余は如何にして串焼き屋になりし乎
2011年秋、次年度東京大学五月祭へ向けたる企画代表者会議の翌1月に開かれんとの消息を得。思ひ起こさば我が研究室の曾て五月祭に参加せしより幾星霜ぞ。余の本郷なる文科大学へ這入りたる前年、中国語中国文学研究室の出店し居りしを覚ゆ。タンドリイチキンなる遠つ國の食を売れり。中国語中国文学研究室の天竺菜を商ふは何のゆゑんぞ。余その仔細を知らざりき。爾今吾が研究室に若人数多集ひたれど、嘗て我が先達の鶏肉を売りたるを知らず。余、歎然として謂ふ、後世の故きを知らずして去るに堪へず、と。然して茲に店を開かんと意を決せり……
と、この調子で押して行こうかと思ったが、なかなか話が前にすすみそうもないので、これ以降は現代の通常の調子で参ります。
わが中文研究室は1999年の五月祭に出店し、タンドリーチキンと青島ビールの販売をしております。その時、私(筆者)は駒場の2年生としてそのさまを目撃しております。
以来12年、中文研究室としてイベントに参加する機会はほぼありません。専門分野単位の合宿やら旅行やらはあるらしいのだけど、せっかく同じ場に集まったのだから、専門もバラバラで(…といったところでみんな“中国語中国文学”の範囲内におさまるのだから…)かまわない、普段交流の少ない人たちが一緒にバカ騒ぎをやったら楽しいじゃないかと思い、研究室12年目の老兵が立ちあがったという次第なのです。
1月 研究室内アンケート
学祭企画はもちろん一人ではできない。協力者が必要である。とにかく五月祭というものがあることを知らせないといけない(東大生なら当然知っているのだけど、留学生や修士・博士課程からの入学者が多い我が研究室の状況ゆえ)。ここで協力者が少なければ参加はあきらめようという心づもり。
アンケートの結果、8名が積極的に参加するとのこと。ありがたい。しかも、8名が「飲食店」希望。研究室の宣伝も兼ねた「学術展示」は1名のみ(しかも重複。1名、「両方興味あり」と回答したわけです)。この8名を中心メンバーにして、あとは適宜お手伝いを呼べば企画は回るだろうと判断し、中文五月祭企画は始動した。
1月下旬 企画代表者会議
企画責任者は言い出しっぺの私がやるしかない。副責任者をどうするか、いろいろ考えたが、結局申し込み締切日にたまたま研究室にいた博士課程学生にお願いした。なんともいい加減な決め方だが、しょうがない。
第1回の代表者会議は責任者が行った。ここで正式に「中国語中国文学研究室」として登録。もうやるしかない。困った。
飲食店を開く!
登録したからにはなにをするか決めなければならない。2月初めごろから「積極的に参加」を表明してくれた8名から企画を募集した。「屋台で食える好きな食べ物と言えば」というお題で(大喜利か?)で募集したら出るわ出るわ、以下、順不同です。「芝麻球」、「豆漿」、「油条」、「湯圓」、「麻醤麺」、「涼皮」、「豆花」、「煎餅」、「米粉」、「羊肉串」、「粥」、「粽子」……中国人なり中国によく行く人にとってはおなじみのメニューなのだが、さて、一般の日本人にはどうか…とういうものもちらほら。また、うまくできればそれなりにおいしそうではあるが、素人の大学生が3か月準備しただけでできるか、というものもある。ううむ…とりあえず、ちゃんと作れると確認できるものじゃなきゃしょうがないということで、試作会、試食会を開くこととした…。
お金が……
さて、もうひとつ問題となるのが資金調達。模擬店を出すには結構お金がかかる。食品の仕入れはもちろん、調理器具やテントのレンタル、店の飾りつけのための材料の購入、それに五月祭委員会へおさめる保証金なんてのもある。まあ保証金はなにも事件を起こさなければかえってくるわけだが…。食品の仕入れ費用を除いてもざっと10万近くかかる試算になる…。10万ですか…責任者が週4日バイトしてもらえる給料が月に……まあそれはいいとして……人件費がかからないだけましか……。
