訃報

高芝麻子




 中文研究室の卒業生である前川晶さんが2005年6月26日に亡くなりました。
 享年33歳でした。


□ 略歴 □

 1990年3月 灘高校卒
 1991年4月 東京大学教養学部文科1類入学
 1993年4月 同法学部進学
 1996年3月 同学部卒
 1996年4月 同大学院人文社会系研究科中国語中国文学専修修士課程進学
 1998年4月 同博士課程進学
 2001年3月 同博士課程退学
 2001年    コンピュータープログラマーとして企業に就職

 前川さんは、96年に法学部を卒業後、学士入学を経ることなく中文の修士課程に入学しました。院試には中国語の試験があるのですが、前川さんは独学で現代中国語を学んで、合格したとのことでした。また、2001年に大学院を中退して、四国に本社のある会社に、コンピューターのプログラマーとして勤務することになりましたが、コンピューター関連の知識も、全て独学であったと聞いております。
 前川さんが以前から常々批判していた、総合図書館の分類システムの問題点は、前川さん中退の数年後、一斉に改められました。独学に耐える知性と、先見の明とを兼ね備えた、不思議な魅力の持ち主でした。
 前川さんの思い出と言って真っ先に浮かぶのは、戸倉ゼミで前漢の成帝が何代目の皇帝として当時扱われていたのか、という話題になったときのことです。確か2000年の春先のことだったと思います。手元に資料がないからと、その議論を先送りすることになりかけたとき、前川さんは「そんなもの、数えればいいだけの話でしょう」とこともなげに言って、皇帝の世代数と即位代数とを指折り数え始めました。そしていつも通りにやりと笑い、「普通に数えればこうなるわけですが……さてさて、本当にそうなのか」と、当時修士1年だった私に唐突に宿題を出したのでした。
 その後、私なりに懸命に調べたものの、未だ答えは分からずにおります。それでも、その問題は何かにつけて思い出されるもので、いつか、前川さんに答えを突きつけて「これでどうですか!」と言うつもりでおりました。前川さんは、中文院生のご多分に漏れず、後輩にひどく甘い方でしたから、必ず「これは面白い資料ですねぇ」「よく調べたもんだ」などとひとしきり褒めてから、いつもの鋭い目に戻って「でも、ここはどうかな」と、即座にまた新しい宿題を出してきたに違いありません。
 宿題の提出ができなくなってしまったのが悔しい反面、今でも「答えが出ました!」とメールを出せば、すぐに返事が来そうな気がしています。


 早すぎる故人の死を悼み、心より哀悼の意を表します。



 哀悼の意を込めて、前川晶さんの文章をご紹介いたします。
  注釈の読み方について  (1997年度 学部演習「『詩』の意味、『文』の意味」配付資料)
  女子校化した大奥――吉屋信子『徳川の夫人たち』 (2003年 エッセイ)



 前川晶さんの詳細な経歴などについては、指導教員戸倉英美先生による追悼文「哀悼 前川晶君」(『東京大学中国語中国文学研究室紀要』第9号)を御覧ください。



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