教員

教授:沼野充義、柴田元幸
助教:加藤有子

協力教員◇ 

教授:大橋洋一(英文)、三谷 惠子(スラヴ)

学生

学部:24名
修士課程:22名,博士課程:14名、研究生:1名

 

 

(1)西洋近代語近代文学の改組と現代文芸論の発足

 西洋近代語近代文学専修課程(以下「西近」と略記)は平成19年4月に改組され、新たに現代文芸論専修課程に再編成された。これにともない、「西近」の略称で親しまれてきた専修課程はなくなったが、実質的に西近のすべての研究・教育内容はそのまま現代文芸論専修課程に引き継がれた。
 西近時代は、専任教員を持たず、主としてスラヴ語スラヴ文学専修課程の教員の兼任によって運営されていたが、平成19年度から、文学部の言語文科系の他専修課程(英文、国文など)の教員の協力を引き続き受けながらも専任教員を置き、独立した専修課程として再出発した。
 また、これまで西近には大学院課程がなかったが、平成19年度から人文社会系研究科欧米系文化研究専攻の中に、現代文芸論専門分野の修士・博士課程が新設された。これは学部の現代文芸論専修課程の上に直結した大学院課程で、その趣旨や基本的な教授陣は学部と同様だが、欧米のバックグラウンドから近現代日本文学を研究対象とすることも可能になったので、日本文学研究を目指す外国人留学生にも門戸が開かれた。
 こうした改組は、広く世界の文学のありかたを視野に入れ、現代の文芸研究の成果を踏まえて研究する場を文学部に作ることが必要だという認識に立って行われた。
 一言で言えば、現代文芸論とは、従来の一国一言語別の「縦割り」にこだわらず、世界の文学を――日本文学も世界文学の一部として視野に入れながら――現代的な観点から研究する。誤解のないように強調しておけば、この専修課程名はもっぱら「現代文学」を扱うという意味ではなく、研究対象とするのは近代以降の文学全般である。伝統的な研究方法にとらわれず、20〜21世紀の越境的な文学・文化研究の成果を踏まえ、現代の観点から文学に新たな光を当てたいというところが「現代」的なのだ。したがって、この専修課程で扱い得る具体的な研究対象(作家、言語、地域、時代など)は、従来にもまして多様となり、自由な選択の幅はいっそう広がることになる。

 

(2)授業カリキュラムと研究分野

 以下のような分野を積極的に扱うのが、現代文芸論専修課程の特色である。

翻訳論――その理論と実践

批評理論

世界文学へのアプローチ越境文学論――亡命文学、クレオール文学、多言語と文学

既存の専修課程(英文、独文、仏文など)の枠に当てはまらない言語文化(ヨーロッパ周辺地域、特にラテンアメリカ文学の文学)

欧米の言語文化をバックグラウンドとした近現代日本文学研究(主として留学生を対象とする)

 授業を担当する教員を若干紹介すれば、専任教員のうち、野谷文昭教授(ラテンアメリカ文学)はラテンアメリカ文学を、柴田元幸教授(アメリカ文学)は翻訳論、沼野充義教授(スラヴ文学)は越境文学論・世界文学へのアプローチを主として担当し、その他、文学部内からの恒常的な協力教員として、英文の大橋洋一教授が批評理論を、また国文の安藤宏助教授が日本近代文学を担当する。
 西近時代は、他専門分野(欧米文学および日本文学)の授業をかなりの程度まで自由に履修できる柔軟な制度(認定科目制度)が大きな特色だった。現代文芸論では、専任教員による演習がカリキュラムのコアになることは当然だが、その一方で、認定科目の制度も受け継がれ、学生は各自の興味と専門に応じて欧米文学および日本文学に関する様々な授業を履修し、一定程度まで卒業に必要な必修科目として認定を受けることができる。現代文芸論の学生は、従来の西近と同様、3カ国以上の分野にわたって学習することが奨励される。
 また、非常勤講師陣による授業が多彩で充実していることも、西近以来の本専修課程の特色の一つである。過去数年の実績の中から、いくつかの授業題目を例として挙げてみよう。

