文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル、
ひとつは「今、あなたは何に夢中ですか?」、
そして、もうひとつは「それを、学生にどのように伝えていますか?」。

野島(加藤) 陽子 教授(日本史学研究室)

第1の答え

人生長く生きておりますと、つらいなぁ、何でこんなことが私の身に降りかかるのかなぁといった理不尽な事態にたくさん出くわします。そのような時、私は自らへ問いかけることをして参りました。現在、私は特定の宗教の信者ではありませんが、誕生以来の人類が空や地の果てに向かって、「なぜ」、と問いかけたであろう心情を想起しつつ問いかけるのです。

まずは、おまじないのような呪文で自らの立ち位置を確認します。私はひとを殺めていない、ひとを陥れていない、ひとを恨んでいない、ひとに嘘をついていない、ひとに悪をなしていない……と。このように確認をした後、今悩んだり後悔したりすることで現状が一ミリでも動かないのであれば、今から思い悩むことは止めよう、と考えます。悩んで後悔しても現状を今から変えられないならば、新規巻き直しで明日からの生活に意を注ごうと自らの気持ちを落ち着かせにかかるのです。

このように苦悩と向き合って自分なりの答えを探しあぐねている時、私は自分が一生涯をかけて取り組むべき学問研究上の「問い」を依然として持っている人間だということ、このこと自体に何度も励まされてきました。これを何度も思い出すことで、自分を保ってきました。大変に迂遠なお答えとなりますが、何に夢中かといえば、私が一生涯の研究対象とした学問、未だ解答を出し得ていない問題、その「問い」を考えることであります。

具体的なお話をしましょう。私の専門は日本近代政治史です。意外にも、日本史の場合、国民一般、普通の人々の心情の分析、社会思想などについては、研究が進んでおります。為政者よりも国民の側にむしろ叡智が蓄積されてきた社会であったからなのかもしれません。日本近代政治史の場合、むしろ、時の為政者がいかなる考え方によって政策決定を行ったか、そのプロセスが公文書・私文書の不十分な蓄積という理由もあり、分析が進んでおりませんでした。

私の最初の著作である『模索する一九三〇年代 日米関係と陸軍中堅層』(山川出版社、1993年、新装版2012年)がありがたいことに未だ内外の世界で読み継がれている理由は、昭和戦前期に急速に力を獲得した陸軍中堅幕僚層の国防観、安全観などと国策決定を関連づけて分析する研究がなかったからです。開国・維新にあたって、近代国家として歩みを始めた日本が、なぜ、国際連盟の常任理事国としての立場をなげうって、太平洋戦争へと続く対外戦争の道を選んだのかについて、説得的な答えを見つけようと努めてみました。

現在の日本近代政治史の理解では、日本の近代化が本来のものではなく、未熟であったから、日本は遅れていたから、近代化の道を踏み誤ったという理解は古くさいものとなりました。ジョン・ダワーが分析しましたように、湾岸戦争に突入する前の米国の開戦意思決定過程は、日本が太平洋戦争の開戦に至る過程で大本営・政府連絡会議などを舞台とした意思決定過程と、ほぼ相似形であったことが判明しています。

現在最も興味のある問題は、第二次世界大戦に敗北した日本の各政治主体(政府、国民、天皇、旧軍組織、外務省など)が、極東国際軍事裁判に対していかなる対応をとろうと考えていたのかを、国立公文書館が保有する極東国際軍事裁判関係資料、裁判の議事速記録を通読しつつ答えを出していきたいと思います。これまでもちろん、極東国際軍事裁判については定評のある先行研究がございました。例を挙げれば、日暮吉延『東京裁判の国際関係』(木鐸社、2002年)は、極東国際軍事裁判の一つの決定版といえる著作です。しかし、この著作は、極東国際軍事裁判を連合国の外交政策の発現として裁判の全過程を列国の外交史料から読み解いたのであり、例えば旧軍の弁護人グループがいかなる論理と準備で日本人被告の弁護を組み立てていたのかについては考察がありません。

現在、日本の周囲を取り巻く東アジア諸国との歴史認識問題で政府も国民も立ち位置が定まらない不安定な状態です。このような状況に対して、極東国際軍事裁判を歴史的に再度位置づけることは、非常に魅力的な課題です。現在の私はこの問題に夢中です。

 

 

第2の答え

お答えするのが非常に難しい問いですね。よく出来た問いです(笑)。日本史学特殊講義という例年開講している講義では、日露戦争後の近代日本政治社会の地殻変動から太平洋戦争終結までを扱っております。その授業を通じて、伝えるのが一つだとは思います。幸いなことにこの講義は例年、比較的履修者が多く、興味深そうに聞いてくれる学生は半期で100人ほどはおります。ただ、実際にレポートまで書いてくれる学生が残念ながら50人ほどに減ってしまうのですが(笑)。

あとは、極東国際軍事裁判ということでいえば、対ドイツのニュルンベルク裁判と異なり、意外にも『裁判速記録』全10巻が読まれていません。ニュルンベルク裁判の速記録は英語訳のものなど、ペーパーバックで安価に入手可能です。しかし、日本の速記録は古本屋さんで揃を購入しますと20万円もするような稀覯本となります。ですので、この速記録をデジタルデータ化して演習の時間に読むことも計画しています。絶対に入手困難な日本近代史の史料というのは、余りないのですが、この速記録などはその稀有な例だと思います。学生への伝えた方としましては、夢中になっている課題について、一緒に研究しましょう、という巻き込み型で伝えるようにしたいと思います。

 

 

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