文学部所蔵歌舞伎関係資料 芝居番付 | HOME |
【解説】 芝居番付について1.芝居番付とは番付というと、たとえば長者番付のように、あらゆる事物を対象にランキング形式で表したもののことを思い起こす方もいると思います。 これらは、今日も場所ごとに発行される相撲の番付に由来するものです。 相撲番付は、東と西に大きく二分し、横綱は誰々、大関は誰々と力士の名前を挙げ、位が下がるに従って文字が小さく細かくなっていく形式の印刷物です。 江戸時代にも、この相撲番付に見立てて格付けをする一枚摺りが多種多様に製作されました。 各地の名所旧跡や名物、商人や学者等、その対象は多岐に渡り、中には歌舞伎役者を取り上げるものもありますが、ここで紹介する芝居番付はこうした見立番付とは性格を異にするものです。今日我々は映画館や劇場に行き、公開前の作品のポスターやチラシを目にして期待に胸を躍らせたり、あるいは、購入したプログラムを家で読み返して余韻に浸ったりします。 江戸時代の歌舞伎においても、こうしたポスターやチラシ、プログラムに類するものが公演ごとに作られ、配布、販売されました。それらを総称して芝居番付と呼びます。 2.芝居番付の種類芝居番付は大きく、①「①顔見世番付 今日プロ野球の選手は球団と一年ごとに契約更改をしますが、それと同じように、江戸時代の歌舞伎役者も、各劇場と一年ごとに専属契約を結びました(この制度は江戸時代後期には崩れてしまいます)。 芝居の新しい年度は十一月から始まります。各劇場において、向こう一年間に出演する役者が初めて披露される十一月の興行のことを、顔見世興行と呼びます。 そして、その興行の初日に先立って、新しい一座の顔ぶれ( 江戸の場合は「新役者 これは、劇場の正面に飾られる なお、大坂の場合も大判一枚、京の場合は大判を半分にした横長一枚のサイズで、どちらも ②辻番付 一年の各興行の初日前に、街角や湯屋といった人々が多く集まる所に貼り出されたり、あるいは贔屓先に配られたりした、今日の宣伝用ポスターに類するものです。前掲の顔見世番付も辻番付の一種とみなすことができます。 江戸の場合は、大判一枚で、右に作品のタイトル( 今日の感覚では想像しづらいですが、当時の歌舞伎は、興行の初日から全ての幕が出そろって、物語が完結する訳ではありませんでした。 限られた上演時間の中、たとえ物語が途中であっても、時間が来れば、座頭の役者が舞台上で「まず なお、京坂の場合は、大判一枚を縦に使って上下二段に分け、上段に主要な場面の絵を、下段に座本の名前や、作品のタイトル(京坂では ③役割番付 各興行における、役者の役割、つまり配役を記したものです。 江戸の場合は、半紙を二つ折りにしたサイズ(半紙本という)の小冊子の形態をとり、三丁(六頁)で構成されます。 最初の第一丁の表と裏(一頁・二頁目)の部分は「紋 残りの二丁(四頁)が、役者の配役を記した「役割 役割番付は脚本( 辻番付の説明で述べたように、当時の歌舞伎は興行の初日から全ての幕が上演される訳ではありません。 興行の推移に合わせて、たとえば、浄瑠璃の幕が追加される時に、小名題の部分を浄瑠璃の名題に彫り替えて改版するといった場合もあります。 一番目から四番目まで物語の上で関連性を持たせるのが本来の江戸歌舞伎の作劇法でしたが、興行の実態としては、一番目と内容上のつながりが見られるのはせいぜい二番目止まり(近世中期以降、この二番目も一番目から独立する傾向が現れ始めます)で、三番目、四番目と称して、既存の全く別の作品を上演したり、あるいは三番目、四番目を出さずに興行を打ち切ってしまう例がほとんどです。 したがって、特に三番目、四番目に記されている役割は、上演の実態を反映していない場合が多いので注意が必要です。 このように四番続きの形式が実際には崩れていても、一番目から四番目までの役割を掲げるという慣習は、建前として固く守られたのです。 なお、京坂の場合は冊子の形態をとらず、時代によって相違はありますが、半紙一枚、ないし二枚を横に使って作られました。 ④絵本番付 一興行の各幕の主要場面を絵で表した小冊子で、今日のプログラムに近いものです。 