これに関しては、中文所属の学生・院生、教職員、OBなどに募ることにした。もちろん任意であって強制ではない。お金をください、というのも芸がないので、「回収できた場合は配当を出します」という株主方式にした。しかし、(寄附でかまわないというかたも歓迎いたします)という注釈は忘れずにつけておいた…。
3月、メニューを決める
店をやるということ以外あまり進展のないまま三月。三月已經過了好幾周〜。その間に第二回代表者会議があり、食品を扱う場合はすでに加工済みのものを購入することが条件で、自分たちで調理をしてはいけない、当日は焼く、煮る、揚げるなどの加熱処理しか認めないとのルールがあることが判明。それから、品目は食品は逸品に限るとのこと。責任者、大学一年、二年のときにはたしかそういうルールはなかったので油断していた。十年の歳月、おそるべし。
そんなわけでメニュー候補は大幅に減少。油条なんてまずダメだね。小麦粉こねて伸ばしてあとは揚げるだけ!冷凍油条のもと!!なんてものが日本で手に入るとは思えない。そもそも中国にだって売ってるかどうかわからん。たいてい目の前で店の人がこねてるものね。ま、油条の屋台だしたって留学生がなつかしさで買いに来るだけでそれ以外の人にはあまり売れんだろうなあと思っていたので、責任者はもともとボツにするつもりであった。
最終候補に残ったのが湯圓、羊串肉、烤雞串。湯圓は冷凍食品で手に入る。羊串肉は物珍しいし、日本人でも興味を持ってくれる可能性が高い。ただ、加工済みの羊肉串はどこで売ってるんだという問題。責任者が個人的に何軒か中国人厨師のいる中華料理店を知っているのでそこでゆずってくれるかどうかたずねてみるということでペンディング。それなら冷凍焼き鳥を買ってきて西域風の味付けをすればいいんじゃないかということで浮上したのが烤雞串というわけ。幸い大学の近くには上野アメ横がある。ここなら中国の調味料はたいてい手に入る。ためしに焼いてみたらたしかに西域風の香りはするんだけど、市販の焼き鳥ってすでに下味がついてるんだよね。やはりどことなく赤提灯の味がしてしまう。
飲み物は責任者のたっての希望で青島ビールがまず決定。次にソフトドリンクとして椰子ジュースが上がる。都内の中華料理店でもよく見るので仕入れやすいのではないかというのが理由。
ようやく…メニュー決定
新年度もはじまった四月、何軒か中華料理屋をまわり、試食と交渉を繰り返した結果……飲み歩いてただけじゃないかって?いやいや、試食です。羊肉串と青島ビールの研究ですよ。費用は自前で持ち出し、偉いなあ。
まあ、最終的に羊肉串の交渉は留学生に頼みました。やっぱり自分は飲んでただけで仕事してないじゃないか、ですか?いやいや、適材適所ってやつですよ。人材を適切に配置するのも責任者の役目じゃないですか。そうそう、春休み帰国中の留学生にも、少数民族っぽい衣装を買ってきてくださいとお願いしておきました。われながらなかなか効率が良いと思う。日本で探すより見つかりやすいし、なにより安い。ああ、飲みすぎたのでそろそろ寝ますね…。
価格の設定
学園祭は利益を求めてするものではない。研究室内の親睦を深める、卒業生に戻ってきていただく、東大を訪れる方に楽しんでいただき、より興味を持っていただく、これが第一である。それはわかっている。わかっているが……仕入れ費も含めて20万円以上を持ち出すのはさすがに負担が大きすぎる。出資してくださったかたにも(全額お返しできる保証はしてはいないけれども)お返ししたい。そんなわけで設定した目標がふたつ。「損をしない価格設定」と「外のレストランより安く」である。
羊肉串は考証したレストランのなかでもっとも安くゆずってくれるところを選んだ。プロの料理人がレストランで焼くものだから安いうえに味もよいはず。
