並列的視覚運動信号に基づく個別化と統合

仲田 穂子

 視覚系に入力する信号には,多数の運動信号が含まれている。視覚系はこれら同時並列的な運動信号を適切に処理し,有意味な知覚世界を形成するために適応的な機能を備えると考えられる。

 視覚処理過程は主として,急峻な信号の立ち上りと立ち下りに応答する過渡系と,持続的な信号の入力に応答する定常系の2種類に大別できる。この分類は神経生理学における2種類の経路(網膜神経節細胞から一次視覚野までの経路における大細胞系と小細胞系,および大脳のの視覚野における背側経路と腹側経路)に親和的であり,運動や奥行きを処理する過程と色や形を処理する過程が大きく分かれて存在するという知見の基盤となっている。さらにこの視覚処理過程は階層的な構造をなすとされる。このうち, 視覚運動処理過程においては, まず初期過程で局所的に1次元の運動が検出される。1次元の運動パターンは,時空間座標平面における傾きとして表現され,このようなパターンに応答する運動検出器は,時空間座標平面における傾きの検出器,或いは特定運動方向の時空間周波数を取り出すフィルターとして捉えられる。階層的な視覚運動処理過程は,さらに速度計算,運動フローの検出といった全体への運動統合のプロセスを経る。また, このような視覚運動処理過程は,他の様々な属性を処理する過程と連関しながら知覚形成に寄与する。

 上に述べたような視覚システムの緒特性,特に運動視システムにおける挙動に関して,本論文において注目する観点は,多数の運動信号が同時に入力した事態における処理特性である。前述の通り,多数の運動信号が並列的に入力したとき,視覚運動処理過程では局所的な運動検出から,速度計算,運動フローの検出といった全体への統合のプロセスを経て,有意味な知覚を形成することが知られる。さらに,知覚現象においては,物体が要素ごとに区別される個別化が生じる場合がある。この統合と個別化は表裏一体の関係として,また互いに適切なバランスにおいて存在することにより,並列的な運動信号に対して知覚的解決を与えると考えられるが,それらがどのようなメカニズムに基づいて生起するかが解決すべき課題となる。本研究では,上述の運動視システムにおいて,多数の運動信号が同時に入力した事態における処理特性を,運動方向変化の視覚探索, 局所運動存在下の多義知覚, 運動による位置ずれがアスペクト比処理に及ぼす作用, という3つの観点から検討した。以下にこれらの概略を述べる。

 まず, 最初の研究では,運動方向の変化信号の並列処理が行われるかどうかについて,視覚探索実験を用いて検証した。運動信号を用いた視覚探索の例では,知覚的群化やコヒーレント運動の作用により,並列処理が可能となる特徴的な例が複数知られている。実験では,静止したコントラスト窓内部に運動信号が存在するガボールパッチ状刺激を多数配置し,運動方向一定の多数のディストラクタの中で,ただ1つ運動方向の変化するターゲットを探索する条件と,運動方向の変化する多数のディストラクタの中で,ただ1つ運動方向一定のターゲットを探索する条件を設け,その探索効率と探索非対称性について検討した。またその探索関数からアイテムの処理時間,すなわちそれがターゲットであるかディストラクタであるかを弁別するために要する時間を推定した。結果として,運動方向一定のディストラクタの中でただ1つ運動方向の変化するターゲットを探索する場合は,わずかな非効率的な探索であったのに比べ,運動方向が変化する多数のディストラクタの中でただ1つ運動方向一定のターゲットを探索する場合ははるかに非効率的な探索となり,探索非対称性が示された。このことから,運動方向変化は並列処理されないことが示唆された。またその探索関数からアイテムの処理時間を推定すると,1度の変化時に処理できるアイテム数は,1個以下であったと考えられる結果となった。このことは,運動方向変化の視覚探索時にはアイテムの個別化が必須とされることを示唆する。さらに,色が変化するアイテムの視覚探索実験との比較により,その処理特性の推定を試みた。結果として,色の変化時にブランクを挿入し,視覚探索時に変化の過渡的な信号を利用できないようにした実験事態において,運動方向変化の視覚探索と同等の探索関数が得られた。このことは,運動方向変化時に変化信号の処理に遅れが生じている仮説を支持するものである。

