文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル、
ひとつは「今、あなたは何に夢中ですか?」、
そして、もうひとつは「それを、学生にどのように伝えていますか?」。

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小林 正人 教授(言語学研究室)

第1の答え

私は梵文科の出身で、インドの古代語であるサンスクリットから始めて現代語まで勉強してきたので、以前はインドの言語をできるだけ幅広く研究したいと思っていました。ですが15年前にクルフ語とマルト語というドラヴィダ語族の少数民族言語の調査を始めてから徐々に「クルフ語とマルト語を深く研究して、望遠鏡を覗くようにドラヴィダ祖語までの言語変化を辿りつめたい」と思うようになりました。

比較言語学は、現在ある同族言語から分化前の祖語を再構する学問で、インド・ヨーロッパ語族などでは祖語の姿がかなり精密に解明されています。ドラヴィダ語族にはタミル語やテルグ語のように古くからの記録が残る大言語と、20ほどの少数民族言語があり、祖語がどんなもので、そこからどのような順で娘言語が分岐していったかはまだよく分かっていません。中でもクルフ語とマルト語は他のドラヴィダ語族言語から遠く離れたインド東部で話され、言語的にも他の同族言語との違いが大きいので、クルフ語とマルト語のたどった歴史を説明できれば、多くの謎が解けるのです。実用に活かせる研究ではありませんが、民族のアイデンティティに関わることなので現地の人の関心が高く、自分の言葉の重みに気をつけないといけないと思っています。

夜空の星は隣同士に見えても、実際の宇宙空間ではしばしば遠く離れているのと同様、言語の語形には大昔のものも最近のものも区別できない形で併存しています。英語の例を挙げると、let—let—let とcut—cut—cut は不変化動詞として同じに見えますが、letの活用はcutよりはるかに古く、ゲルマン祖語まで遡れます。それと同様に、クルフ語、マルト語の単語や活用の中にも古い起源のものが混じっており、それをさまざまな手がかりから見つけ出します。時間をかけて謎が解けたときは何物にも代えがたい達成感を感じます。

小林正人 教授の写真
【デカン高原の朝は寒い。毛布をかけたまま木の枝で歯を磨く。】

第2の答え

言語学では学生はそれぞれ違う言語を研究しているので、私の細かい研究の話をするよりは、学生が研究しようとしている言語や分野を、自分自身も勉強しながら一緒に学ぶように努めています。

私より勉強のできる学生はいくらでもおり、知っていることを教えようとしてもうまく行きません。むしろ一緒に苦労して言語資料や論文を読むことで、私自身も新鮮な驚きを味わい続けることができ、(虫のいい言い方ですが)学生も自分で発見する経験を積むことができます。

授業でいろんな分野の学生から世界各地・各時代の言語などについて聞いていると、頭の中で連鎖反応のように知識がつながっていくことがあります。学生にもそうした楽しさを感じてもらえるよう、文学部らしいフラットな雰囲気を保っていきたいと思っています。

主要著書: Historical Phonology of Old Indo-Aryan Consonants
Texts and Grammar of Malto
The Kurux Language: Grammar, Texts and Lexicon (Bablu Tirkeyと共著)
 

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