青島ビール、椰子ジュースは海外(特にアジア系)飲食品の強い味方、上野アメ横。大量購入したこともあり、予定より安く手に入った。これで「外のレストランより安く」はクリアできそう。もっとも、外のレストランはショバ代に加え人件費がかなりかかるはずなので、そのどちらもかからないわが模擬店のほうが断然有利なわけである。民間企業の経営が苦しくなった時にまず「人件費削減」と言うわけだよ。
さて、あとは「損をしない」のほうであるが、これは価格設定はもとより、どれほど売れるのかにも大きく左右される。幸い五月祭委員会が近年の五月祭の模擬店で扱った食品と販売数のデータを公表している。なかにはクレープ1000個なんてとんでもない販売数を記録しているところもあったが、これは、まあ、あれですな、学園祭特有の「内部消費量」を含んだ数でしょう。責任者自身が経験がある。あとはわが店員が言ってたことですが、サークルの模擬店の売り上げがいいのは…。まあ、わが研究室とは同日に論じられないデータもあるよってことです。
さて、それはおいといて、五月祭は天候に大いに左右される。晴れてるか曇ってるか雨が降ってるか。雨が降れば客足自体が鈍るわけでこれは最悪だが、その次に大事なのが気温。五月祭でかき氷とか逆に豚汁とか出す店は勇気あるよなあと思う……とかなんとか言っときながら暑ければ喜んでかき氷を食い、寒ければ豚汁やに並ぶ単純なものです、私は。ただ、出店責任者になると考えが変わるもんですね。
というわけで考えた。
羊の串焼きは気温が高かろうが低かろうが売れ行きはあまり変わらなかろう。まして店の看板メニューなんだから(ったって食品は一種類しかないけど)守りに入りたくはない。ビールとジュースは冷やして出すので、雨が降ったり気温が低かったりした場合の不安がある。
ただ、これも責任者の記憶と感にすぎないのだが、五月祭のビールはよく売れる。そういう客層が多いのだなんだかは知らないが。近くの店でビールを売っていなさそうなことも幸いしそうだ。近くの店で食べ物を買った人に対して「ついでにビールはいかがですか作戦」。え?便乗じゃないか、ですか?まあ、ありていに言えばそうだ。それから、串焼きとビールのセット価格も設定して“ついでに”購入してくださる方が増えることを期待。椰子ジュースは日本であまりなじみもなく、まあここだけの話、○○率も低いので、仕入れ量も抑えめに設定。
結果、羊肉串560本、青島ビール300本、椰子ジュース100本に決定。価格は串焼き1本200円、2本で300円、ビール一本450円、串と同時購入なら400円、椰子ジュースは120円に決定。そんなに高くはない…よね?
なお、羊肉串がメインということで店名は西域を感じさせるものがよかろうということになり、「小陽関」に決定。「カシュガル」、「ウイグル」などの案もあったが、ビールを出す建前ムスリムに失礼でしょうということ、それに「中国」と「ウイグル」から厄介な問題を連想されても困るので採用には至らなかった。
実行委員外からの協力
計画開始から四カ月におよぶ期間のなかで忘れてはならないのは当初メンバーである実行委員以外のみなさんの協力である。出資・寄附はもちろんのこと、五月祭開催の近づいた四月以降、店舗の飾りつけやメニュー表の作成のため、共同研究室を使用することもあった。もちろん、所属学生の研究に影響の少ない閉室時刻以降(公式な業務終了時刻以降も大学院生が輪番で責任者となり研究室を延長利用する制度があった。当時五月祭企画責任者、副責任者がともにこの責任者をつとめていた)を主に使ったが、五月祭直前には業務終了時間以前に作業をすることもあった。そのようななか、企画メンバー以外の方々も手が空いている際には作業に力を貸してくださった。また、五月祭当日店舗に応援に来てくださった方々のことも忘れてはならない。多少は「研究室内の親睦」という目的にも貢献できたかなとは思っている。また、五月祭前日からは資材、食品、飲料用の氷などの保管場所としても共同研究室を利用させていただいた。研究室あげてのバックアップには心よりの感謝を申し上げたい。この節だけはちょっとまじめ。
そして…どうなった?