エスペラント語」「ユダヤ文学研究」「世界の幻想文学を読む」「エスペラント語の世界」「西洋近代文学と表象文化」「文学と音楽」「人と言語」「言葉と芸術西と東」「東欧ユダヤ人の言語と文化」「マニエリスム文学と現代」「サイエンスフィクション」「文学と音楽」「ビートとその流れ」「英米の児童文学」「言葉から見た芸術表現の諸相」「漱石的キャロル的」「リトアニアの言語と文化」「現代小説研究」「Canadian Literature and Songs」「Japanese to English Literary Translation」「クレオール語入門」「現代日本文化論」「〔マジックリアリズム以後のスペイン語文学」「言語芸術の諸相」「The Writing of History」「詩の発生と現在」「Creative Writing and Contemporary Literature in the Twenty-First Century」「ナボコフの文学講義を読む

(3)西洋近代語近代文学から現代文芸論へ ―専修課程の理念と歴史

 もともと「西近」は、文学部の言語文化系の中でも異色の存在だった。外国語外国文学を専攻する場合、一か国・一言語に限定して研究するのが常道であるし、そうでなければ研究のディシプリンが成り立たないと考えるのが普通だろうが、「西近」の場合は、特定の一言語に視野を限定せず、複数の言語(三か国語以上)にわたって学習することを前提に、近代ヨーロッパ諸国の言語や文学をヨーロッパ的全体の広がりの中でとらえ、研究しようとしてきたからだ。
 その背後には、ヨーロッパは多様でありながら互いに多くの共通性を持った文化共同体だという考え方があった。その全体像を視野に入れるように努めることが、「西近」の基本的な理念だったといえるだろう。現代文芸論では、このような考え方を受け継ぎながら、ヨーロッパをより広い現代世界に観点に拡張し、世界の文学を(近代日本も視野に入れて)理論と実践の両面から幅広くとらえることを目指している。
 どのようにしてこのような専修課程が生まれたのか。ごく簡単に沿革を振り返っておくと、西洋近代語近代文学専修課程は、昭和38年(1963年)度に文学部の語学文学系が第3類として再編成されたとき、西洋古典学専修課程と同時に創設された。もともと専任教員を持たず、欧米語学文学系学科の共同運営という基礎の上に成り立った課程だったが、昭和55年(1980年)度以降、運営の主体をロシア語ロシア文学(現在のスラヴ語スラヴ文学)専修課程に置くことになった。「西近」を本務とする専任教員を持たない状態のまま、文学部には珍しい横断的な専修課程を維持・運営するのは必ずしも容易なことではなかったが、主としてスラヴ文学の川端香男里教授の努力のおかげで、「西近」は従来の伝統的な学科間の空隙を埋める専修課程として定着した。さらにそれを発展させて発足した現代文芸論は、文学部の新しい伝統の一環を担うことになるだろう。

 

(4)勉強のしかたと卒論

 現代文芸論の授業は、言語文化系の専修課程間の枠を取り払い、異なった分野どうしの相互乗り入れを意識しながら行なわれる。現代文芸論に進学した学生諸君は、語学文学に関わる専修課程のすべてを自分の庭として自由に出入りするくらいの意欲を持ってほしい。
 授業履修に関するもう一つの大きな特色は、前述したように、英・独・仏・スラヴ・南欧、国文等の他専修課程の講義・演習の多くを必修科目に代わる「認定科目」として履修できるということである。選択の幅は広いので、勉学の方向づけに関する自由度はきわめて高い。
 授業履修の際には、3か国語以上の分野にまたがって学ぶことを原則としているが、誤解のないよう一言付け加えておくと、3つの外国語を同様にマスターすることが要求されているわけでは決してないし、そんなことは決して現実的ではない。ここで求められているのは、一つの言語(例えばスペイン語)を中心に研究し、もう一つの言語(例えば英・仏・独・伊・露など)を補助的に学び、さらに古典語(ギリシャ語かラテン語)の初歩を西欧文化研究の基礎教養として身につける、といったプログラムを各自が自分の興味と研究主題に応じて考え、実践するということである(また専門的関心に応じて、日本文学を研究対象に含めてもよい)。それなら誰にでも十分実行可能だし、そうすることによって、世界の文学の豊かな広がりに接することができるだろう。
 卒業論文の研究テーマも、この専修課程の趣旨を反映して、非常に選択の幅が広い。参考までに、過去4年間に提出された主な卒論のテーマを挙げておこう。