 次の研究では,局所的なサイン波運動(キャリア)が多義的な仮現運動の知覚に影響を与えるかどうかを検討した。この実験では,平均輝度や色の異なる2種類のガボールパッチ状刺激を交互に円環配置し,一定の頻度で色を交替させて呈示した。この刺激を観察したとき,視覚系は,フレーム間で同じ色の物体が移動しているものとして統合するか,異なる物体が点滅しているものとして個別化するか,知覚的に解決する必要がある。このような多数の知覚的解決をもつ刺激において,その内部のサイン波を運動させることにより,どのような知覚的解決が優先されるか,すなわち局所運動とグローバルな仮現運動が並存して知覚されるか,グローバルな仮現運動が知覚されなくなるかどうかを検証した。参加者は刺激を観察しながら,時計回りに回転して見える,反時計回りに回転して見える,動いて見えない,の三肢のキーのいずれかを押し続けることでグローバルな仮現運動の見えを回答した。実験の結果,局所運動が大域的な仮現運動の知覚を強く抑制することが示された。このことは,局所運動の存在が,物体が移動するという知覚的解決を抑制し,位置を固定化して物体を個別化する働きをもつ可能性を示す。さらに実験を重ねることにより,キャリアの運動方向が並進や拡大・縮小といった全体構造をもつ場合にグローバル仮現運動と並存して知覚されるか,運動の両義性が関与するかどうか,各物体の特徴の親和度によって説明できるかどうかを検証した。結果として,キャリアのもつ構造に関わらず位置が固定化されること,両義性の影響は一部みとめられるものの,両義的でない刺激に対しても同じ現象が生じること,以上の結果は特徴の親和度によっては説明できないことが示された。

 最後の研究では,運動による位置ずれ錯視が同時生起することで,形知覚の処理過程に作用するかどうかを検討した。静止刺激内部に視覚運動が存在すると,その刺激自体の位置が運動方向にずれて知覚されるという「運動による位置ずれ」の錯視を用いて,運動によってずれた位置の表象が,形処理過程に影響しているかどうかを検討した。方法として, 運動により知覚的にゆがめられたアスペクト比への順応実験を行い,図形形状に関する陰性残効が生じるかどうかを検証した。内部にランダムドット運動を含むことにより,静止したガウシアン状のパッチ図形に位置ずれ錯視が起こるようにし,このような多数の運動パッチを適切に配置することで,物理的には正方だが知覚的には縦長あるいは横長にゆがむひし形を作成した。参加者はこの刺激を長期観察して順応した後,静止テスト刺激のひし形が縦長であるか横長であるかを回答した。結果として,運動による位置ずれの錯視により,知覚的に縦長にゆがんで感じられるひし形への順応の後では,静止刺激を観察すると横長に感じられやすく,知覚的にゆがんだアスペクト比に対する陰性残効が生じた。これにより,運動による位置ずれ錯視が同時生起することで,知覚的な位置情報が統合され,アスペクト比処理過程に作用することが示された。さらに,高次処理である運動フローの処理が同様に形処理過程に影響しているかどうかを検討するため,配置をランダム化し,運動フローの効果のみを残して図形形状に関する陰性残効が生じるかどうかを検討した。結果として,運動フローの効果のみを残した場合にも図形形状に関する陰性残効が生じ,運動フローが統合的にアスペクト比処理過程に作用する可能性が示された。

 以上の知見より,多数の並列的な運動信号が入力した場合における個別化と統合の生起過程について論じ,以下の提案をした。運動の関わる視覚探索課題においては,網膜上の複数の運動を並列的に監視できる検出器が存在するとともに,それらをグローバルに束ねて処理する機構により,効果的なディストラクタの抑制が可能になる。しかし,視覚系の階層構造のミッドレベルで処理される運動方向変化においては,そのような並列的な監視システムは存在せず,検出のためには個別化されたアイテムに焦点的注意を向け,イベントの前後で特徴を比較する遅い比較システムが必要である。また,視覚系は様々な特徴や文脈,時空間配置等を参照して,異なる時間に存在する特徴を,物体として統合するか,別の物体として個別化するか,知覚的解決を得なければならない。運動信号は,物体の知覚的位置を特定の場所に貼り付ける作用をもち,その位置情報に基づいて物体の個別化に寄与する可能性がある。さらに,個別化と統合はどちらか一方のみが生起するばかりではなく,両者が適切なバランスにおいて同時存在することにより,知覚が成立する場合がある。知覚位置を介した個別化と統合が同時生起する事態において,運動処理過程の位置表象が形処理過程へ寄与する。

 本研究は, 運動処理過程の階層構造において, 運動方向変化など認識のために個別化が必要な信号と, 方位変化(仮現運動)など統合的な処理が可能な信号が存在することを示した。また, 運動信号による位置の固定化が生起するほか, 個別化された位置ずれが形知覚に統合的に作用するなど, 視覚運動と位置との関連にも着目した。これら位置情報は, 運動フローと共に形処理過程など他の処理過程における統合的処理をもたらすことが示された。

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