NIHU Program: ISLAMIC AREA STUDIES
              IAS Center at the University of Tokyo (TIAS)
                               
GROUP2
 Structural Change  in Middle  East  Politics
       2007年度第12回研究会: 「パレスチナ研究班」第5回研究会
                 ワークショップ

            
         「国連パレスチナ分割決議案<再考>;60周年を機に」

  
  日時: 2007年12月1日(土) 13:30〜18:00     
  場所: 京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科      
  講演者:                
    木村修三(前姫路獨協大学学長)
    奈良本英佑(法政大学)
    板垣雄三(東京大学名誉教授)


今年2007年は、19471128日に国連総会でパレスチナ分割決議(国連総会決議181号)が採択されてから60周年に当たる。パレスチナ問題の直接的な起源となったこの国連決議とは何であったのかを、冷戦開始直後の国際政治状況、とりわけ英米ソなどの大国のパレスチナ問題に対する姿勢と中東域内政治、アラブ諸国の域内情勢、パレスチナの状況などを踏まえつつ再考しようというのがこのワークショップの目的であった。

 冒頭で臼杵陽・日本女子大学教授から「趣旨説明」が20分程度行われた。そこではパレスチナ分割決議案の問題性が、<分割>という発想の問題性・米英大国の対応の責任の問題性・米ソ冷戦とパックス・ブリタニカの間隙で起こった問題性・分割案採択の不透明さの問題性・当事者の位置づけの問題性・分割案におけるエルサレムの地位の問題性、の6点に整理されて論じられた。

 報告T「冷戦開始期における米ソの奇妙な協調――国連パレスチナ分割決議採択に至る国際政治過程――」は木村修三・前姫路獨協大学学長により行われた。そこでは第二次大戦終結時の中東をめぐる米英ソ関係、国連特別総会におけるパレスチナ問題の審議、グロムイコ演説の衝撃、国連パレスチナ特別委員会(UNSCOP)報告の審議について詳細な説明があり、何故ソ連は分割案を支持したのかという問題提起で結ばれた。木村前学長はソ連のイスラエル承認の迅速さについて考えられる要因を挙げながら、クレムリンの史料が公開されつつある現在、ソ連の国益に何故イスラエル承認が合致したのかをロシア語を駆使して研究する価値があるという将来に向けての課題を示された。

 報告II「ピール分割案から181号へ」は奈良本英佑・法政大学教授により行われた。そこではピール委員会の分割案に始まり国連分割決議に至る過程で浮上した、パレスチナの将来の政体に関する様々な提案が検討された。中でも国連パレスチナ・アドホック委員会の第二小委員会の提案の意義に注目した。奈良本教授が冒頭で、平和運動家ウリ・アヴィネリの国連分割決議への肯定的な評価に違和感を覚えたと話されたのが印象的であった。

 続く「コメント」は板垣雄三・東京大学名誉教授と小杉泰・京都大学教授によって行われた。板垣名誉教授はこのようなワークショップにはパレスチナ研究者だけではなく、他分野の研究者にも広く参加してもらうことが必要なのではないかということ、そしてイスラエル建国が国連決議181号に基づいていたのではなく、それの破壊の上に行われたという事実の確認が必要であるとした。また何故分割なのか、分割論議の土台は何かという基本的な論点をはじめ、国連分割決議案の検討を具体的な経過の検証にとどまらず、反ユダヤ主義・労働シオニズム・国民国家・植民地主義・国際秩序・ロシア革命の問い直しなどより幅広い観点から行う必要があること、ラテンアメリカ諸国の決議支持を理解するためにヴァチカンの議論を検討する必要があること(カトリシズムと国際政治)、ユダヤ人入植と満蒙開拓団の類似性など日本からの視野も重要であることなどにも言及された。小杉教授は国連分割決議を考える際に、来年はパレスチナ人にとっての「ナクバ」60周年であること、また今年は1967年戦争から40周年、1987年のインティファーダ勃発から20周年という節目の年であることを強調された。更に分割概念は歴史的に見るとイスラエル建国の礎石として使われ、実態としては単一のイスラエル国家への道であったこと、そしてその単一の実体としてのイスラエル国家が究極的に実現したのが1967年戦争における占領地の獲得であったと振り返った。そこで分割に戻ろうという動きが国連決議242に結実するのだが、それでは何故1947年時点で分割をしておかなかったのか。それはアラブ側にとって当時はまだ「不義」の質が分からなかったためである。このように論じられた上で、ホロコーストというヨーロッパの罪の償いをパレスチナ人に負わせた不正義を不問に付した国際社会の大きな責任に言及され、分割案は試行錯誤の結果もはやうまくいかないのではないかという問題提起で結ばれた。

 最後に、報告やコメントを土台に30分ほど討論が行われた。1988年のパレスチナ独立宣言が基にしているのは国連決議181242か、国連決議181をパレスチナ人側が十分利用していないように見えるがそれは何故か、植民地主義との関連でインドの民族運動とパレスチナ人の闘争の関連などについてのフロアからの質問に、報告者・コメンテーターの先生方が答える形をとり、閉会した。