興行が始まってから、劇場や芝居茶屋(客の案内や休憩時間の食事の世話をする施設)で販売されました。 江戸の場合は、半紙本よりも小さめの 寛政年間(1789~1800)になると、その形態に変化が見られるようになります。表紙に座元の紋と作品の大名題、裏表紙に作者連名を記すという形で定着し、描かれる役者も小さく雑になって似顔ではなくなります。 また、それまでと同様、役者名や役名は記されましたが、あらすじやセリフは掲載されなくなってしまいます。 さらに上部の余白には、たとえば、「一番目 前述の通り、江戸の歌舞伎は興行の日数が経つと幕の抜き差しが行われましたから、絵本番付でもそれに対応したものが販売されました。すなわち、上演されなくなった場面の絵を抜き、新たな場面の絵を追加して綴じ直すのです。 一つの興行の絵本番付に、このように複数の異版がある場合には、それらをたどることで興行の推移の様子を考証することができます。 なお、絵本番付は、明治になると、役割番付と一緒になった「絵本役割」と呼ばれる冊子へと展開していきます。 京坂の場合には、絵本番付ではなく「絵尽し」と呼ぶのが慣習となっています。 元禄歌舞伎の時代に盛んに刊行された、 3.芝居番付の利用法ここでは、歌舞伎を研究するにあたって、上記のような芝居番付をどのように利用するのか、簡単に紹介してみたいと思います。歌舞伎研究でまず何よりも基本となる資料が、台帳であることは言うまでもありません。 番付は台帳を分析する上で補助的な役割を果たします。 当時の台帳は今日我々がイメージする戯曲と異なり、セリフの発話者を示す 今日、江戸時代の歌舞伎台帳の全てが現存しているという訳では決してありません。 むしろ、台帳が残っていない作品の方がはるかに多いといえます。 台帳が失われてしまった作品がどのような内容のものであったかを知る上で、番付は有益な情報を与えてくれます。 たとえば、番付に記されたカタリは、韻文の形式で作品の内容を示すものですし、辻番付や絵本番付の絵から、筋を推定するという方法もあります。 絵ということで付け加えると、浮世絵のジャンルの一つである役者絵を考証する際にも、番付は重要な手がかりとなります。 舞台の様子を描いた役者絵には、基本的にその舞台が何年何月、どの劇場の何という作品のものであるかが明記されていません。 幕末になると、制度上、浮世絵に年月印が押されるようになるので特定が容易になるのですが、それ以前のものについては、番付を調べて、この役者がこの役を演じているのは、何年何月のこの時と、あるいはこの時と…、といった具合に候補を絞り、絵師の画風や落款の形状等を勘案して確定していくことになります。 また、役者絵には、興行の初日前に売り出されるものと、興行が始まってから売り出されるものとがありました。 前者は、台帳が出来上がる前に、絵師が狂言作者から配役等の基本的な情報を得た上で想像して描くもの、後者は、初日後に絵師が実際の舞台面を見て描くものです。 絵本番付は興行が始まってから売り出されるものなので、そこに描かれている衣裳やシチュエーション等は実際の舞台面をほぼ忠実に反映しています。 つまり、役者絵を絵本番付と比較して、もし相違があるようであれば、それは初日前に売り出されたものである可能性が高いと考えられるのです。 その他、追番付や、役割番付・絵本番付の改版をたどることで、興行の推移の様子が考証できるということについては、先に触れた通りです。 以上の利用法は、あくまでも一例に過ぎません。 歌舞伎研究の基本的な文献として、伊原敏郎著の『歌舞伎年表』という書がありますが、こうした歌舞伎の年代記的な研究も、芝居番付の調査が土台となっています。 興行ごとに逐一発行された芝居番付は、いつどこで、どのような芝居が上演されたかを、現代に生きる我々が知るために必要不可欠な第一級の歴史的な資料なのです。 文学部所蔵の芝居番付資料について文学部所蔵の芝居番付は、貴重書です。原本のご利用希望がある場合には、必ず国文学研究室にお問い合わせ下さい。 研究室連絡先は、 こちらをご参照ください。 |