報告
今回の二人目の報告者は昨秋、島根県立大学で博士号を取得されたばかりのウスマノヴァ氏であり、今回の報告は、氏の博士論文 "An Historical Account to the Process of Turk-Tatar Diaspora Consciousness in North East Asia between 1898 and the 1950s"に基づいている。
報告の内容は、地方都市も含めた在日テュルク・タタール・コミュニティの歴史を、彼らの活動が最も盛んだった1920-30年代を中心に通観するものであった。まず、1920年代初頭に成立した在日テュルク・タタール移民コミュニティが、様々な組織や学校、印刷所を設立していく過程と、1934年の「2月11日事件」、「イデル・ウラル・テュルク・タタール文化協会」の成立について説明が行なわれたのち、東京、神戸、名古屋、九州(熊本・宮崎)の各テュルク・タタール・コミュニティについて、主に1930年代の動きが明らかにされた。
ウスマノヴァ氏の報告の眼目は、これまでの在日テュルク・タタール移民研究においてほとんど利用されていない週間新聞Milli Bayraq(奉天, 1935-45)を主要な史料として、日本各地におけるテュルク・タタール・コミュニティの動向を明らかにした点にあるといってよいだろう。報告において言及された各コミュニティにおける、メルジャーニーやトゥカイ、さらにはケマル・アタ・テュルクに因む行事や、これらのコミュニティと満州のテュルク・タタール・コミュニティとの関係は興味深いものであった。ウスマノヴァ氏の報告は、Milli Bayraqに基づく東アジアのテュルク・タタール・コミュニティ研究として高く評価されるべきものであり、氏の研究の今後のさらなる展開に期待したい。
なお、島根県立大学に所蔵されているMilli Bayraqは、イスラーム地域研究東京大学拠点の研究活動の一部としてすでにデジタル画像化されており、多くの人々の研究に供する準備が整いつつあることを付言しておく。
(*WEB上での表示のため、報告中の書名および雑誌名は、イタリック体ではなくボールド体にしてあります) |
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