ひらけ!ゴマ!!

宝物 その1   (2010年 9月)

人力車に乗ったイブラヒム
出会いの一瞬



小松 久男

   ( 文学部長・人文社会系研究科長 / 
【歴史文化学科】東洋史学専修課程 ; 【アジア文化研究専攻】アジア史専門分野 )

《人力車に乗ったイブラヒム》

紹介する書物


 最近、瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン、鶴見俊輔三氏の談話を収録した『同時代を生きて』を手に取る機会があった。同時代人として日本文学を語る3氏の談論はまさに風発して、読者を飽きさせることがない。文学とはあまり縁のない私がこの本にふれたのは、そこに登場する日本文学者エリセ-エフ(1889-1975 )について調べてみたいと思ったからである。
 ロシアはサンクト・ペテルブルグの裕福な商人の家に生まれたセルゲイ・エリセ-エフは、若くして日本研究を志し、1908年来日して東京帝国大学文科大学(現在の文学部の前身)に入学、夏目漱石の門下にも加わって研鑽を積み、ロシア革命でフランスに亡命した後、ハーヴァード大学東洋語学部の教授として活躍、ライシャワーなどの後進を育てたことで知られている。
 はじめて会ったエリセ-エフはすでに60歳を超しており、「もう勉強していないことがはっきりしていた」ので、尊敬できなかったというキーン氏に対して、鶴見氏は柳家小さん流の話術にたけ、ハーヴァードでも漢文を返り点読みで教えたエリセーエフに強い感銘を受けたという。人の評価はむずかしい。
 さて、それではなぜエリセーエフなのか。話はある知友の教示に始まる。彼女は以前私たちの訳したオスマン・トルコ語の旅行記を読み、その中に出てくる無名の人物は、エリセーエフではないか、と教えてくれたのである。著者は1909年春、東京帝国大学附属図書館を訪問したときのことを次のように記している。
 
東京の寓居で礼拝をするイブラヒム  私は、まず閲覧室に入った。六百人近い学生が勉学にいそしんでいた。ここでしばらく見学してから司書に尋ねた。
 「毎日こんなに人がいるのですか」
 「今日は少ないくらいです。六百人ほどでしょうか。日によっては千人近いこともあります」
 と、言いながら日誌を見せてくれた。ここには、十人ほどの若い職員がいた。彼らもまた学生であり、交替でここの仕事をしているという。
 この閲覧室で気が付いたことを挙げてみよう。勉学中の諸氏のすべてが学生であるとのことだったが、彼らはみな和服を着ており、洋服は一人だけであった。私は半時ほど見学していたが、誰一人私の顔すらも見ようとはしなかった。誰もが勉学に没頭していた。ただ一人、例の洋服を着た人物だけは、決して目をそらすことなく私を見ていた。この男は、いかに日本人のごとく黒髪とは言え、顔立ちは決して日本人ではなかった。私は尋ねた、
 「あの方はどなたですか」
 「ロシア人です」
 「ほう、大学にはロシア人もいるのですか」
 「一人だけです。他にはおりません。あらゆる国から留学生が来ています。今は中国人が多く、数百名になります。次に多いのはアメリカ人です。どの国の人も数名はおりますが、ロシアからはただ一人です。おそらく今後は、トルコやタタールからも来るでしょう」
と言って笑った。

 倉田保雄氏の『エリセ-エフの生涯』によれば、彼は日本語能力の不安な外国人学生の受入を渋る文科大学長(今の文学部長)を尻目に、上田万年や八杉貞利らの支援を受けて見事正規生として入学をはたしたという。図書館でこのロシア語を操る訪問者に目を向けたのは、エリセーエフにほぼ間違いないだろう。
 この訪問者とは、アブデュルレシト・イブラヒム(1857-1944)、西シベリア出身のタタール人で、帝政ロシア領内のムスリム(イスラーム教徒)の自治や権利の拡大をめざして活動したジャーナリストである。日露戦争における新興国日本の勝利に触発されて、半年近く日本に滞在し、その日本観察記をロシア領内のみならず広くイスラーム世界に伝えたことで知られる。彼が東京で得た知友の中には、日露の講和条件にバイカル湖以東の割譲を求めて「バイカル博士」の異名を取った、帝大法学部教授戸水寛人もいた。
 なお、イブラヒムの記述によると、彼は東京帝国大学附属図書館を訪問した際、アラビア語の辞書を手に取り、館員に請われてそれに署名をしたという。彼の足跡を確認するには見てみたいものだが、そのすべはない。蔵書は関東大震災で建物もろとも焼失したからである。

 1933年、ふたたび来日したイブラヒムは、ソ連や列強支配下のイスラーム世界解放の観点から、きたるべき世界大戦において世界のムスリムは日本に与すべきことを説いた。彼はこれを「ジハード」ともよんだ。高齢のイブラヒムが東京に没したのは、すでに日本の敗色おおいがたい1944年8月末のことであった。
 同じころ、エリセ-エフは、アメリカ軍要員のために日本語や日本事情の教育にあたっていた。倉田氏によれば、神田神保町の古本屋街をアメリカ軍の爆撃目標からはずし、これを救ったのはエリセーエフの訴えによるともいう。ちなみに、当時の米戦略局資料にはイブラヒムの活動も記されている。
 東京帝国大学附属図書館での二人の出会いは、まさに一瞬のことだったにちがいない。しかし、本との出会いは。。。


    参考書一覧

  アブデュルレシト・イブラヒム(小松香織・小松久男訳)『ジャポンヤ:イスラム系ロシア人の見た明治日本』第三書館、1991年
  倉田保雄『エリセ-エフの生涯:日本学の始祖』中公新書、1977年
  小松久男『イブラヒム、日本への旅:ロシア・オスマン帝国・日本』刀水書房、2008年
  瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン、鶴見俊輔『同時代を生きて:忘れえぬ人びと』岩波書店、2004年

書き手からのコメント

 今回、文学部図書室の新しい企画「ひらけ!ゴマ!!」を始めるにあたり、文学部長・研究科長として最初の記事を依頼されました。
 これから文学部教員による多彩な文章が次々と登場することになります。どうかお楽しみ下さい。

次回の登場人物
渡辺 裕  ( 【文化資源学研究専攻】形態資料学専門分野 ; 【思想文化学科】美学芸術学専修課程 )
 次は文化資源学研究専攻の渡辺裕先生にバトンを渡したいと思います。
 ご専門の音楽文化から逸品を紹介いただきましょう。音楽と本の相性は抜群のはずです。


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