を持つ。また、その内容が1830年代にカシュガルのハーキム・ベク職を務めたゾフル・アッディーンの事蹟に対する賞賛で終わることから、『附編』の執筆自体が、ゾフル・アッディーンの存在と何らかの関係を有している可能性が高いと指摘した。

堀氏は、『附編』末尾に附された1836年のカシュガルのワクフ文書の写しについて詳細な検討をおこなった。本ワクフの設定者は上記のゾフル・アッディーンであり、彼がカシュガル城外に建設したメドレセを対象物件とし、収益分配の対象と分配方法を細かく規定している。堀氏は、全訳に近い訳文を提示しつつ、文書中に登場する地名を考証し、その分布がカシュガル・オアシスの東南部に集中するという特徴を指摘した。本文書は、19世紀前半の当地域における当地域の社会経済状況を復元する上で、貴重な情報を含んでいる。

また、以上のように、叙述の対象が、東西トルキスタン→東トルキスタン→カシュガルへと次第に収斂していくことも、『附編』の特徴である。

さて、各紙の報告の内容は多岐に及ぶものであったが、特に評者が興味を覚えたのは、カシュガル・ホージャ家の党派対立や、征服者としてのジューン・ガル、清朝の姿がほとんど叙述に現れてこない点である。この点には、各事件が実際に発生していた時代と、『附編』が作成された時代の間における、現地住民の思考・心情の相違が反映しているのかもしれない。今後、他史料との照合による、議論の進展を期待したい。なお、『附編』の写真版と校訂テキストは、日本語訳と解題を附し、本研究グループの研究成果の一環として今年度中に出版される予定であることを附記しておく。
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