 「『日本韻文論』をめぐる論争にみる明治前半期の西洋詩学理解」「トルストイにおける死と<反転>現象」/「セルバンテス『ドン・キホーテ』について―海をめぐる考察」/「ボルヘスの声――『ブロディの報告書』を通じて」/「オシップ・マンデリシュタームの言語観にみる詩人の条件」/「共感覚――コルタサルの幻想」/「ナボコフ『ロリータ』を読む――ロシア語・英語版の比較を足がかりに」/「日本の押韻定型詩をめぐる考察」/「『赤毛のアン』の翻訳論」/「リルケ『マルテの手記』と<不気味なもの>」/「『フランケンシュタイン』における科学」/「対話―イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』試論」/「W.B.イェイツと能―クフーリン劇をめぐって」/「『ゲーテとトルストイ』と『トルストイとドストエフスキー』―トーマス・マンの講演にメレシコフスキーが与えた影響」/「戦争文学における機械の描写」/「母国語教育から『ことば』の教育を考察する」/「ミルチャ・エリアーデとその探求」/「『とりかえばや物語』の女君とジェンダー」/「損なわれた無垢—ドストエフスキー『虐げられた人びと』論」/「イタリアを描く作品の比較と考察」

 

(5)現代文芸論に進学を考えている諸君へ

 現代文芸論での勉強は授業選択の幅が広いので大変自由だとも言えるが、その反面、広い選択の幅の中で自分なりの研究の筋道を作っていかねばならないだけに、他の専修課程よりもしっかりとした自律性を求められることも覚悟してほしい。私たちの専修課程は、既存の枠にはまらない研究領域に挑戦しようという意気込みのある学生を歓迎する。また、文学を研究したいのだけれども、まだどれか一か国に専門を絞りきれない、といった学生に対しても、我々は門戸を開いている。
 卒業後の進路について言えば、従来の西近時代から、文学部の他の専修課程と比べて就職に特に有利とか不利ということはなかった。大学院進学に関して言えば、西近時代には自前の大学院が上になかったため、西近卒業生の中には他の語学文学、哲学、比較文化などの分野で大学院に進学する学生も少なくなく、実際、「西近」出身の研究者がすでに様々な分野で活躍し始めている。平成19年度からは現代文芸論の大学院が新設されたので、これからは現代文芸論の学部課程からの進学者が増えると思われるが、そこだけに限らず様々な他分野に「転進」していく能力を伸ばせるのも、現代文芸論の特徴であるつもりである。要は幅広いメニューの中で、各自が真に自分の専門と言えるものをきちんと見つけ、自分の能力を磨いていってほしい。

  最後に、研究室の雰囲気について。発足間もない場に特有の自由さ、助教や補佐員の人柄、ちょうど適当な人数など、さまざまな要素が相まって、研究室の雰囲気はいつも明るい。テーブルの上に置かれたお菓子の消費量が相当多いのも、みんながその場でリラックスできることの証しだろう。もちろん単にリラックスするにとどまらず、ロシア語勉強会、映画鑑賞会等を学生たちが自主的に組織するなど、たがいが知的に刺激しあう空気も出来上がっている。留学生が多いことに加えて、ふだんの授業以外に、世界の作家や研究者を招いての講演会やシンポジウムなどを積極的に行なっていて、国際的な雰囲気にも満ちている。文学が好きな人、好きになりたい人なら、きっと楽しく勉強できると思う。