1920年代における周作人――周兄弟の岐路における選択
担当教員  小川利康 学期:冬 火・2 赤門総合研究棟701(624)
 中国近現代文学の誕生と発展を語る上で欠かせない周樹人(魯迅)と作人──この兄弟二人は共に中国紹興に生を享け、長ずるに及んで、南京に学び、日本留学を志し、帰国後は五四新文化運動をリードした。1924年に家庭内不和によって袂を分かったものの、その後も協力して雑誌『語絲』を編集し、1927年の革命文学論戦への対応で決定的な岐路に立つまで、二人の文学嗜好には多くの共通点が見いだされる。この授業では、五四新文化運動から革命文学論戦に至るまでの両者の対応をつぶさにたどり、その共通点と相違点を明らかにすることによって、1930年に至って、マルクシズムへと傾倒した魯迅と伝統文化へと回帰した周作人の差異を考える。

0,オリエンテーション:
1)関連資料紹介、授業方法の説明
1,魯迅・周作人の生い立ち
 1)紹興時代
 2)南京求学時代
2,日本留学時代とその後
 1)日本文化への親近感──民俗学、落語、羽太信子との結婚
 2)欧米文学思潮の受容──『域外小説集』の失敗と帰国
3,五四新文化運動期前後(1917-1921)
 1)辛亥革命への失望からの転換──五四時期運動と「新村」主義
 2)「進化論」に導かれた有島武郎「小さき者へ」の誤読
 3)ヒューマニズム文芸の提唱──「人的文学」(トルストイ、ブレイクの影響)
 4)「霊肉」の一致と女性解放論──「貞操論」(与謝野晶子)翻訳を巡って
4,五四新文化退潮期(1922〜1924)
 1)周作人の文芸評論:厨川白村、H・エリスへの傾倒
 2)魯迅の文芸理論受容:厨川白村、有島武郎
 3)有島武郎「四つの事」と「芸術を生む胎」
5,雑誌『語絲』創刊前後(1924〜1927)
 1)『語絲』創刊の頃──「生活の芸術」におけるエリス
 2)「不革命の文学」──『語絲』停刊周辺(1927〜1930)
6,まとめ

 授業では教員がトピックごとに概説を行い、その内容に関連する中国語文献を受講者が分担して訳読する形式を取る予定だが、参加者の顔ぶれによっては、文献、テーマごとに担当者を決め、その内容について発表する演習形式を取ることもある。

教科書:毎回プリントを配布する。
参考書:
止庵『周作人傳』(山東画報出版社)
劉岸偉『周作人伝: ある知日派文人の精神史』(ミネルヴァ書房)

 授業への積極的な参加を重視しますので、遅刻欠席の無いように努めて下さい。




 この頁閉じる