こうしてむかえた五月祭当日。天気は晴れ。ほどほどに暑い。願ってもないベストコンディション…いえ、ウソです。願ってました。心から願ってました。店舗には串焼き担当、串焼き補助担当、飲み物担当、呼び込み担当の4名を常駐させることにし、おおむね1時間単位のローテーションを組んだ…のだが、思いのほか少数民族の衣装が似合ってしまった人がいたり、ありがたいことに昼食時に混雑して交代のタイミングがなかったり、誰がまいたんだか知らないがウイグル人が串を焼いてるといううわさが広まったりしてローテーションはだいぶ乱れた。中国からの留学生が口コミで次々やってきてくれたのはありがたかった。しかしそのため、開店当初、串焼き担当者が物珍しがる客がいるかと思い中国語で呼び込みをはじめたのだが(それを呼び込み担当の中国人留学生が日本語に訳すという珍妙な光景)、やめるきっかけがつかめずそのまましばらく中国人のふりをつづけざるをえないというおまけもついた。さらに、購入に来てくれた留学生に「あの人、中国人じゃないよね?」と見破られ、店員が「実はそうなんですよね…」と応じたところ、「そうでしょ。どうみたってウイグル人だもの」と返されるという、しっちゃかめっちゃかの事態を招いてしまった。そのため串焼き担当は途中からどこかでききかじったウイグル語の単語を口走り始めた。ウソがウソを呼ぶとはこのこと。自業自得です。ほっときましょう。まあそんなこともあり、初日はまずまず。予定…というか希望数に近い数を売り上げたため(達成ではない)、早めに閉店し、翌日に備えることにした。
想定外のこととしては、金串が使えず竹串を採用したため、焼鳥機で焼いていると串が焼き切れてしまう事態が多発したこと。特に中国の留学生は肉をカリカリに焼いてくれるよう求めることがあり、普段より念を入れて焼いていると串が切れてしまう。このため売り物にならなくなったもの(もちろんスタッフがおいしくいただきました)や、おまけの増量分にまわしたものや、値引きしたものが出てしまった。まあ、ルールを守ってやったうえのことだから仕方がないとはいえ(五月祭公認のレンタル業者から借りられたのがプロパンガスの焼鳥機のみだった)、ちょっと惜しかったかなと思う。あとはリピータの方やお友だちを連れてきてくれた人にはその場のノリで値引きしてしまったりもしました……。
初日の売り上げ
羊串肉(単品)30本 (2本セット)168本 *上記値引きやサービス品含む
串計198本
ビール(単品)58本 (串とのセット)52本
ビール計110本
椰子ジュース 45本
こうして見ると、ビール単品がかなり貢献してますね。読みがあたったようで……(奸笑)
二日目
引き続き晴れ。日曜日ということで人出も見込めるため、目標売上は強気に設定。まあ、仕入れ数から引き算すればわかりますね。強気でしょう?なお、店員には「この数以上売らないと赤字!」というラインは伝えてある。
なお、この日は五月祭実行委員会に人足を出さねばならぬ日。
各企画はそれぞれ五月祭実行委員会の運営を補助する人手を出さねばならぬ。店員の少ないわが店にとって営業時間中に人手が減るのはかなり痛い。そのため、二日目の早朝、8時から10時という枠を希望した。この時間は店舗設備の設営、食品と飲料品の搬出などの作業もあるため責任者が離れるわけにはいかない。やむなく若手に行ってもらうことにしたが、「開店は10時が目標だが、集合は人手提供に合わせて8時。一人だけ先に来させるようなことはあってはならない」と決めた。結果、遅刻者がいたりいなかったり……まあいたんだけど、10時前に開店できたのは上出来だと思う。
この日はちょっとした事件が。
企画責任者が前日食事に出た際、工学部方面でウイグル人留学生の展示があるのを目にし、ウイグルの衣装のままで見に行ったところお茶の饗応などのおもてなしを受けてしまい、お礼にと羊肉串をご馳走しようとお誘いした。そしてなんとそのウイグル人留学生の方、同胞を何人もつれてご来店くださった。たしか10人近くはいたかと思う。東大にそんなにウイグル人がいたのかと思って聞いてみると、東京の近隣の大学の留学生も応援に来ているのだという。「羊肉串なんだから『陽関』はないでしょ、ウイグルの食べ物だよ」と(もちろん冗談の口調で)お叱りをいただいてしまったが、みなさん上機嫌で羊を食べてくださった。ありがたいことです。
