小学通史
担当教員  水谷 誠 学期:通年 木・4 赤門総合研究棟723
 「小学」は中国学の基礎部門の一つです。戴震はこれを轎夫(かごかき)に喩えました。あの「赤い高粱」に出てくるかごかきです。どうも素性の悪そうな人ですね。日本の落語や芝居でも、登場人物は善人ではなさそうです。しかし、その時代においては必須のものであったことは間違いなさそうです。宋版と大事にされる書物で最も多いのが小学書です。どうやら轎夫が時代と共にいなくなって、小学書はその後に残った道の跡といえるでしょう。話題が横にそれますが、昨年、西安と洛陽の古道の跡をうろうろしました。現代の道や鉄道は尾根に沿って一直線に通っていますが、古代の道は谷間に沿ってうねうねと続き、谷を変えるごとに峠を越えます。この峠に関をもうけます。この講義も、上代から清末までの話をしますが、途中道に迷うこともあるかもしれませんし、雨にたたられて逡巡するかもしれません。また、この轎夫が無能であることも大いに考えられます。このことに留意して、轎の中の皆さんが良い景色を見ることができ、しかも目的地にきちんとつけることが目標です。

授業計画
 上古から始めますが、「甲骨文」「金文」については、大西先生がいらっしゃいますので、その後の訓詁の発生あたりから始めます。皆さん方の関心の赴くところに重点を置きたいと思います。ただ、その結果、肝心なところが抜け落ちていたということがないように、キーワードの「形・音・義」のそれぞれ最低一つには触れることができるようにしたいと思います。なお、ついでに述べておきますが、中国語は必須ではありませんので、中文専攻以外の方でも不自由はないと思います。

授業の方法
 講義形式となります。以前耳にしたのですが、丸山真男氏は駒場の持ち出し授業で一つの話題を取り上げてそれでもって一コマの授業を持たせてしかも受講生を飽きさせなかったそうです。これは私の毎回目にしたことですが、頼先生は、講義で取り上げる原書を手にして、それだけで一コマの授業を蕩々と進めました。これをまねして、私などは何回かしてみましたが、どうもダメです。土屋賢二氏は、受講生から先生の講義は「アー、ウー」だけですと言われて、「エー、オー」もあるよと言い返したそうです。これを読んで、彼も講義で苦労していることがわかり、妙に納得しました。講義の準備を周到にしても、なめらかに進みすぎて三十分で終わり、後の時間何もしゃべることがなくなったこともあります。また、準備不足で、ぐずぐずすすめていると一コマぴったりだったということもあります。講読や演習では、授業の流れを受講生との関係で決めることができます。講義ではそうはいきません。少しでも努力します。が、皆さんの質問がどうも馬力の弱い私の講義に力を添えることになると思われます。この点、どうかよろしくお願いいたします。

教科書
 とりあえず和文のものを参考書に取り上げておきます。
大島正二『中国言語学史』汲古書院
大西克也他『アジアと漢字文化』放送大学
頼惟勤他『中国古典を読むために 中国語学史講義』大修館書店




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