文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル、
ひとつは「今、あなたは何に夢中ですか?」、
そして、もうひとつは「それを、学生にどのように伝えていますか?」。

後藤 和彦 教授(英語英米文学研究室)

第1の答え

学生諸君、だんだん夢中になれなくなるのが、年をとるってことです。

2020年は大変な年でしたね。ぼくは英文科にいてアメリカ文学を教えていますが、この期に及んでアメリカ文学を勉強しようという奇特な諸君にさえ、コンピュータの画面越しにしか会えませんでした。声だけしか聞けなかったひとも多くいました。

「この期に及んで」と書きましたが、たとえば大統領が選挙結果が不満で暴動を煽るような真似をして、結果、武装した暴徒が国会に乱入したり、またたとえば肌の色の違いが不意の無為の死に直結したりする国の文学は、あらためて今「旬」なのかもしれません。

でもそんな時流をつかまえて「アメリカ文学は今!」なんて、袖をまくりあげたりする自分をなかなか想像できなくなっています。ただ、歴史の最先端にあるアメリカの民主主義の危うい現状について、誰にもわかりやすい「みんな平等」的民主主義を、斜めにしか見てこなかった種類の文学(19世紀半ばまで奴隷制度があって、南北戦争で負けた南部の文学です)をずっと追い続けてきた者として薄ぼんやりとした感懐を抱かなくはありません。

 

第2の答え

学生諸君、教室ではあたかも夢中になっているかのように装うのを得意とするのが教員という種族です。

したがってぼくは、「みんなニュース見た?アメリカ、えらいことになりましたねえ」などと言いつつ、「さあ、アメリカってそもそもどんな国で、それがどうしてこんな国になっちまったのか、アメリカ文学を代表する○○って作品を読んでみなで考えてみようじゃありませんか」などと、熱っぽそうに諸君に語りかけるようなことなどお茶の子さいさいです。

さらに「言ってしまえば、民主主義っておおいにぼくらの国の問題ですもんね。第一、日本の民主主義って先の戦争が終わったあと、アメリカから接ぎ木のように移植されたものだって物の本にはありますから」などと、今の日本の相応に弱っていそうな民主主義下にいる諸君の皮膚感覚に訴えてみて、ぼくがある作品を通してしゃべっていることには不相応かもしれない「他人事じゃないんだ」的緊迫感を与え、いたずらに興味を掻き立てるような言葉遣いや表情は、これまた自家薬籠中の詐術であります。

しかし、詐術に騙されてくれない賢明な(のか、おっとりしてるだけなのか)諸君がぼくの授業を受講しがちなので、逆にそのことにほっとしたりもしているのです。

 

 

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