周作人と雑誌『駱駝草』─苦雨斎に集う文人達
担当教員  小川利康 学期:冬 火・2 赤門総合研究棟701
 苦雨斎とは、随筆「苦雨」(1924年7月発表)で夏の雨に悩まされる八道湾の自宅をユーモラスに描くエピソードに因んで命名された周作人の書斎を指す。一九二〇年代半ば頃から周作人の周囲には、その学識と人柄を慕う作家、文人達が集うようになっていた。そのなかには兪平伯、廃名(馮文炳)、徐祖正、馮至らがいた。やがて彼らは雑誌『駱駝』(1925年)を刊行し、単発に終わったものの、1929年には雑誌『駱駝草』(週刊)を刊行し、曲がりなりに26期まで刊行した。彼らは広く言えば京派文学を担った作家達の系譜にも連なるが、この講義を通じて、彼らが共有していた理念や嗜好を丁寧に分析して行くことを通じ、革命文学の提唱により文学運動の中心地となって行く上海との比較検討を試みたい。
 授業では教員がトピックごとに概説を行い、その内容に関連する中国語文献を受講者が分担して訳読する形式を取る予定だが、参加者の顔ぶれによっては、文献、テーマごとに担当者を決め、その内容について発表する演習形式を取ることもある。

0,オリエンテーション:
1)関連資料紹介、授業方法の説明
1,1920年における文学の概況
 1)雑誌『語絲』の発刊と上海移転
 2)『語絲』執筆者
 3)厦門、広東における魯迅
 4)周作人と苦雨斎のメンバー
2,『駱駝』
3,『駱駝草』
4,まとめ



 この頁を閉じる