二日目は片付けもあるので早めの閉店をと思っていたが、昼食時以降客足が伸び悩み、夕方涼しくなってからようやく売れ始めたこと、赤門が近く帰り際のお客さんが立ち寄るのではないかという期待があったことなどから、「もう、売れるまでやろうや」ということになった。これが功を奏したか、実は閉店間際タイムセールの効果かもしれないが、最後に売り上げ数が伸びた。売上高は少々減るが、余らせるよりはいい。ビールや椰子ジュースは後日自分たちで飲んでもいいが、串焼きはそうはいかないのだからとにかく売りましょう、と。最後はビールも値引きしましたけどね。帰り際にちょっともう一杯…なんだかどうかは知りませんが、これが意外に売れる。椰子ジュースは最後まで値引きしなかった。ほら、○○率があれですから…。
二日目の売上
串(単品)50本 串(セット)180本 串計230本
ビール(単品)110本 (串とセット)60本 ビール計170本
椰子ジュース 49本
日曜、好天、二日目で店員も慣れてきたなどなどが重なり、売上数はずいぶんのびた。
二日間合計
串(単)80本 串(セット)348本 串計428本
ビール(単)168本 ビール(セット)112本 ビール計280本
椰子ジュース計94本
こうして見ると、例の「半端になってしまった羊肉串」がいかに多いかわかりますね…。560本あったはずなのだから、ずいぶん消えている。23.5%のロス。まあ、実は二日目用に冷凍しておいた肉が一部凍りすぎてしまいうまくはがせずに売り物にならなくなってしまった分もあるので、これは気をつけていれば防げたミスではあった…。もし今後同じ店を開くことがあったらこのロス率もぜひ参考にしていただきたい。開くことがあれば…ね。
ビールはよく売れた。仕入れの93%という驚異的な売上数はもとより、単品でかなりの量が売れた(全体売上数の6割)。回収率で言ったらほぼビール屋と言ってさしつかえないんじゃないか。椰子ジュースも留学生の必死の呼び込みの甲斐あってか94%を売った。残りは研究室の冷蔵庫に入り、夏場を中心に学生に配布しました。
結果、なんと「損をしない」目標は見事達成。ビールさまさまであります。出資してくださった方々にもきっちりお返しできた。もっとも、出資ではなく寄附していただいた部分による恩恵もあったので、お金を右から左に流した感もなくはない。
まあ、誰も「損した!!」と思わなかった(と、思う)だけでも上出来でしょう。
教訓……
こうして成功裏に終わったかに思えた五月祭であったが、閉店を延長したとばっちりが最後に回ってきた…。
各店舗は片付け、清掃後五月祭委員会による検査を経て解散をゆるされるのだが、閉店時間が遅かったことに加え、人手の少ないハンデがここで重くのしかかる。ほかの店がどんどん去っていくなか、わが店だけのろのろ作業が続いている。テント、机、プロパン等等レンタル資材の返却もつらかった。人手不足で一度にいくつも運べないうえ、同じ人が何度も行かなければならない。腕力のある人って限られますからね。自分の出したゴミを片づける、自分の使った場所を掃除するのは当然だが、他店が引き上げた後誰かが無造作に捨てていくゴミまでも引き受けざるを得ないのはなかなかに負担でした。見て見ぬ振りするわけにもいかないのでやったけど。五月祭委員会の検査に三度不合格、最後は同情した五月祭委員会の方まで手伝ってくださった…。終了後、研究室にもどって多少の片づけ、あとは後日ぼちぼちやりましょうということで解散したのは8時はとうにまわっていたかと思う。9時近かったかもしれない。即日打ち上げをやろうかとも思っていたのだが、そんな時間も気力もなく解散。おおむねうまくいったはずのイベントの最後に3時間におよぶ強烈な疲労感を残してしまったのは企画責任者として不徳の致すところであった。あとをつぐみなさん、「二日目の閉店はお早めに!!」……あとをつぐ人…いるのだろうか…。ああ、でも、看板はまだ研究室のどこかにあります。作る手間省けるし、看板をついでみてはいかがでしょう。出資金は全部返してしまったけど、のちのちのことを考えて積み立てといたほうがよかったのかなあ……すみませんね、先の読めない責任者で。
次回はまた12年後になるのだろうか…。